可愛らしいパジャマのままの呼び出しご苦労さまです
それは静まり返る室内で本日の業務を終わらせた1人の精霊が寛いでいた時だった。
様々な仕事を請け負うその精霊は、カナンクルだろうがなんだろうが仕事は待ってくれない。
今回は地方での商品搬入の為に複数転移を重ねて移動をし、人間相手の交渉をしていた精霊は、その地でミサに参加しカナンクルの祝福を受けてから帰宅した。
昨日から出ずっぱりで、夕方には帰宅した精霊は、今日はもう何もしないと外出用のスリーピースを早々と脱ぎ捨て、浴室に籠った後この間買ったばかりのパジャマを降ろした。
冬用のふかふかのパジャマは手触りがよく、可愛いパンダの柄が描かれている。
別にそこまでキャラ物が好きな訳では無い、生地が好きなんだと反論する精霊だが、同じシンプルなものがあってもキャラ物を選ぶのは最早呪いかもしれない。
そんな精霊は、カナンクル用のケーキとリーグレアを持ち、ユラユラと揺れる一人がけ用椅子に深く座った。
同じくふかふかの分厚いスリッパを足にひっかけて窓から見える雪がしんしんと降っている様を見てから読みかけの本を手に取る。
リーグレアを1口のみ、カナンクルだけに感じる清廉な空気を深く吸い込んだ時だった。
頭の中で響く鈴の音に眉を寄せる。
そして体を起こそうとした時、地面がパックリと開き椅子に座って居たはずのその精霊は、すり抜けて穴に落ちていったのだった。
「さあ、行きましょう」
アデリーシュの言葉に逆らえない芽依や他の移民の民。
ここにはメディトーク達は居ないし、アリステア達も動けないのか指ひとつ固まったままだ。
話も出来ないのか人形のように佇んでいるが、その瞳は何かを訴えるかのように必死な眼差しである。
「アリステア様安心していいのよ、シーフォルムでお預かりしてしっかりと祈り子になれるように教育するわ、任せてちょうだいね」
さあ、と芽依の指先に触れそうになった時だった。
芽依の頭上にぽっかりと浮かぶ穴が空く。
何処と無く急いでいる様子のアデリーシュは小さく、あ……と呟くと、穴から落ちてきた誰かが芽依の上に着地した。
倒れ込んだ芽依の腹部に片足が乗っていて、その精霊は下を見ると深い溜息を吐き出す。
「またお前か」
可愛らしいパジャマ姿の精霊に目を見開くと、芽依の状態に気付いてか眉を上げた。
そして、足を下ろしてから周りを見ると、教会内の大広間、祝福で煌めくこの場所で沢山の人が倒れ込む異様な様子に眉を寄せる。
「……なんだこの状況は」
そう言って芽依の腕を掴み立たせるも、力が入らず精霊の胸にポフリと体が当たった。
頬にあたるパジャマの柔らかさと、精霊独特の優しく甘やかな香りに思わずホッとすると、支える手が耳元で指を鳴らす。
パチィィィィィン!!
