誘いの鈴
どこかで鈴のような硬質の音を聞いた気がした。
誘われるように沈み込む意識は深淵に落ちていくような感覚で、暖かく柔らかな温もりに包まれながら芽依は手触りの良い布地を掴む。
ふわりとして柔らかく温もりのあるそれを握りしめて頬に押し当てた。
すると、何かの衣擦れの音が聞こえて暖かく体を覆っていた布が一気にめくられて寒さに震えた。
「…………ん、さむ……」
ギュッと掴んだ芽依だったが、急にその布を強く引っ張られ手から離れて行った。
「………………さむい」
モゾリと手を伸ばして布団を求めると、その手を優しくパチリと叩かれた。
予想外の衝撃にピクリと反応した芽依は、何かがおかしいぞ、と目を開ける。
「………………ん?」
目に入ったのは、柔らかく暖かい毛布だった。
寝心地の良い肌触りの良いベッドに体を横にしている芽依は、見たことない黒い生地に刺繍の入った毛布が見えている。
その毛布をベージュの生地のパジャマから見える手が握っている。細くそれでいて男性的な骨ばった手だ。
「…………………………んん?」
その手はかなり至近距離にあり、足には別の足が絡まっている。
いや、正確に言えば、芽依が足を絡めているのだ。
「…………………………あれ?」
「あれ、ではない。またお前か」
柔らかく甘い声が聞こえる。
以前に聞いた時より呆れが滲む声色で、芽依を見下ろしているネイビー色の緩やかな髪を持つ男性が眉をピクリと上げた。
「………………またお兄さんが見えます」
「見えるではない、お前が来たんだ」
「……………………なんで?」
「しらん!俺に聞くな!」
微妙に眠気が覚めなくて、ぼんやりと聞く芽依に少し声を粗げて、絡まれている足を蹴って外された。
「………………蹴った」
「ほぼ初対面に近い女が布団に現れくっついて来たヤツへの対応にしては、随分と優しいと思うが?」
よく見ると就寝前のまったりタイムだったようだ。
ベッドに座った男性は、腰付近まで布団を被せて本を読んでいたらしい。
その隣に現れた芽依は、暖を求めて足を絡め布団の上から手を回してきたようだ。
思いっきり布団を剥がされ、探すように腰を触りだした芽依の手を軽く叩いたらしい。
完全に芽依が悪い。
実際今も、肌触りの良いパジャマの上に芽依の手があり、ほぼしがみついている。
「……………………これは、失礼しました」
最近男性にしがみついたり撫で回したり多いな……やばいな、訴えられる前に何とかしないと……
そんな事を考えている芽依だが、普通は優しく叩く前に切られるだろう。
優しい世界に身をどっぷりと浸かっている芽依は、世界の常識から少し離れてきていている。
その常識も、もう一度思い出さないといつか切られそうだ。
「………………ここどこ」
「俺の寝室」
本を閉じてベッドの横にある小さなチェストに置くと、芽依を見る。
座り直したが、ベッドから降りない芽依はゆっくりと周りを見渡した。
ここは依然来た場所とは違い、整頓されたモノクロに統一された部屋。
いやに居心地がよく、芽依は思わずまったりとしてしまう。
「…………勝手に入ってごめんなさい」
「まさか2回目があるとは思っていなかった」
はぁ、と息を吐き出して頭に手を置く男性を見上げる芽依。
誘いの鈴によって呼ばれるのはそんなに珍しい事ではない。
ただ珍しいのは、呼ばれた場所が同じだと言う事だけ。
「同じ場所に出ることは無いはずなんだがな」
「そうなの?」
「そうなんだよ」
額をペちりと叩かれ、少し赤くなる。
「とりあえず、これを付けろ甘ったるくて仕方ない」
いきなり空間がカパリと開いて腕を入れる男性。
それに目を見開いていると、ポフリと頭に黒い帽子が乗った。
移民の民の香りを消す作用がある、いつも芽依がベールとして使っているものと同じものだ。
「……ありがとう」
「喰っていいなら脱げばいい」
「被ります」
「………………お前、変なやつだな」
「至って普通です」
「寝起きに知らない場所で知らない男にしがみついて動揺しないお前がか?」
「……………………あれ、部屋のせいか動揺してないですね」
「部屋?」
「落ち着く部屋」
「勝手に俺の部屋で落ち着くな」
「あと、お兄さんのパジャマってどこに売ってます?可愛いクマパジャマ。前回のも可愛くて…………いた…………いたたたた…………ちょっ……頭ぐりぐりしないで……」
「見るな、触るな、人のプライベートを詮索するな」
「そんなむちゃな…………いたた……いたいいたい……」
手を離してくれたので、ズキズキする頭を抑える芽依を鼻で笑う。
足を組んで座っていた男性は、膝を立てて、そこに腕をつき頬杖をついた。
「………………お前、どこのヤツだ。勝手に入ったんだ、それくらい答えろ」
「ドラムスト」
「…………シロアリ被害にあった中でも庭が早く再生している場所か……市場は荒れているが、比較的領内は穏やかだと聞いているが、本当か?」
「そうですね。まだ野菜販売は解禁されていませんからカテリーデンでの販売は出来ませんけど、皆さん配給で野菜料理の確保をしているから比較的穏やかだと聞いています」
「……野菜販売は解禁されていない……お前庭持ちか?」
「……どうして?」
「庭持ちじゃないなら、カテリーデンで買えないと言うだろう。だが、カテリーデンで販売は出来ないと言ったからな」
