第4話:アオハル
白い砂がきらきらと舞っては、波にさらわれていく様を。自分が作り出した大作を自分の脚で蹴り崩したアヤの姿を、しばらくは眺めていた。
こういう時に何を言えばいいのか、よく分からない。それは……よくあることだと自分が納得しているからか。あるいは……
「……そんなに残念だった?僕の作品が壊れるの」
「残念だったわけじゃないけど……」
ふむ、とアヤは顎に指をおいて思考する。らしくない姿を見せてしまったからか、アヤにも思うところがあるようだった。
「どうしても気になるなら話題を変えよう。僕たち、水のかけあいとやらをやってないんじゃないか?」
「何だ突然。水のかけあい……?」
儀式……?
「そのためにはまず……」
アヤが靴を脱ぎ始めた。靴下をぽいと投げ捨てて、ズボンの裾をまくって──海の中へと、歩きを進めていく。じゃぶじゃぶ、という音が徐々に俺から遠ざかっていく。
「君もこっちに来なよ。ひんやりして気持ちいいよ」
アヤは笑いながら足を遊ばせている。本当に、気持ち良いのだろう。ならば、と俺も覚悟を決めた。
靴を脱ぐ。靴下を脱ぐ。俺の靴下を畳んで……あと、ついでにアヤの靴下も回収して畳んで、ズボンの裾をまくる。そして、水に足をつける────
「……水温が低い……」
「そうかもねえ」
「濡れる感覚、毎回ぞわっとするんだよな……」
俺は……アヤの世話ができる以外の取り柄があるとは思っていないが、それでも気にしていることがある。
どうしようもなく、泳げないのだ。そもそも水が苦手なまである。次に、暑い場所。二つ揃ったらおしまいである。
このことは、もちろんアヤも知っている。しかし……ここで飛んでくるのは心配ではなく、ニヤニヤとした笑顔と、からかいなのである。
「この程度の深さでかい?体全部が沈んでいるわけでもないし、ちょっとビビりすぎじゃあないか?君はカナヅチだが、ここは転んでも流されるような場所じゃないよ」
「いや、その認識は良くない。浮力というのは馬鹿にならないんだ。水深30cmであっても人は流されることがあって……」
「君が泳げないのはその浮力が得られないくらい体がしっかりしてるからでしょ?流されることもなくその場で沈むならいいじゃないか」
いいのか?いいや、これは流石に騙されない。
「結局俺は沈むことにならないか?」
俺が騙されなかったことに不服だったのか、アヤは視線を逸らしながら手を差し伸べてきた。
「んー、じゃあ沈んだら引っ張ってあげるよ。これでいいかい?」
これは……いいのか?いや、これもよくない気がするな。
「……アヤが咄嗟の判断をできるかどうかの信用が……」
「ははは、どういう意味かな……」
しかし、俺はもう一歩奥へと踏み出す決意を固めた。アヤの手を握り返し、一緒に海の奥へと歩みを進めていく。水圧が足に絡みついて進みづらい。足に対する水高が上がっていく。ズボンの裾がじわりと濡れる感覚がある。しかし、両足は地面……砂をしっかり踏みしめている。
「……行ける、かも」
「よしよし。それでこその君だ」
水が膝下まで上がったところで、俺たちは止まった。
「では水のかけあいの手順について説明するよ」
「よろしくお願いします」
「このように手で水をすくって……」
「ふむ」
「えいっ」
ばしゃり。アヤがすくった少量の水は俺のズボンを濡らした。
「このように水をかけます。交互に行うルールもありません。気のすむまでばしゃばしゃしましょう。終わり」
……なんとなく理解したことがある。多分儀式ではないということだ。気軽な遊びである。たぶん。
「……服が濡れたな」
「……はぁ……なんて情緒のかけらもない……」
大きなため息をつきながら、アヤは手で小さく波を立てて遊んでいる。そう、今のアヤは遊びたがっているのだ。ならばそれに応える必要があるだろう。
「今のお前の説明に情緒があったっていうのか?楽しいって言うならやるけどさ……えいっ」
ばしゃり。俺のすくった水はコントロールよくアヤの頭上へと降りかかった。
「わっ」
「なんで驚くんだ。そういう流れだったろ!」
「驚くものは驚くよ!くそー驚かせやがってー!」
ばしゃり。アヤの攻撃二回目。一回目よりかは高い放物線を描いて俺のTシャツへと。
ノーコンにしてはよくやってるのかもしれないが、いかんせん体の使い方そのものが下手なためここが彼の限界かもしれない。
「飛んでくると分かってるものには身構えとけよ!なんだこれ、相手の服を先にずぶ濡れにした方が勝ちのゲームなのか?」
ばしゃり。多量の水をアヤにぶつける。
「いいねそれ!じゃあ負けた方が相手抱っこして帰るってことで!」
ばしゃり。案の定、高さは出ていない。
あと、なんかとんでもないこと言わなかったか?
