第9話:ラッキンペイルブルー
「毎日同じ味って、いいよね」
「返事をしかねる……」
アヤは昼食をとっていた。これまた珍しい。やたら疲れては飯を抜くことが多いから、食べていること自体はとてもいいことだ。ゲームで満足感を得ると腹が減ったりするのかな……
ベッドルームが広ければリビングも広く、当然ながらキッチンも広いという我が家だが、キッチンだけはとんと縁がない。
何故ならアヤは料理をしないからだ。俺もしない。購入した完全食パンと水で構成された食事が日々続いており、料理なんてやる必要がないのだ。
それは身体的に健全か?判断は難しい。完全食で賄っている以上、栄養素は問題ない。しかし、なんだかんだでタンパク質やビタミンを別の食材から丁寧に接種する方が健康にいいし効率もよかったりするという。
精神的に健全か?これも判断が難しい。
アヤの様子を見る限りでは……問題なさそうだけれど。
「明日食べるのは苦手な味かもしれない不安、あるいは昨日食べたものより今日の方が不味かったという落胆……毎日の同じ味はそれらの要素を取り除き、強い安心感を与えてくれる……」
こんなことをつらつら宣いながら食事するやつが、食事で気が滅入ってるとは到底思えない。そもそも食べない日があることの方が問題なんだけど。前回の今日はまさにそう。ちゃんと胃が働いてるんだろうか。
「そう、安心こそが食事における真のスパイス……安心は青天井だからどこまでも美味しくなるのがポイントさ……」
「本当に返事をしかねるな……空腹じゃないのかそこは……」
「ま、君に分かる感覚だとは微塵も思っていないよ」
ひとくち分ちぎっては咀嚼し、飲み込む。口が小さいのか、あるいは咀嚼が疲れるからちょっとずつしか食べられないのか……
「そもそも空腹はスパイスどころの騒ぎじゃないだろう?生物としての空腹と、人間の定義する空腹は違う。人間の定義する空腹にのっとれば、生きるか死ぬかのヒリヒリ感に巻き込まれてることになってしまう」
それ自体は否定しないが、俺は会話しながら気づいてしまった重要な事実に頭を抱えそうになっていてそれどころではなかった。
そう、気になることがある。何で今気づいたのか分からないレベルの重大な問題が……!
「……アヤ。聞きたいことがある」
「なんだい不躾に。マナー教本曰く、他人の食事中に不躾に話しかけると災いが降りかかるとされてるよ。独り言に野暮な突っ込みをいれたら……うーん、何も思いつかないや。まあたぶん死ぬ」
あるわけないだろそんなマナー。
いや、マナーの是非の話をしたいわけじゃなくて。
「お前、水飲まなさすぎじゃないか?」
じぅ、と一気にストローで水を吸う音がした。
リサイクルパック300ml。持ちやすくアヤの手になじむ。軟水。品質良し。体が弱すぎて水の雑菌や塩素に耐えられないアヤはいつもリサイクルパックから水を飲んでいる。
『飲んでは』……いるのだが。
「毎日2本飲んでるじゃないか」
「何でそれで足りると思ってるんだ?ひょっとして……アヤは計算ができない?」
成人男性のベストな水摂取量は2.5Lとされている。体重によって増減はあるが、アヤもそれくらいは飲んだ方が良いだろう。0.3×2が2.5になるとでも思っているんだろうか。
「この僕の計算能力を疑うとはいい度胸だけれど、まあ今回は見逃してあげよう。それで?計算王タスク様としては何本が喜ばしいんだい?」
アヤはリサイクルパックを机に置いて俺を見据えてくる。とりあえず話は聞いてくれるようだ。
「8本。せめて5本。前はそれくらい飲んでいたはずだ」
「えっいやだ。多すぎる」
「適正値の話をしているんだが?」
「……まあまあ。水は飲みすぎたら死に至るんだよ?僕の体を考えてみるといい、こんなに虚弱な体で大量の水など飲めるはずがない。そうだろう?」
適正値の話題にちょっと思うところがあったのか、アヤは露骨に話を逸らしてきた。事実としてそうなんだけれども、そういう次元の話をしているわけではないのだ。ここは何としてでも食い下がらなければならない。
「お前の言う水中毒こと低ナトリウム血症は、1時間で1Lの摂取を超えると発症する可能性があるとされる」
「ほうほう」
「過眠なお前の合計起床時間10時間の中で2.4L飲めと言っているんだ。1時間あたり0.24Lだ。これで水中毒になったらそれはもうカッスカスのミイラと相違ない。あるいは、今ここで1本飲み干そうとしてるわけだから、今からぶっ倒れることになるな」
うーむ、とアヤは考え込んでいる。……いや、これは考えているフリだ。雑にやりすごそうとしてるな?
「やっぱりアヤは計算ができないのか……割り算って知ってるか?もしかして小数点以下の割り算苦手?まだあまらせてるのか?はは、2.4を10で割ったら2.4あまっちゃうな」
わざとらしくせせら笑ってやると、アヤもまたわざとらしく大きなため息をついた。
「はー、本当に嫌な育ち方したな君」
「お前と話してたら嫌な育ち方してでも健康を気遣う使命感が生まれるんだよ」
実際、『嫌な育ち方』の原点はおそらくアヤにあって、アヤがこういう物言いをするから俺も影響を受けているんじゃないか?
つまりはアヤの育て方が悪かった、というやつである。よって俺は悪くない。たぶん。
アヤはそっと俺の手に自分の手を重ねた。
「まあまあ。その使命感は理解するし、水を飲むべきだと言うのも分かるんだけれどね。僕にも深い深い事情があるんだよ。分かってくれるかい?タスク」
そのまま、手をそっとさすられ、握られる。
……事情を理解して欲しい、の方向できたか。その事情が……もし、世界が割れることや俺が殺されることに関係するなら深掘りしたいけれど……ううむ。
そもそもアヤは事情を抱えすぎている。俺が知らない事情があるのは今となっては明白なのだが、それがいくつあるのかも分からなければ、どれが、どこまでが俺に関わってくることなのかも知り得ない。
そして、よしんば知れたとして……俺に何ができるだろうか?
結局、事情抜きに俺ができることをやるしかないんじゃないか?
「……いざとなったら海の水濾過して飲料水にするか」
「……考えたことなかったなそれ」
アヤはぽかんとしているが、俺は考えることを続けようと思う。
海水の濾過……ええと……鍋状のものと水を加熱できる何かの装置、水を受け止めるコップが必要で……
……鍋もコップもないな、ここ。加熱装置はあるのに。キッチンだけは豪華なのに。俺が料理をしないせいで。
海水の濾過が、できないかもしれない……
「しなせたらごめん……」
もしアヤが干からびて死ぬことがあったら、それは俺の怠慢である。放っておけば死ぬようなやつがいたら、放ったやつがわるいのだ。
……アヤは気まずそうに視線を逸らしていた。
「あ、うん……海水の濾過が難しいことに気づいたのかな……?まあできなくても……どうにかなるよ……あと雑菌混ざるしそれ……」
そうか……そうだよな……
「強く生きてくれ、アヤ……」
「う、うん…………??????」
色んな方向で健康に気を遣おうとは決めていたのだが、昔は飲んでいたものを今は飲んでいないというのはちょっと衝撃だった。これを知れただけでタイムリープの価値はあったかもしれない。これからは日々の食事にも気をつけないと……
これからと呼ばれる時間は、存在しなければならないから。
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