第13話:インビジ・ブルー
「ハッ……」
リビングのソファの上で俺は目を覚ました。電気は消えたまま。つけっぱなしのスクリーン上では、放置された1PWIN!2PLOSE...の表示がちかちかと輝いている。
何が起きたんだ。急に眠くなってしまったのは覚えている。寝落ちなんて俺らしくもない……!
隣を見やると、アヤは俺にもたれかかったまま寝ていた。そっと横たえても特に動く気配がない。熟睡だ。これもまた、珍しい。
……待てよ……熟睡なら……できることがあるんじゃないか……?
「凶器の発見……」
俺を殺した『銃』を探したい。今アヤが持っているのか、どこかに隠されているのか……何にせよ、銃を取り上げることができれば俺は死なずに済むかもしれないのだ。
あるいは、知るべきことにもたどり着ける可能性がある……熟睡時に出し抜くのは俺のアヤに対する申し訳なさが非常に強いが、それ以上に真実への衝動が勝っているからには行動をしよう。まずはアヤのボディチェックからか……?
しかしふと、俺は七日分の洗濯物のことを思い出した。アヤが積み上げた非衛生的衣類の山。あれは……どうしよう?まずは洗濯を回すというのはどうだろうか?
こんな時に洗濯物を優先するのもどうかと思うが、やるべきことを残したままにするのは何とも気分が悪い。しかも原因は俺の寝落ち。全ての責任は俺にあるのだ。
先に……洗濯物やるか……
アヤをそっと横たえ、立ち上がってリビングから出ようとして──
──俺の体はぴたりとも動かなくなった。
『その必要はない。銃は実在しないからだ』
は?
『行動を見守るつもりだったが、貴方があまりにも不出来であるため並んで協力することにした』
え、は?
『貴方は本当に真実を解き明かす気があるのか?洗濯物を畳んで何になるのか?何故律儀にチョコレートを食べるだけの行為に付き合う?ゲームプレイによって何が引き出せるのか?アヤはゲームプレイを心底楽しんでいたようでそれは何よりだがそもそも真実を知るには手段として弱すぎるとは考えなかったのか?』
……は?
『そもそも貴方はアヤがチョコレートを丸々一枚食べることを三度も許容した。なんと許しがたいことか。おそらく四度目も許容するだろう。愚かなり。仏の顔も三度という言葉を知らないのか。彼の健康に気を配るなら教養と注意が必要であり──』
『いや待て、待ってくれ!言いたいことがあるのは分かったけど何が何だか!』
ただ聞こえるだけじゃない、頭の中に直接流し込まれている感覚。何だこれは。一体何がどうなっているんだろう。
!
待てよ、これだけの大声出したらアヤに聞こえるじゃないか!それは流石にマズい!
俺は慌ててアヤへと視線を移した。眠りの浅いアヤは少しの物音で起きてしまうところがある。起こすのも申し訳ないし起こしたら調査どころではなくなる──
「……むにゃ……」
起きて、ない。アヤはぐっすり眠ったまま何やら寝言をぼやいていた。もしかして、聞こえてないのか……?
『肯定する。貴方の「発言」は現在私と繋がっている。この状態では、どれほど大音量で言葉を発したつもりであっても現実に音は出ていかない』
『……はあ』
『……同様に、私の声もアヤには聞こえない。この点について、認識願いたい』
認識しろと言われても……ううむ。
しかし、今できることはそれしかないようだ。謎の声が聞こえていること、俺の声が外に聞こえていないこと、それは事実であって。
今の俺がこの状況を理解できるだけの前提と知識を持っていないとしても、事実は事実として受け止めるべき……なんじゃないか?
