第14話:白の宣告
俺は、夢を見ない。
望むものはない、固執するものもない。
整理すべき過去があるのかどうかは、わからなくなってしまったが──
俺に夢は不必要だ。これからも。
それはきっと────
────いや、こんなことを考えている場合じゃない。
そもそも、夢とはお前が見るべきものだ。
俺が夢を見ることなど、想像もつかない。
いいことなのか悪いことなのかも、分からないけれど。
それでも、願う。お前の平穏、安寧、変わらぬ明日を。
おやすみ、アヤ。
良い眠りを。
良い夢を。
素晴らしい人生を。
「いやあ、たまには外に出るものだなあ!」
「お前はこの海辺が好きだからな」
「うんうん、波の音と穏やかな風だけに包まれる体験は中々できないからね」
17時の終わり頃。熟睡を経て元気いっぱいになったアヤと共に外を歩いていた。
俺はと言えば……アヤを抱き枕にしたことで効果はあったのか、ぐるぐると巡って離れなくなった思考を洗い流すことはできた。
しかし、目の前を踊るように歩く姿は……これまで通り、何も考えずに綺麗だと仰ぐことはできそうにない。
「うるさいものもない、いやなものもない……君と二人きりになれて良かった」
それでも、海風に吹かれながら振り返って微笑む彼の姿はやっぱり綺麗で。考えなくたって、アヤが綺麗であるのならそれでいいじゃないかと思う自分もいて。余計に何も分からなくなるのだ。
「……前までここにいたやつらは、邪魔だったのか?」
だから、質問を重ねることで何かが分かったら、なんて。
結局、俺とアヤを繋ぐものは会話だ。何で繋がれているのかも不明瞭だけれど、俺たちが重ねてきた会話だけは事実として過去から連なるものなのだ。
「静かな方が好き、うるさいのは嫌……だから、いない方が嬉しい……アヤはそういうが、俺はいまいち理解し難い感覚でさ」
「うーん、邪魔……とは違うな。君以外は全て無価値だから。あってもなくても、いてもいなくても、大差がないんだ。ただ、そういったものは無い方が都合良い。君も同じだろう?」
過去にも似たような問いかけをして、こんな答えが帰ってきたことがあった。
『まず、僕は静かな方が好きだ』
『結局、騒がしさの90%ぐらいはかろうじて無視できる無価値なもので、9%は確実に僕に害なす面倒ごと……』
『1%は早々にこの世から消し去るべき害。そういうものだよ』
『それと、僕はタスクと話すのが好きなんだ。ここは勘違いするべきじゃない』
『僕にとって、タスクの声以外の音は全部無価値だ。君だって同じだろう?』
その時はまだ何も始まっていなかったし、問いかけの内容を重く受け止める必要もなかった。だが、その言葉にも背景はあったはずで。その背景を考えることが出来ていたら、俺は殺されずに済んだのだろうか。
「同じと言っていいのかどうか……なんというか……」
「ふむ?」
アヤが小首をかしげる。俺が言い淀むのは珍しいからだろうか。
「確かにアヤ以外はいてもいなくても大差ないかもしれない。だけど、アヤの実りになるなら、いてほしいんだ」
「……」
黙っているアヤは、風に吹かれて夕日に照らされた髪がきらきらときらめく様は、やっぱり綺麗だ。
アヤの微笑みが崩れることはなかった。
「うん、素敵な考え方だね。いいんじゃないかな」
笑っている、以外のことは、何も分からなかったけれど。
……。
やっぱり、アヤのことが分からない。それを自覚してからの会話をどうするべきかも、分からない。
時間が迫っている。
せめて何か、何かをつかめたらいいのに。
しばらく無言で2人して歩く。何か喋らないの、とばかりにアヤが俺の袖の先をつまんで引っ張る。俺だって何か話したいよ。でもどうすれば。
────ふと、俺は『何も始まってなかった頃』の会話を思い返して、それが今なされていないことに気づいた。
「……今日は、秋分の日だ。昼時間と夜時間が等しい日。日本では、この日を基準に彼岸送りを設定した。人は、親しいものを失った悲しみを癒し未来に繋げるために、死者を弔う文化を発達させたという」
「……ふむ、そうだね。此岸も盆も同様に、死者を名目にした生者のためのイベントだ。それで?」
本当はアヤが聞きたがっていたこと。だからか、アヤの目つきは興味津々だ。ありがとう、聞いてくれて。ならば、せめて。
「俺が死んだら、お前は悲しむのか」
せめて一つだけでも知りたかった。俺にとっては過去であり未来でもある、世界が割れる瞬間。
その時にアヤは何を思ったのか。これから何を思うのか。それだけでも。
何で殺すのかはアヤが主体の質問だから聞けないかもしれない。だが、俺個人の死はどうだろう?これなら答えてくれるんじゃないか?……答えてくれたら、嬉しいよ。