大広間中、そしてメディトーク達がいる小部屋にもそれは響き渡った。
それを聞いたあと、変に力が入りビクッと体を揺らしたあとゆっくりと精霊を見上げる。
あんなに動かなかった体に血が巡り始めた感覚が身体中で感じる。
「………………動ける」
「だろうな、精神感応を受けて体の自由を奪われていたぞ……たくっ、やっと仕事が終わった所だったのに、なんなんだ」
まだ完全に乾いていないネイビーの髪をかきあげ、芽依を見る。
「対価は」
それは当然の事、良心で助けることなどしない人外者だ。
むしろ良く助けてくれたと驚くべきだろう。
芽依以外に動けなかった人達も精霊の鳴らした音を聞き、呪いに果てしなく近い精神感応から解放され体が動く。
カゲトラはその瞬間、アデリーシュの元へ行こうとしたトラヴィスを再度強く踏み付け、オルフェーヴルがアデリーシュを抑えた。
「まあ!離してちょうだいオルフェーヴル!」
「君は!何をしたか分かっているのか!ミサがどれ程大切な事か、わかっているだろう!」
「勿論わかっているわ!大切な日だから今日あの子達を連れ帰りたかったのよ、移民の民は祈り子になる卵なのよ」
まるで当然と言うように話すアデリーシュをアリステア達は信じられないと見ていた。
話が通じない人も多いシーフォルムでも、良心しかないと言われているアデリーシュ。
性格的な面では我儘なところもあるが、シーフォルム内序列3位の彼女はシーフォルムの顔的存在なのだ。
こんな大々的なことをやってのてる子ではなかったはず。
「………………アデリーシュ様、どうしてこのような事を……」
「アリステア様、おかしな事を言うわ。移民の民はシーフォルムに居てこそ輝くのよ」
「アデリーシュ、これはいくら何でもやりすぎ。誰からの許可なく神聖なカナンクルのミサを台無しにして。ほら、みんな怖くて顔が引き攣っちゃってるじゃないか」
トラヴィスの首に腕を回して抑えているカゲトラが近ずいてくる。
ほぼ引きずられっているトラヴィスは、転ぶ転ぶと声を上げているのだが、カゲトラによって笑顔で黙殺された。
「まったく。アデラーシュ、今回のことでシーフォルムはドラムストに謝罪とミサを台無しにした対価を払う必要があるんだよ。ちゃんと反省して」
「皆さんに怪我は無いわ」
「だからぁ、そういう問題でもないの!こんなに頭弱い子だったかなぁ……」
アデリーシュの納得いってない様子にため息を吐き出す。
そしてトラヴィスと共に強制送還したカゲトラは深く頭を下げた。
「この度は、我らシーフォルム内の祈り子が失礼致しました。この場は直ぐに整地しミサの継続を行います。この件につきましては後程話をしに伺わせて下さい」
ふわりと真っ白な服を揺らして頭を下げたカゲトラ。
彼は序列一位のシーフォルム内祈り子のトップである。
今回重要なミサに手を出してくるとは思ってもみなかったカゲトラだが、司祭にすら手を回して用意周到に準備していた事に気付けなかったのは自分が悪いと思っている。
秘密裏に持ち込まれた道具に気付けなかったとしても、今回の責任者がトラヴィスだったとしても、自分は無関係だと言える性格では無いのだ。
そんなカゲトラにミサを中断する訳にもいかないと頷いたアリステアは芽依を見る。
見知らぬ人外者と話す芽依の表情は穏やかで、可愛らしいパジャマを手で触り撫でている。
「…………誰だ」
首を傾げて言うと、隣にいるセルジオの眉間がよっている。
シャルドネもそれは同じで2人を見ていると、小部屋からメディトークも顔を出し、ここに居ない筈の人外者の姿に目を細めた。
「対価、対価……?私が?」
「呼んだだろう、それに助けもしたな」
「助かったけど、呼んでませんよ、呼び方分らないですし」
「…………鈴を鳴らさなかったか?」
「誘いの鈴?」
「………………いや」
誘いの鈴は様々な事象が重なり合って発生する自然現象である。
芽依が呼び寄せたくて出来るものでは無いのだ。
この精霊は祭壇にあった呼び寄せの鈴によって呼ばれただけに過ぎない。
大広間にある祭壇を見て納得した精霊は息を吐き出す。
「なるほどな、催事の中に含めて鳴らしたのか。しかし、なんでこのタイミングに用意したんだ、アデリーシュの理由なら、ない方が良いだろう」
眉を寄せて言う精霊に芽依はチラリとアデリーシュを見ようとしたが、精霊の大きな手によって遮られた。
「……ん?」
「今は拘束されているが、アイツは瞳に催眠の能力を持っている。今は見ない方がいいぞ…………さて、対価だが」
手を離して芽依を見る精霊に視線を絡ませると、後ろからくるりと腹部に回された黒い足によって距離が出来た。
突然の事に目を見開くと、精霊が訝しげにこちらを見ている顔が見える。
久しぶりに出てきた芽依の大好きな幻獣との再開に振り向き見上げた芽依は、その表情に体を硬直させたのだった。




