第11話:チョコレートフェイズ
「幸せだ……」
9月23日に海辺のカフェスペースに座るのも、これで3回目。変わらず海風は穏やかに吹いている。そして、アヤも変わらずチョコ片手にとろけている。
こんなアヤを見ていると、やはり全てがどうでも良くなってくる。しかしこれは本当に危ない。アヤから情報の引き出し方を間違えた瞬間に俺は死ぬのだから。
死んでもやり直すことは出来る。しかし、それで獲得できない情報があったらどうする?なるべく死は避けるべきだ。
……それでもできることは、会話だけ……だけれど。
「チョコレートって、食べるとどれくらい多幸感出るんだ?」
「そういうのって君の方が詳しいんじゃないか?確かに僕は今幸せな気持ちを噛み締めているが、自分の中で対比を作るのは難しいな」
まあ、確かに。世間話として話題を振ってみたが、俺は自分が持ち合わせている知識を思い出してみることにした。
ふむ……チョコレートの多幸感には要因が色々あるな。
「お前のチョコ、カカオ何%だ?」
「どれどれ……」
アヤは、くしゃくしゃに丸めていたチョコレートの包紙をせっせと広げていた。折り目で文字が読みにくくなったらしく、ぬー?とうめきながら顔を近づけている。かわいいやつめ。
「……20%みたいだ」
20%か。ほとんど砂糖と牛乳のミルクチョコレートってところだろうか。
「相変わらずの甘さ至上主義だな……カカオ含有量高い方が精神安定に繋がりやすいらしいぞ」
「えっ、そうなの?」
「砂糖で得られる幸福感は長続きしないからな。本当は半分以上カカオ入ってるやつの方がいいかもしれない」
それを聞いたアヤは、露骨にいやそうな顔をした。
「苦いのはいやでーす」
いーっ!とささやかな威嚇までされた。かわいいやつだな。
「それは知ってる。まあ、たまにしか食べないものに健康を意識しても仕方がないか」
別にかわいいやつだから許してるわけではない。実際問題、たまにしか食べない嗜好品にまで健康を意識したらやりすぎだとも思うから、許してるのだ。本当にアヤがかわいいかどうかは関係がない。たぶん。
「そうそう。たまには何一つ自分を顧みぬ行為も必要というわけさ!明らかに体に悪いものを摂取する時の高揚感も、乙なものなんだ」
だから、アヤの言うこと自体はごもっともである。たまには体に悪いものを摂取すること自体が精神の安寧に繋がることもあるし、気持ちの高揚感というのはとても重要だ。
だが、それはそれ、これはこれというやつである。
「でも、お前はもっと自分の健康を顧みた方がいいと思うよ……」
前回前々回とチョコをまるまる一枚食べるのを許した身分で、言えることではないのかもしれないけど。
しかし、アヤとしては気になったのはそこではないようだった。
「えー、健康ってそんなに大事かな?」
チョコを半分食べ切ったアヤは、微笑みながら首をかしげる。
ものすごく、根本的な問いである。そう切り返されると、アヤが納得できる答えを返すのが難しくなるな。
「健康を維持すると長生きできる、健康を維持するとより良い生活が送れる……でも僕は長生きしたいわけでもないし、もっと良い生活が送りたいわけでもない」
指先で机の上をなぞりながら、アヤはとうとうと語る。
「健康なら、健康なら、というけれど、残念なことに健康になれた試しなんてないんだ。だったら程よく満足できるだけで儲け物さ」
君がいて、僕がいる。これだけで満足なんだよ。
アヤの指は、俺の手の隣でぴたりと止まっていた。
「君はどう思う?この考え方。健康推薦大臣様としての反論があるなら聞きたいな」
それがアヤの考え方なのか。そうだな。
アヤ自身の哲学に則れば、それが正解なのだろう。それを否定するつもりはない。だから……
「反論はしない」
「ふむ?」
「でも、俺としてはもっと長く隣にいて欲しい。だから俺なりのベストを尽くすよ」
これが、俺の出す現時点での答えということになる。
「俺はずっとアヤを心配するだろうけど、それは俺がそうするべきだと思ってそうしてるだけだから。結局アヤの意志とは関係なくなるのは、申し訳ないと思う」
結局、俺が殺されるのを止める……というのもそうだけれど。俺が勝手にベストを尽くしたいだけ。アヤとの明日を選びたいのも、選択肢がほしいというのも、俺がそうしたいと願っているだけでアヤの意志は何の関係もない。
だが、アヤと一緒に過ごすことが、俺の中で一番大切なもの。この点において、譲るわけにはいかない。
だが、この考えの全てがアヤに伝わる必要はないと思う。
「心配、ねえ。僕のことで心配すること、そんなにある?」
……伝わらなさすぎるのも考えものだが。
「……いっぱいあるよ……」
「はは、それはそうか。最近だと……どこに目をつけた?」
アヤが机を手の甲で叩く。
「まさか健康に気を遣おうという意志が……」
「芽生えるわけないでしょ〜、ただの興味だよ興味」
なんだ……残念なことだ。
「そうだな、そもそも朝6時に起きてることが異常だから心配はしている」
「あー、まあ。確かにそうだね」
ふむ、歯切れの悪さと動揺……何かあるのか?あまり突っ込みすぎるとまた殺されてしまうだろうから、この会話を続けるだけ続けてみようか。
「なんだ、チョコが届いてるからって眠れなかったのか?遠足前日の小学生じゃあるまいし」
「えぇ……なんだいそれ……」
アヤの呆れ声。初耳かつ、くだらなさが興味に勝ったらしい。まあ……俺もよく分からないんだけども。
「遠足、旅行……そういう楽しみなことが明日だって考えると興奮して眠れなくなるらしい」
