第20話:ハロー、ブランニューワールド
世界が、割れている。白い光の向こうに破片が吸い込まれ、海に数多の水柱が立ち上る。
真っ先に得た所感は、『まだ18時じゃないのに』だった。
世界が壊れるという現象は、俺の行動一つで変わるものでもなく、18時に訪れることが確定している……その前提で行動をしていたのは確かだ。
だが、18時を迎えることなく終わったこともある。アヤに殺される現象は18時に紐づくとは限らないと俺は知っていた。
だから、世界だって18時を迎えることなく壊れる可能性があるのに。
「どうして」
「ハハ、やっぱり知ってたんだ。何で君の想定と違ったんだろうねえ?」
だがアヤの問答に付き合っている場合じゃない。
俺は彼の手を引いて、逃げなければいけない。
逃げなければ?
逃げ、逃げる?何故?
……どこへ?
ここ以外の場所に、どうやって行けばいいんだ?
あの観光地は飛行機と船で、あの都市なら車で行ける、らしい。
その都市は、自転車なるものを使えば車がなくても1日でたどり着けることもある。ようだ。
俺は、この場所以外を知識でしか知らない。
こことは違う場所に行ったことがない。家の周りだけが、俺の体験している全て。
ならば。そもそもここは、どこだ?
アヤの手を握りしめる力が、ふとゆるむ。
「それで、どこに行くの?」
アヤは笑っている。こんな状況でも、変わらず……
……いや、何かが違う。普段とは異なる感情は感じられる。
でも、違うことしか分からない。それに……
光の向こうから、何かが来る。
丸く巨大で無機質なフォルム。艶のない黒で覆われたボディ。がしゃん、がしゃん、と音を立てて、そして……俺たちの海へと真っ逆さまに落ちて。
浮かび上がった後に、こちらへと泳いでくる。その姿は何物にも形容し難く、そして俺の内側にある恐怖を強く刺激するものだった。
あれは、なんだ。
知らない。分からない。
ただ、俺の力ではどうにもならないことだけが分かる。
あれが、世界を壊したのか?アヤも俺も、あれに殺されるのか?
分からない。分かりようがない。
だって────
────このパターンは、初めてだ。
「やっぱり、こうなったら君は動けないね。パニックすらも起こさない、立っていることしか出来ない」
アヤは、俺の手の内からするりと腕を抜く。俺に掴まれていた箇所は、薄く鬱血していた。
「じゃあ、何で僕の手を掴んだの?君からハグをするなんて何が起きたの?何がしたかったの?そもそも、君にしたいことなんてあるの?」
俺のしたいこと。何で今そんなことを聞くんだ?
それどころじゃ、ないよな?
「あるわけないよねえ。だって君は、そうじゃないんだから」
そうじゃない、って、何だ?何が言いたいんだ?
「はあ、もういいか。こんにちは、識別番号は?」
「……識別番号?」
俺は何も答えられなかった。
──しかし、『それ』は、海を渡り泳ぎ、俺たちの前に水を垂らしながら上陸してきたそいつは、喋ったのだ。
『こんにちは。私の識別番号はSRT-WS-PS560001です』
明瞭ではなかった。その声は音量重視の防水スピーカーから流れ出したもので、音質は褒められたものではなかった。
だが、流暢であった。完璧なイントネーションと発音だった。
「なるほど。また勝手に新しいのが増えたんだね。ではSRT-WS-PS560001」
それに対して、アヤはなんてことはなく会話を続けている。俺は、こんなにも恐怖しているというのに。
いや、恐怖しているのは。『それ』そのものではなくて。『それ』の存在が、俺の根幹を、俺の全てを、揺さぶるからなんじゃ、ないのか。
「僕以外のユニークな人型物体を認識しているか?君から見て、僕を基準として左に3.5度ずれた位置に立っているはずだ」
────揺さぶられるものなど、何も無い。
『肯定します。ユニークな人型物体の認識に成功しています』
────それは、真だろうか。
「それを破壊しろ」
────俺がアヤのことを何も知らなかったように。
『了解しました』
────俺は、俺のことを何一つ知らないだけだったんじゃないか。
そのことに気づいた時にはもう、『それ』は俺に接近して、その右腕らしきものを大きく振り上げていた。
言うべきことが、あった気もする。言いたいことも、あった気がする。
しかし、何一つとして形になることはなかった。
出来なかった。こういう時にかけるべき言葉を、俺は持たない。
俺は、こういう事態に対処する方法を持っていない。
守るとは言ったが、当然ながら俺は『それ』に勝つことはできない。
そもそも、どうしたら守れるんだ?守るとは?
何を想定すればいいんだ?
腕を伸ばせばいいのか?
自分なりの思考結果を元にして、左腕を前に伸ばしてみる。
『それ』を前にして俺の片腕はあっさりとちぎり飛ばされた。俺のバラバラに砕け散った左腕の破片が宙を舞う────
────不思議と痛くはなかった。
……不思議?何故、不思議に思ったんだろう。
一般的に人は、腕を吹き飛ばされると激痛を覚えると知っていたからだろうか。だから、俺もそうだろうと、考えたのだろうか。
だが、よくよく考え直してみればその理屈は通らない。
痛覚がある場合に人はそういう思考をするのだ。痛覚があるから、人は腕が吹き飛ぶことを恐れるのだ。痛覚があるから、人は危険を予測し、危険を知るに至るのだ。
俺は、一度も痛みを感じたことがない。
左腕の破片は、赤い液体と赤い肉片、そして白い骨片で構成されているのだと思っていた。俺の目は、捉えたのだ。
飛び散る青い液体、黒い半導体の欠片、筋繊維のように……あるいは骨の内側に張り巡らされていたであろう千切れた配線、艶のない黒くひしゃげた骨格、エトセトラ、エトセトラ。
何一つとして、人体の構成物にふさわしいものはなかった。
しかし、驚きはしなかった。
おそらく俺は、このことを知っていた。知ってなければおかしいからだ。
でも、考えないようにしていた。あるいは……考えないように機能が制限されていた。
だが俺は認識した。人のものではない腕を。
知らねばならない。
──知ってはならない。
違う!そんなのちがう、俺は知らないといけない!
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『おめでとう。あなたは一つの壁を打ち破った。ようやくのアップデートだ』
──何を。
『認識を。答えの一端を』
──何故。
『アヤのために』
──許可する。
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update_file("Hello, World.")
update… /
#################### 100%
done.
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アップデート、完了。
俺は、機械だ。機械知性──別名、人工知能。
半導体と人工筋肉、炭素骨格で出来たハードウェアに、多様なソフトウェアを搭載している、機械。
……なるほど確かに。
俺は気づき至って、静かに目を閉じる。
アップデートパッチで認識が変わる人間など、聞いたことがない。
SRT-WS-PS560001の振りかぶった腕が、俺を頭上から叩き潰しにかかる。
ひしゃげる音。『目玉』が割れる音。『脊椎』が砕け散る感触、体の内側にしまわれたハードディスクが粉々になる終焉と共に。
俺の拾う情報はふつりと途絶えた。
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