第7話:チョコレートヘイズ
海辺のカフェスペース。二度目の9月23日は、当然何かが変わるということはなく。例えばカフェスペースのテーブルセットが突然4組になるとか、突然天気が雨になるとか、そういう劇的な変化は起きやしない。
18時までは極めて平凡で、幸せな一日をなぞることになる。
……はず。
「幸せだ……」
カフェスペースは俺たちの憩いの場所だ。そこで目の前でチョコ片手にとろけているアヤを見ていると全てがどうでも良くなってくる。
しかしこれはとても危ない。俺はこれから起こることを整理し、真相を知らなければいけない。あるいは……これから起きることを止めなければならないのだから。
「幸せなのか」
「そりゃあもちろん。幸せとは脳内物質の分泌結果でしかないということを実感できて、なおのこと痺れるね」
……とはいえ、何の情報も持っていないから、結局アヤと話す日常を送ることに変わりはないのだが。
「身も蓋もないことを……幸せをそう定義した瞬間が人間性の終わりじゃないのか?」
「ところがだね、人間性のあるなしは人間としての幸せに直結しない……これが人間のミソというのが面白いんだよ」
「ほう?」
「一般見解としては社会的幸福を得るためには人間性は極めて重要なパーツなのだけれど、社会的幸福とは非常に広い概念だし、社会の最小単位である『二人』においてもその性質はあまり変わらないんじゃないかと僕は思っているんだ」
「確かにな。俺は何があってもお前のことが好きだし」
「うんうん、その通り。僕も君のことが好きだからねえ」
どう見たって元気そのものだし、いつものアヤだ。それでも彼は俺に何かを隠していることは確実で……
……俺に言えないことがあるなら、それ自体が気になるところだけど。今までアヤが俺に隠し事をしただろうか。嘘はつかれたことがあるけれど、それもかわいいものである。こんな、殺人に至るほどの強烈な秘密など、俺には当然心当たりがない。
そういうわけだから、アヤに直接聞くというのも手だ。アヤは確実に何かを知っている。
しかし、その時点で殺されてしまうかもしれない。
この次が……タイムリープにおける次のループがあるとは限らないし、彼に対しては慎重になるべきか……
……。
……何で俺、こんなに冷静なんだろうな。
世界が割れるというあまりに非現実的な光景と、アヤに殺されるという衝撃の結末。そしてタイムリープが不可能から可能に転がり落ちてきて……
それらを経てなお平常通りである己が、にわかに信じがたい。
冷静は大事だ。そんなの当たり前だ。平常を保つのも重要だ。有事の際にはいかに平常を保つかが生死を分けたりするものだ。
それでも慌てふためいたり、アヤに疑心暗鬼を起こすのが『普通』なんじゃないのか?
……いや、こんなことを考えても仕方がない。
俺は俺でしかないし、冷静であることを今は喜ぶべきだ。
「タスク、今日はずいぶんと静かだね」
と、と、とゆるやかにアヤの中指がリズムを刻んでいた。少しの苛立ちと、からかい。
「えっ。そんなに黙ってたか、ごめん」
「もしかして悩み事かな?だとしたら是非聞きたいなあ!君に悩み事だなんて心が躍ってしまう」
「……性格悪いって言われたことは?」
「今で1回目だね。さあさあ聞かせてくれよ」
言っても良いのだろうか。
『数時間後に世界が割れて、同時にアヤは俺を殺してしまいます。俺はタイムリープしたのでその記憶があります』
『何か解決できたらと思うのですが、何も分からないため当のあなたにお聞きしたく存じます』……
……いいや、まずは行動してみないことには始まらない。話を聞いてくれるかもしれないし、俺はアヤを信じたい。
「数時間後に世界が壊れる、って言ったら……お前は信じるか?」
「……」
「お前は銃のようなものを持っていて、俺はそれで、殺される。それの心当たりとか、前触れとか、そういうものが分からなくて……」
「…………」
沈黙。重く苦しいいくばくかの時の後──
「ははは、何だいそれは!」
アヤの大きな笑い声で重苦しい空気はかき消された。
「君も荒唐無稽な冗談を言うようになるなんて、そっちの方が驚きだよ、ははは……」
「荒唐無稽……」
実際に見てきたものであるからして、中身がなくてでたらめだという意味の言葉で罵られるのは納得がいかない。しかし、アヤは信用ができるという証明にも……なったのでは……?
────信用ができる証明とは、《なんだ?
────アヤが信用に値しないという状況は、あってはならないのでは?
……いや、考えすぎるのはよそう。アヤは、信用するべきなのだ。
「さて、君の面白ーい冗談はさておいて……この後どうしようかな……」
アヤは頬杖をつきながら何かを思いついたらしい。
そうだ!と跳ねてこちらに身を乗り出した。
「ゲームしない?」
あれ……?
「ゲームするのか?海に行きたかったりするんじゃ……」
おっ、とアヤの顔があがる。どうやらこの状況を楽しんでいるようだ。
「よく分かったね。確かに海に行こうかなってぼんやりした気持ちはあったけど……なんか気分が変わっちゃった。やろうよ、ゲーム」
「ああ、うん……」
「しかし、僕の考えを見透かされてしまうのは恐ろしいものだ。そんなに海行きたそうな顔をしていたかい?それとも……本当に未来のことを知っているのかな?ははは、だとしたらとても面白いな」
アヤは俺の前に手を差し伸べてくる。握れば、ゲームの誘いに乗ったことになるのだろう。
こういう時、俺はどうすればいいのか分からない。いや、分かるやつがいたらそれもそれで『分からない』ことだけれど。タイムリープにおいて他人の未来の行動が変わったら、どう対応するべきなのだろう?
現にアヤの行動は変わってしまった。アヤは気分屋だが、俺の言葉で意見を変えることなどほとんどなかったから、理由の検討がつかない。
バタフライエフェクト。僅かな変化がやがては大きなうねりを生む。タイムトラベルにはつきものの考え方であり、何故タイムトラベルが危険なのかを示唆する中核の言葉。
……だが、俺はアヤの行動が変わろうとなんだろうと、別に構わないんじゃないか?理由は分からなくても、アヤの行動から情報が得られたらそれでいいのだ。アヤが別の行動を起こすのなら、それはそれでいいことじゃないか?
真実を見つけ出し、選択肢を獲得する。それが今の俺の全てだ。それ以外の道は存在しない。
この変化で、バタフライエフェクトに頻出する世界の滅びが到来するのだとしても。何も気にするものか。
変えられるものなら、いくらでも変えていってやる。
俺は、アヤの手を握り返した。
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