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ユアエニイの完全証明  作者: 砂ノ隼
1章
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第1話:ヴァイオレット・ハレーション


何で泣いてるんだろう。ふわふわと掴み所がなく、俺はただ泣いているあの人をぼんやりと眺めていた。


自分の選択なのに?自分の選択だから?よく分からない。


でも、やがては立ち去ろうとする。俺をおいて、どこかへと。


待ってくれ、俺をおいていかないで。


()()()()()()()()()()()()()()()()()


なあ、俺はお前がいないと何もできないんだよ。お前がいるから、俺はここに存在するんだ。だから、どうか、 いかないで────




「アヤ……」


俺が伸ばした手は中空を掴み、そのまま布団へと落ちた。


寝起きでまだ目のピントがあっていない。ピントを合わせつつゆるりと視線を動かすと、そこには鳩が豆鉄砲をくらったような顔をしたアヤが、ぽかんと呆けていた。しかし、それも束の間。いつも通りの────皮肉とからかいと俺が好きな、したりの表情へと変わる。赤い瞳がゆったりと俺を見据え、日焼けなぞしたことがなさそうな白い指が──しかし、苦労していないわけでもなく、随分と骨ばっていて硬い五本の指が、俺の頬へと添えられるのだ。


「寝起きにも名前を呼んでくれるなんて、なんともロマンチックじゃないか。ねえ、タスク?」


そうして頬をついたまま、ベッドに身を乗り上げてくる。アヤにもらったチョーカーがこつこつと叩かれ、あちこち跳ねた彼の白い髪がさらりと俺の腕を伝う。

その仕草自体は可愛いのだが、俺はそれどころではなかった。


「……忘れてくれ」

「いやでーす」

「今のはその、俺も気が抜けてたというか」


なんだいそれ、とアヤはからからと笑い声をあげる。


「じゃあなおさら貴重ってことだ、記念日にでもするかい?9月23日、寝起きのロマンチックホリデー!」


「お前はいつでもホリデーだろう……」


無言で頭をわしわしわしと撫でられた。エブリ・ホリデーの指摘は癪にさわったのだろうか。


9月23日、6時13分。

天井が高くて広い部屋という、素朴に暮らすには身に余る部屋の中で俺はひとつ伸びをした。

外は既に明るくなりつつあって、起きるにはちょうど良い頃合いだ。しかし、まだ薄暗いのも確かで、窓から入ってくる光は弱く穏やかだ。別に早い時間でもない、よくある起床時間。

しかし……


「そうそう!今日はなんとチョコレートの仕入れがはいったらしいんだ。今からもらいに行こうよ、タスク」


動機がなんであれ、アヤが早起きしているのは初めてな気がする。そう、彼は何と万年不健康の万年生活破綻者であるが故に、朝の起床とは最も縁遠い人間の代表と言えるのだ。

あまりに珍しすぎて俺もどうすればいいのか分からない。雪が降るのか?霰が降るのか?いや、もっと適切な降り注ぐものがあったはずだ。そう、例えば──


「明日隕石でも落ちるのか?」


アヤは、ふむ、と指先を顎に当てる。


「隕石が僕らの上に落ちる確率は0.0001%を切っているんじゃなかったか?前に教えてくれた気がするけど」

「これまで0%だったものが出てきたらびっくりするんだよ」

「でも0%と0.0001%の間には、実は天と地ほどの差があるわけだ。そう、無と有。この二つは常に相反し、交わることはないからね」


いつも通り、アヤは理屈を捏ねている。勝てた試しはないが、いつも通り俺は反論を試みる。


「シュレディンガーの猫の話をする必要があるか?」

「あれは現象の重ね合わせだろう?有と有の交わりは容易いものだよ」


負けた。言い返せる言葉がない。これも、いつものことである。


──そう、何事もいつも通りに。


「ついていけばいいんだよな?」

「もちろん!」


アヤの笑顔がパッと開いた。その笑顔は無邪気で、彼の年齢を考えると……似つかわしい、とは言い難いかもしれない。しかし、その無邪気さこそが彼を支えている。


「普段の僕は出不精であり、自分から外に出ようとは思わない。しかし……外出への意欲が芽生えた以上、無碍にはしたくないわけだ」


指先をくるくると回しながら、アヤはそれらしい言葉を並べる。



「大事にしたいと思わないか?僕の珍しい外出欲というやつを」


こういう時は、大体自分のお願いがちょっとズレてるんじゃないか?と思っているそうだ。アヤに聞いたから間違いはない。

だが、俺からすればそんな心配は不要なのに、と思う。


「大丈夫、分かってるよ」


お前の願いだったら、何でも聞くつもりだから。


実際、別に何の問題はない。

アヤが起きれば自然と目が覚めることが多いし、普段は過眠気味のアヤが健康的に起床したのならそれは喜ばしいことだからだ。


「ほら、座れ。髪結ぶから」


鏡の前で椅子を引く。アヤを座らせた後、俺は櫛を持った。

今日も今日とて枝毛だらけで櫛も通りにくいが、本人は気にしていないようなので俺も気にしないことにしている。


そう、アヤにぼさぼさにされた分も、アヤがぼさぼさの分も、俺は自分の手で整える。

起床後のルーティーン。毎日の約束。


「ありがとう、タスク」

「こちらこそ、今日もありがとう」


浮世離れ、生活破綻者、掴み所なしの三点が揃った、食わせ物。

そんな彼を世話する俺の、何気ない日常。


今日が、9月23日が始まる。これといって、昨日と変わらないのであろう1日が。


それでも、決して飽きることも無価値になることもない、幸せな1日が。

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