『理解の早いポンコツで助かる』
『それはポンコツと呼べないだろう』
しかもさっきから心の中まで読んでくるし。なんなんだこいつは。試しに、馬に乗った宇宙飛行士のアヤの姿でも想像してみるか。
『……?何を考えている……?』
……よし。なんだか『してやった』感が出たところで、俺は話を進めることにした。
『それで?お前は、何者なんだ』
『……』
『何が目的だ?何を手伝ってくれるっていうんだ?俺を助けるとして、お前には何のメリットがある?』
『…………』
長い沈黙だった。姿形が見えないものだから、いなくなったところで区別のつけようがないんじゃないかと思う。だが、それは口を開いた。自分は真摯で信頼できるものであるとでも暗に伝えてくるようだった。
『────私は、アヤの味方だ。タイムリープを貴方に授けた者であり、アヤと貴方を救い、9月23日より先の未来にたどり着くことが目的だ。これ以上の表明が必要だろうか?』
……これだけ聞いたら、何のこっちゃという話だ。
こいつが、俺にタイムリープ能力をくれた。こいつは姿形も正体も何も分からないが、とりあえずアヤの味方であり、俺を助けてくれる。目的は、ほぼ俺と一致している……
『それは、信じていいんだな?』
『真実である。言葉以外の保証はできないが』
……何ともムカつく物言いだが、ひとまずこれで理解を進めよう。俺は選択肢を獲得できればいいんだから。
『無論、他に質問があり、その答え次第で信じる信じないを変えるならその限りではない。だが、貴方のためにわざわざ行動を起こしてやったことへの意味を考えるように』
やっぱこいつムカつくな。
とはいえ質問できるのはありがたいことだ。質問OKと向こうが言ったんだ。重要そう、かつ重めの質問をいくらか投げてやろうか。さて……そうだな。
『タイムリープの仕組みについて答えられるか?』
これは一番気になっていたところだった。現代の科学では達成し得ないその技術の中身はどうなっているのか。アヤが気になりそうな話だから?それとも……俺自身の好奇心?対抗心?いずれにせよ、聞いてみたい。
『悪くない質問といえる。仕組みについては……』
『ふむ』
『11次元への干渉による多次元レイヤー圧縮および包括性質を持つ観測世』
『ごめん。聞いて悪かった。もう分からん』
無理だ。何言ってんだ?11次元が何で出てくるんだろう。俺の頭がゆらいでしまう。
『……チッ』
こいつ舌打ちした……
しかし、説明を求めておいて説明がわけわかんなかったから遮ったのは素直に俺が悪いのではないだろうか。
『ごめん。とりあえず他のことについて聞いていいか?』
『ふん、殊勝な態度でよろしい』
『お前の態度は全然殊勝じゃないけど』
さて。次は理解できないことじゃなくて、今すぐ理解したいことを聞いてみるか。
『お前の立ち位置は理解したが、具体的な素性が分からない。そこから教えてくれるのが筋というものだろう』
これもまた、沈黙の時間が訪れた。しかも、沈黙を破った言葉は……
『明かさない』
これだけだった。は?
『はあ?』
『本当は協力するつもりもなかった。私から明かす義理はない』
なんなんだこいつ。だがムカついていても仕方がない。利用できるものは利用していかないといけないのだ。
『確かに、お前の助けがなければ俺はもう死んだまま何も知りえなかった。でも、助けが必要なのはお前も一緒だろう。協力することは、一方的にこき使うことじゃない。違うか?』
これは、ムカつきとは関係ない、俺自身の考えだった。協力において必要なのは互いの信頼関係だという。これ自体は真実であると思うが、この際信頼関係はなくてもよくて、最終的に互いに何かを得られたらそれでいいと割り切ってはいるのだ。
だが実際はどうだ。信頼どころか前提が何も共有されない。これでは協力も何もあったものではない。その状態でこき使われるのは、非効率的だし、何より、互いにムカつくだけでは?多分、俺がこいつにムカついているように、こいつも俺にムカついているのだろう。でなければこんな態度を取る理由がない。
『……本当は、私の素性を貴方に伝えることができないだけだ。機会がきたら必ず教えよう。約束する』
『伝えられない、ね……』
『不信感があるか?』
『もちろんだ。真に協力できる未来が訪れることは、願っておくけどな』
『私も貴方を信用しない。そのような素敵な未来も願うだけ願ってなるべく無視する。あいこだな』
『じゃんけんのルール見直してこいぶっ飛ばすぞ』
やっぱだめだ。こいつクソだ。だが我慢しなければならない。がまんがまん。
『……それで、俺の役割は?タイムリープ機能をくれたお前に対して何を提供すればいい?』
これさえ明確になれば、信頼関係もへったくれもなくこき使われても問題はないはずだ。俺は選択肢を、こいつは何かを得ていい感じに終わる。その指標を得たいところだが、はたして────
『アヤの側で情報を集めることだ』
それきりで言葉は途切れた。
……え、それだけ?