芽依の言い回しにすぐに気付いた男に、芽依は驚いた。
耳からだけの情報を正確に拾い、意図していなかったにせよ真実を簡単に導き出した男は、芽依が思っている以上にしっかりと話を聞いているようだ。
「……そう、ですね。お庭あります」
「庭の状態はどうだ?」
「まぁまぁ、です」
意外と話しやすいこの男ではあるが、果たしてどこま話しても大丈夫だろうか。
この男がどんな人なのかわからない芽依は安易に話さない方がいいだろうと理解はしている。
だが、ここは彼の部屋で、芽依は侵入者だ。
前回言われていたように、殺されてもおかしくは無い。
「………そうだな、何か野菜を。それを対価にしようか」
この男も野菜不足に変わりは無いのだろう、探るように芽依を見る男性を見ながら、芽依は慎重に腕から顔を上げて芽依を見る男性に頷くと、箱庭を出してトマトを出す。
「……………………トマトか……箱庭持ちなのかお前」
「そうです。トマト好きですか?今食べます?」
「……………………ああ」
トマトを手渡すと、皿を出した男性は皿を受け皿のようにしながらトマトに齧り付いた。
瑞々しく甘いトマトに瞬くが、芽依は眉を寄せている。
「………………美味いな」
「美味しいですけど……」
以前のトマトよりは酸味があり小ぶりのトマト。
芽依はあまりいい出来とは思えないようだ。
「お前、初対面のヤツに箱庭見せるなよ。お前ごと奪われるぞ」
「え?貴方が野菜を………………あ、メディさん達に怒られる」
「メディさん……?メディトークか!!なるほどな」
納得している男性に、メディトークの知り合いかなと頷く。
そんな芽依を眼光鋭く見る男性は、ゆっくりと芽依の喉にひたりと手を置いた。
「………………お前は疑う事を知るべきだな」
「え?………………きゃ!」
グラリと体が揺らいで、布団にポフリと落ちた。
声が出なくて体も動かない。
その間に男は落とした箱庭を持ちくるりと回して眺める。
勿論芽依以外に使えるのはメディトークだけだから、この男が使うことは出来ないのだが、男は箱庭をじっと眺めてかな眉をひそめた。
そして、ゆっくりと芽依を見る。
「………………お前、なんでこんなバカみたいな箱庭を持っているんだ。なんだ庭2つ所持に、有り得ない備蓄量は」
「……………………」
喋れないのに気付き、パチンと指を鳴らすと口が動くようになる。
「………………何をしたの」
「わからないか。自分の今の状況を理解出来ない…………なんだ、魔術系は全滅か?庭に力が全振りしてるのか?…………変だな、お前」
じっと見られているが、今の芽依に自由に動かせるのは口だけだ。
固定されている為、芽依は黙ったまま男を見つめ続ける。
「………………話さないか、それもそうだな」
ふむ、と腕を組み芽依を見下ろす男だが、その男が着ているパジャマは可愛らしい熊耳のついたパジャマだ。
「……………………なんでこんな事するんですか」
「なんで?お前は俺の家に侵入してきたんだ。何をされても文句はないだろう?それともトマト1個で終わるとでも?それとも他の対価を払うか?」
「なにがいいですか」
「払うのかよ」
はぁ……と呆れる男は、パチンと指を鳴らすと体の硬直が解けてポフリと布団に頭がついた。
そして顔を上げて男を見て手を伸ばす。
「箱庭返してください」
「そう言われて返すと思うか?」
「使えないじゃないですか」
「使い道は色々ある」
人差し指と中指に挟んだ箱庭を見せてくる男性に、ギリ……と歯噛みする。
どうすればいいのか……と悩み、やっぱりここは誠心誠意頼むしかないと決断した芽依は男の目を覗き込むように体を近付けた。
「お願いします。返して」
「……………………何を持ってる」
「大根様」
「………………凄い動いていないか?」
「動きますよ、紳士ですから。雪も降らせます」
「……………………意味がわからん」
首を横に振った男が息を吐き出して、ポイッと箱庭を芽依に投げた。
わっ!と驚き大根から手を離した芽依は箱庭を受け取ると、大根は輝き回りながら威嚇している。
意味のわからない大根の出現に困惑している男性は、手を伸ばすとべチン!と大根に叩き落とされた。
「……………………なんなんだ」
「いきなりご自宅に来たからお兄さんが怒るのもわかるので……これで許してもらえます?」
出されたのは今高騰中の野菜を含む食べ物の詰め合わせである。
その鮮度はとても良く、今では滅多にお目にかかれないだろう。
目を細めてそれらを見たあと、手を軽く振る事で野菜達は綺麗に消えた。
だが、今更それに驚くことも無いだろう。
「…………まあ、いいだろう……いいか、もう来るなよ」
そう言われて、芽依はまた額に指を当てられ軽く押された。
何かの魔術陣が指先から出て体を通っていくが、それも以前と同じで強制送還されるのだろう。
また、ビクリと体を跳ねさせて目を開けた。
まだ暗く夜のようだ。
芽依は箱庭を見ると、確かに渡した分だけ減っているのを確認する。
「……………………もう来るな……かぁ……フリかな…………」
芽依はまた、あの男の家に行くような気がしていた。
その予感ははずれないだろう。
「…………あ、名前聞き忘れたなぁ。セルジオさんはたしかシュミットって言ってたっけ……今度会ったら聞こうかな」