「いよいよ儀式だな!後その罰ゲームよくないとおもう!」
三分後。
「……ぜえ……ぜえ…………」
「運動神経が必要な場面で俺に勝てるわけないだろう……大丈夫か?無理してないか?」
そこには、完全にへたり込んで海の中に尻もちをついたアヤの姿があった。
体力なし、筋力なし、手先は器用だが体の動きは器用じゃない。そもそも何で突然勝負に持ち込んだのかがまず分からない。負け確の戦いを挑むんじゃない。
「お前、割と思いつきで行動するよな。ちょっと己を顧みる癖をつけた方がいいとおもう……」
「……無理してないし、別にいいじゃんか」
拗ねてるし。負かしたのは俺で、お前を全身びしょ濡れにしたのも俺なんだけど。そこは申し訳ないんだけれども。
「……で、俺を抱っこして帰ってくれるのか?」
「………」
明らかにアヤの視線が泳いだ。そりゃあ、無理だろう。アヤが俺を運べる筋力と体力があったら、今頃こんな辺鄙な土地で療養なぞする必要がない。
「……そもそも、先にびしょ濡れにさせた方が勝ちって言い出したのは君だろ」
「それを採用した挙句に余計な罰ゲームをつけたのはお前だろう」
「……そういやそうだった」
あはは、と笑いながら濡れた髪をくしゃくしゃとまるめるアヤの姿に対して、呆れよりもいつも通りであることへの安堵が訪れる。仕方ないなあ、という言葉で形容されるであろう、アレである。
しかし、それも束の間。アヤの指先も顔色も悪くなっていることに気づくまで時間はかからなかった。
「っ、げほ、ごほ……」
「!大丈夫か、体冷えただろう。俺が負けたことにするから。ほら」
濡れるのもいとわずしゃがんで、アヤを抱き寄せる。そのまま横向きに抱えて、俺はさっさと海を出た。……靴と靴下は後でいい。まずはアヤを優先しないと。
「すぐ着くから、大人しくしていてくれ……ん、アヤ?」
アヤは抱き抱えられたまま、どうやら硬直しているようだった。
……何か、気に障ったのだろうか?
「……僕これ知ってる。お姫様抱っこってやつだ
そういう理由か。……そういう呼び名があることは知っているけれども。あまり意識していなかったな。恥ずかしいことをされていると思われるのは、よくないな。
「横抱きだろう。アヤの体に負担が少なく運びやすい」
「これまた情緒のない……」
顔色は悪いくせに、わざとらしくため息をつくことだけはやめないのがアヤの強さと言えるだろうか。しかし、会話をする元気はあるみたいだ。アヤを運びがてら、付き合ってみようか。
「仮に『お姫様』だったとしたらどうなんだ?」
「昔は、王子が姫を助けにくるという筋立てのラブストーリーが王道だったみたいでね。敵に囚われた姫、呪われた姫、窮地に陥った姫が、王子の真実の愛によって救われてハッピーエンド」
ふむ、確かに。そういうストーリーラインの物語はあるな。それはつまり……?
「……なんだ。暗に王子になれと言ってるのか」
アヤは、抱えられながらも首をすくめた。
「君が王子なんて嫌だよ。侘び寂びのにんべんすら理解出来てない風流知らずが真実の愛を語り出したら、もう笑い草さ」
「失敬な」
そうかもしれないけど。否定はしづらいんだけども。
「でも、僕はお姫様なのかもしれないなあと思うことはある。君と違ってね」
お前が?
「…………お前が?」
「今の間で何を考えた?」
「多様性あふれる豊かな社会について……」
「そういう話じゃないよ……はあ……」
いいかい、とアヤは指を立てた。こういう時は、真剣に話を聞くべき時である。いつでも真剣だけれど、より一層。真面目に、深く受け止めるべきもの。
「君は王子じゃなくたって僕を助けてくれるのだから、今更王子になんてならなくていいんだ。ピンチの時だけ助けてくれる身勝手なやつより、いつでもずっと隣にいるやつの方が頼りになる。当たり前の話だろう?」
それはそうかもしれない。俺はずっとアヤの隣にいるから、わざわざピンチの時だけ顔を出すなんてことが逆にできやしないのだ。
だが、いつだってどこだって助けになれたら。常にそれを願い続けている。ならば、それで十分なのだろう。
「わかったかい……う、へくちっ」
小さくくしゃみ。運んでいるうちに体はあったまってきたようだが、まだまだ気は抜けない。
「帰ったらシャワーを浴びるといい。今回は湯船に浸かるのもおすすめだ」
「そうするよ……」
アヤの手が、きゅ、と俺の服を掴む。それは小さく弱々しいものだが、俺にとっては常に最大で最重要で、強大なもの。
「よっと」
「わっ」
俺は、改めてアヤを抱き抱え直した。フォームを調整して、より安定して、より深くアヤを支えることができるように。お姫様抱っこは特別であることの証か?俺はそうは思わない。アヤは俺にとって唯一であって、特別かどうかなんて議論に意味はないのだから。
「でもお姫様抱っこでもいいか」
「照れるようなこと言わないでくれよ」
「そういうのは本気で照れてから言うもんだぞ」
「はいはい」
耐えきれずにアヤが笑い出す。つられて俺も笑う。
先ほどの思考を訂正しても良いかもしれない。
こんな日々が、アヤと笑い合って家に帰れることが、特別でないというのなら何なのだろう?
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