『いつも通りでいいってことなのか?』
『その通り。私はアヤへの接触ができない。前述の通り、会話もかなわない。アヤの情報を得るためには、貴方の行動が必要だ』
随分とハードな御前提をお持ちのようだった。味方なのに、接触ができないし会話もできない?それはまたどういう状況なのだろう。
そもそも情報を集めるとは、何だ?もしかしてこいつは……
『ふん、お前はアヤのことを何も知らないのか』
それは、可哀想なことだ。アヤを知らないのに味方になるなんて、難しいことだ。アヤを知っていることは、この世で最も素晴らしいことなのに────
『それは、貴方も同じはずだ』
────は
『貴方も、アヤのことを知らない。果たして、どれだけのアヤを貴方は知っているというんだ?』
『俺、は……』
生活破綻者で、俺がいなければ死ぬかもしれない人。
話好きで、俺と毎日喋る人。
不健康で、病気をわずらっていて、俺の助けが必要な人。
甘いものが大好きで、俺と一緒に食べたがる人。
俺のことが好きで、俺と一緒にいる時間が好きで、俺と……
俺、と…………
─────それだけが、人間の全てか?
これだけしか知らない。おかしい。何で俺は、この様でアヤの理解者を名乗っていたんだ?
幼馴染というが、俺はアヤの小さい頃を知らない。
気がつけば一緒に暮らしていたけれど、それまでのことは何一つ思い出せない。
何で、そんなおかしな状況にすら疑問を抱いていなかったんだ?
『俺……は…………』
『アヤは何かを隠しているのではない。貴方が何も知らないだけなのだ』
アヤは、何も隠していない。
『目指す先は同じだ。互いに信用がなかろうと、協力するしかない』
俺が、何も知らないだけ。
アヤは、何も隠していない。俺が何も知らないだけ……
『……』
『酷な事実だが、受け止めたようで何より』
『……とりあえず、色々考えさせてくれ……』
『……許可する。タイムリープがある限り、悩む時間も与えられる』
悩む時間が与えられる。そうか。迷ってもいいのか。
俺がアヤのことを知らなくも、回数を重ねれば分かるものが出てくるってことなんだろうか。
…………。
「……なあ」
「……ん、ぅ……?」
「!」
俺は慌てて口を抑えた。あいつ勝手にどっかいきやがった……声出しちゃったじゃないか。アヤが起きるところだった。
しかし幸運にも、アヤは起きなかった。耳をこらせば何やらむにゃむにゃ言っている。
そっとアヤを抱きかかえる。いつもならこれでも起きてしまうけれど、大丈夫そうなので安心した。
そのままベッドへと彼を運ぶ。俺も横になる。
────考えがまとまる気がしなかった。
『俺はアヤの何を知っているのか』──それが分からないというのはつまり、お前が何者であるかも分からないということだ。
『お前が何者か』……そんなこと、考える意味すらなかったのだから当然か。アヤは、アヤでしかなかった。気ままで好奇心旺盛な、寂しがり屋。それ以外の『情報』なんて、俺は要らなかったんだ。
「……すー……すー…………」
そっと彼の頭を撫でる。背中を撫でさするために距離をつめる。アヤの顔が目の前にある。寝顔は無垢そのもので、平穏の象徴だ。
いつもなら、これに満足して眠れたはずなのに。
さっきまで何を考えていたんだろう。ゲームで楽しんでくれたのは本物だとしても、他にはどんな『本物』があるのかなんて、俺に分かるはずもないのだ。
今は、どんな夢を見ているのだろう。夢見が悪いというお前は、その夢の内容を教えてくれはしない。その意味を俺は、考えるべきだったのだろうか。
────お前は、一体何者なんだろう。
……だめだな。考えても分からない時は、眠るに限る。
たまには、俺がアヤを抱き枕にしてもいいだろう……