ふむ、とアヤが考え込む。やがて、訳が分からないとでも言いたげに顔をあげた。
「よりによって日頃から過眠状態の僕が?」
「体力もないからすぐに疲れて眠りがちなお前の話だな」
「それはないな」
「そうだな」
そりゃそうか。前提からしてミスマッチすぎたな。
「じゃあ、お前は自分の意思で朝6時に起きたってことか?」
「実はそうなんだよ。偉いだろう?」
ふふん、とアヤは鼻をならす。確かに偉いことこの上ないので、小さく拍手を送っておいた。
「偉い。偉いけど理由が気になる。やはり健康の大事さを……」
「理解するわけないでしょ。チョコが早く食べたかっただけだよ」
チョコ食べたさに早起きできるなんて、よっぽどチョコに食らいつきたかったんだろうか。アヤの中にもまだそこまでの食欲が眠っていたなんて……
「……そうなると、逆にちゃんと眠れたかどうかが心配になってくるな……」
俺の中に新しく芽生えた心配を、アヤは軽く手であしらった。
……視線を逸らしながら。
「ちゃんと眠れた日なんてものが存在したら僕は不健康ではないのかもしれないよ?寝つき、早すぎ。夢見、悪し。寝起き、ぐだぐだ。よっていつもの僕です。残念だったね」
「本当に残念だよ……」
アヤはそこまで嘘が得意じゃない。
そもそも俺としか喋らないのだから嘘は基本的に不要ではある。だからか、込み入っていない嘘をつく時はたいてい分かりやすいのだ。よほど隠したいことがあると、視線を逸らしてしまいがち。
アヤは、チョコを楽しみにはしていた。それは間違いない。しかし、チョコ食べたさに早起きしたわけじゃない。寝起きも悪かった。しかしアヤはそれでも起きてきた。おそらくは強い理由があったのだ。
……アヤの嘘に敏感になりすぎるのも考えものだけど。これから先に疑わないために、今は疑うしかない。我慢しよう……
「君の心配事はそれだけかい?折角ならここで出していきなよ」
「楽しいから?」
「それ以外の理由があると思う?」
「楽しいなら何よりだよ」
アヤはチョコの丸めた銀紙で指サッカーをしている。機嫌はいいみたいだ。だが、迂闊に踏み込めば前回のように急激に機嫌を損ねて殺されてしまう可能性がある。しかし、単に会話を続けるだけでは得られる情報は少ないだろう。
心配事、か。……いけそうな範囲で踏み込んでみるか。
アヤ自身を疑わず、何かを引き出せそうな質問……
「俺に足りないところがないかどうか、かな」
アヤの指先がぴたりと止まった。自身を蹴り上げる指を失った銀紙が、ころころと机の下へ落ちていく。
「……それはまた、どうして?」
声色が変わった。まずい質問をしてしまったのかこれは。
ええいままよ。
「アヤのために出来ることは、何でもしたいから。もし俺の何かが至らないのなら、謝るし改善したい」
……やばいところまで喋った気がする。どうだ?どうなんだ?
目を凝らしてアヤの手元を観察する。……10秒の沈黙の中で、銃が握られることはなかった。
「……うーん……君ほど完璧な同居人もいないと思うけどね……」
「ならいいんだが……」
腕を組みながらわざとらしく考え込んでみせるアヤの姿は引っかかるものの、殺されなかったことに俺は安堵した。失敗が許されるとはいえ、正解を引いた方がいいに決まっている。何事においても。
「僕のための向上心と僕への労りにあふれ僕を常に第一に考えてくれる……」
腕を組みながら、目をつぶるアヤ。その口元が、きゅっと固く結ばれた。
「……僕にはもったいないほど、素敵な存在だよ」
…………。
「どうして黙るんだい」
「その、めずらしいというか」
「そうかな?僕は君への好意を隠すことなく生きているつもりだけどね」
「それはそうなんだけど……」
いつもの好意とは違う、何かがあった。それが何かはわからない。わからないけど……
「ありがとう。その言葉に応えられるように頑張るよ」
「君の悩みはそれで終わりかい?」
他の提案も許してくれるようだ。機嫌を損なわなかったようで何より。
ならば……こういうのはどうだろう?
「アヤにゲームで勝ちたい……かな。帰ったら勝負してくれるか?」
新しい切り口で勝負をかけていくのも、悪くはないんじゃないか。
さっきまでの不思議な感覚も、今はもうなくなってしまった。あれが何だったのかが分かる日がくるのかどうか、それは何とも言い難い。
しかし、今の俺にはどうもやり直しのきくタイムリープがついているようだから。自分から行動に移していくというのも大事なことじゃないだろうか?
「……初めてじゃないか?君からゲームの誘いが来るの」
「確かにな。でも嫌な気分じゃないだろう?ゲームやりたがってそうな気がしたし……それに、俺が強かったらお前だって楽しめるはずだから」
ほう、とアヤの口の端が釣り上がった。
「生意気なことを言うじゃないか。とりあえずゲームでぼこぼこにしてから色々考えてやろうか」
これまでの行動とは違うことをする。それはアヤの殺意に十分値するものだ。
しかし、それがもしアヤの娯楽に繋がるのだとしたら?
また違う言葉が、引き出せるかもしれない……!
「じゃあ、戻ろうか」
アヤは俺に手を差し伸べる。俺はすぐに握り返す。
さあ、家に戻ろう。そしたら、ゲームを起動して、ボムマンズを選んで、そして……
『そうは言っても、今の貴方では前回と同じ負け方をするだろう。『ボムマンズ』で勝つためのコツは分かっているのか?』
ん……?
またなんか変な声が……
まあいいか……気のせいだろう……
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