第15話:チョコレートメイズ
9月23日、4回目のカフェスペース。変わらずの青空、変わらずの心地よい海の風。
唯一変わったものがあるとすれば……俺の心境。何も分からなくなったという変化が一つ。そして……ああ、唯一ではなかったか。もう一つの重要なこと。
「突然抱きつかれるのは心臓に悪い。良くない。本当に良くないよ」
「ごめん……」
アヤが非常に不機嫌だった。ふざけて頬を膨らませたりなんてこともせず、ただむすりと押し黙って、チョコレートを片手で弄んでいる。
何故、アヤは不機嫌なのか?俺が、何かをしてしまったのか?分からない……また分からないことが増えてしまった……
今回既にやったことと言えば……ハグ?あれは他のループではやっていないはずだ。しかし、抱きしめ合うことぐらい何度もしてきたし、アヤも好んで求めてきたはずなんだが……
何も分からずにぐるぐると思考が巡り続ける俺をよそに、アヤはずっと未開封のチョコとにらめっこしている。なんだ。どうしたっていうんだ。アヤが甘味に手をつけないなんてこと、あり得るのか。
そんなにだめだったか、ハグ。ハグが問題であるはずがないけれど。
「……タスク、何か変わったことは?」
「え?」
「何でもいいよ。隠れて僕以外の奴と会ったとか、これから僕以外の輩と落ち合う予定があるとか……」
アヤの俯き姿勢は、前髪の長さで目が隠れてしまう。口元が笑っていても、目が笑っているとは限らない。
机に置かれた手が、彼の中指が、と、と、と苛立たしげにリズムを刻んでいた。
「後はまあ……あり得ないだろうけど、変なもの食べたとかでもいい」
変わったこと。俺は、何か変わってしまったのだろうか。
確かに俺は、何も知らないことを知ってしまって、それでアヤに対してどうやって言葉を紡げばいいのか分からない状態だ。
でも、これは本当に変化なのだろうか?仮に変化だとしたら、それは俺にとって……いや、良い変化か悪い変化かを断じることもできないか。アヤにとって、何か問題がある……ということなのだろうか。
さて、なんと答えれば良いのだろう。
既に俺は、正直に話してしくじることを経験している。
「昨日のタスクと、なんか違うよね。ずっと黙ってるし、変なことするし」
「変なこと、って……ハグはいつもするだろう」
「……ハハ。そうだね」
アヤは手先でチョコをくるくると回している。
だいたいこうなったら、完全に興味がなくなった証拠だ。
俺よりもアヤのほうが変わってるだろう。なあ……
「食べる?チョコ。なんか気分じゃなくなっちゃった」
……?
「俺は食べない、けど……」
「どうして?何で食べないのさ」
どうして、って……どうして?何でそんなことを聞くんだ?
「それはアヤが食べるもので、俺のものじゃない」
アヤの指先でくるくると回るチョコが、かたんと机に落ちる。
「……」
「食べる気がないから冷蔵庫にいれておけばいい。明日にでも……」
────明日は、来ないのに?18時から先に進むことなんて、今の俺にはできないのに?
────明日は、来なければならない。アヤとの日々は、終わってはいけない。
「明日にでも食べよう。別に今日急ぐものでもない。1週間かけたっていいんだ」
そもそも板チョコレートってのは、1日で食べるようなものじゃない。そっちのほうが正しい食べ方であるはずだ。
だからどうか。
変なことを聞かないでくれ。
「……つまんないなあ」
ぼそりと呟きながら、アヤは机に落ちたチョコレートをコートのポケットへとしまった。
つまらない……?確かに、面白みのある回答ではなかったかもしれないけど。
「まあいいや、確かにそうだ。悪かったよ」
それきり、アヤは黙ってしまった。
本当に、喋らなくなってしまった。
「……」
「…………」
変わらない青空、変わらないカフェスペース、変わらず吹く、ぬるい風。
何か、変わらないものか。
いっそここで世界が割れたら話が始まるかもしれない。だがそんなことはそうそう起きるものではない。起きてたまるか。
「…………何か、喋らないか?」
「喋る気分じゃない」
「……そうか」
一蹴された。そんな。
再びの沈黙。
気まずい……のだろうか。話を続けないといけない気はするのだが、何を振っても今度は無視されそうだ。
あえて……ずらしてみるのは……どうだろう……?
「しりとり、しないか?」
「……………………なんで?」
声色が変わった。核心に迫ったから声が一段低くなった……というわけではない。呆れ声である。意味が分からんと思われたのである。だがしかし、ここで引き下がるわけにはいかないのだ。
「これはもう完全に会話の墓場だ。しかし俺は会話を続けたい」
「……はあ」
反応は引き出せた。よし、やろう。しりとりでもなんでも続けるんだ。
「はい、しりとり」
「リン(原子番号15番の元素。Pと表記される)」
…………
終わった……
いや、すぐに終わらせてたまるか。
「ンムクジアンダギー(オキナワの特産品。練ったサツマイモの揚げ物)」
「……うわ」
アヤが露骨に嫌そうな顔をする。ちょっと凹んだが、へこたれるわけにはいかない。
しりとりが「ん」で負けたらいけない理由は、日本語において「ん」から始まる単語がないからだ。
つまり、「ん」から始まる単語がありさえすればしりとりは続けられるということ……!
「……銀(原子番号47の元素。Agと表記される)」
「ンジャナバー(オキナワ特有の野菜。ニガナとも表記される)」
「バン(禁止を意味する言葉。BANの表記はゲームにおいてよく用いられる)」
「ンブシー(オキナワの料理カテゴリ。汁気が多めの蒸し料理をさす)」
「sin(宗教・道徳・倫理上の罪、あるいは罰当たりなこと)」
「ンジャメナ(『チャド』の首都。経度:12.1348 緯度:15.0557)」
「ナン(窯焼きされたフラットブレッドの一種。西アジア、南アジアで主に食される)」
「ンゴロンゴロ保全地域(『タンザニア』北部に位置する自然保護地域。ンゴロンゴロはスワヒリ語で『大きな穴』の意味)」
「金(原子番号79番の元素。Auと表記される)」
すごい終わらせようとしてくる。
「そんなにしりとりが嫌か、どうしてだ」
はあ、とアヤの顔が呆けた。
「君がしりとりに固執する理由の方がわからない」
……………………たしかに。
「…………ごめん、俺も分からない……」
「何をやってるんだ君は……」
アヤはもう一つ大きなため息をついた。わざとらしさはなく、ただ彼の中でひと段落がついたといった、そういうものを。
「……なんかどうでもよくなってきたな。僕は帰るよ……」
「ああ……」
とりあえず会話が続けばいいというものでもない。当たり前の話だった……
椅子を片付けることなく、ポケットに手を突っ込みながら帰るアヤの後ろ姿を、俺は見送ることしかできなかった。
ただ、俺もここに残っていても意味がない。家に帰ったほうがいいだろう。俺はアヤが出しっぱなしにした分も椅子をしまって、カフェスペースを後にした。
……ハグだけでここまで行動が変わるなら、もっと早くにやれば良かったのだろうか。
苛立ち、怒り……そういった負の感情が明らかに漏れ出ているアヤを初めて見た。
……俺は、してこなかった……のか?そういうことを……
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