「別に、墓を用意してほしいとか、毎年墓参りしてほしいとか、俺の死を看取って欲しいとか、そういうのじゃないんだ」
「……」
「ただ、お前は俺の死をどう思うのかが知りたい」
お前の感情の動きだけでも、はかりとることができたらって。
「……君からそんな質問が来るなんてね」
「頼む、教えてくれ」
アヤは押し黙った。二人してしばらく海風に吹かれて、やがて海風も弱くなってきて。凪いできた頃────18時が、終わりの時間が近づいてきて。
ようやくアヤは口を開く。
「じゃあ、君の質問に答えよう」
──残酷な現実をともなって。
「悲しまない」
そうか。悲しまない、のか。
「君が死んだところで、此岸送りも彼岸送りもしない。仏壇自体がスペースの無駄だし、盆でわざわざキュウリやナスを加工したりなんてしない。墓も建てない。君が大事故でどこかに運ばれたところで、僕は見向きもしないだろうね」
見向きもしないのか。それは……それは。
「……それは、どうしてだ?」
「無意味だからだよ。その行為の全てが」
アヤの微笑みは崩れることなく。極めていつも通りに。なんてことはないように。アヤは淡々と言葉を連ねていった。夕日が、眩しい。
なるほど。俺が死んでもアヤは悲しまないから、俺はこの後殺されるのだろうか。
俺の死を悼む行為の全てが無駄だから、俺を殺す選択が取れるんだろうか。
「じゃあ、もう少し認識を改めてもらえるように頑張るよ」
────俺が死んでも悲しまないやつのために、頑張る?してあげられることを何でもする?
……何故だ?
何故。自分のことなのに理解が及ばない。
「いいや、もう頑張らなくていいよ。でも、この言葉をさいごに言えて良かったな。すっきりした。ずっと言えなかったんだ……ありがとう、タスク」
アヤは俺から視線を逸らして、向こうを見た。水平線の向こう、アヤのいない場所、俺にとって無価値な場所、俺の、知らない場所を。
────そうして、18時がやってくる。
鳴り響く轟音、地響きと共に、俺はバランスを崩して転んで、動けなくなって。仰げば空に入った大きな割れ目が、真っ白に輝いている。
世界が壊れる。数多の水柱、飛び散った水滴がいくらか俺の頬へと降り注ぐ。何もかもが分からなくなった中で、刻限は無慈悲にやってくる。──ああ、本当に慈悲がないよ。白いものってのは、何故こうも残酷なのだろうか。
いつだって答えを出せる準備があったはずなのに。
いつでも応えられる存在でいたはずなのに。
どうして今、俺は呆然と空とアヤを見上げることしか出来ないのだろう。
「……ちょうど、君が死んでも悲しまないと言ったところだったね」
アヤは俺が死んでも悲しまない。
「そういうわけだから、タスク」
悲しまないから、殺す。
「ごめんね」
振り返ったアヤの表情は、穏やかそのもので。
ああ、こんな顔で人が殺せるのなら、ためらいなく銃を突きつけることができるのなら。
後腐れがなくていいだろう、どうか俺のことなど忘れてお幸せにと。そんなことを思った。
引き金が引かれる。銃声。
ブラックアウト。無。なにも、なくなる────
?-??? --- -??-? ?-? -?-? -??-? ?-? ???- ?-? ?-?-- --?-? -??- -? -- ??-?? ?? ??- --?-? ?-?-- ???- --- -?--? ?-?-? -? ??
かくして、俺は何も分からなくなってしまった。
何が、正しいのか。何が、隠されているのか。
俺は、そんな段階に立ってすらいなかった。
分からないことが、分からない。知らなかったことを、知らなかった。
そんな状態から、何ができるというのだろう。
それでも俺は目を覚ます。タイムリープの力をもって。
あのムカつく何者かの手先として────
「おはよう、タスク」
「……」
変わらず合わない、寝起きのピント。視線を彷徨わせれば、そこにアヤはいて。
アヤにピントを合わせると、おやおやとでも言いたげな挑戦的な微笑みを讃えていた。そのままベッドに乗り上げてきて、俺のチョーカーをこつこつと叩いてくる。
「あれ、なんか元気ないね。なんだ?普段から僕の健康を気にかけてる癖に風邪を引いたのか?困るなあ〜」
その微笑みは、行動は……愛情表現は。本物か?偽物か?そんなことを判断する材料なんて、俺は持ち合わせていないんだけれど。
「……ちょっとさあ、何か言いなよ。黙ってばかりの君はちょっと気味が悪いんだけど?ねえ、え、わっ」
それでも俺は、アヤを抱きしめてしまうのだ。
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