交渉
「ふん……」
さほど吃驚することもなく、「果せる哉」と言うような表情で唸るエインス。
その横で、聞き慣れない雷名に十字架のピアスを揺らす者がいた。
「……ハートマン?」
玉石混淆の情報が混沌と錯綜する裏社会。
武力に長けているだけでは夙に淘汰される弱肉強食の乱世において、情報戦に秀でていることは必至の条件である。
黒薔薇は、組織の棟梁の器であるエインスとスペードが破格の知性を有しており、情報戦にきわめて強い。
つまり、組織のブレインとも喩えられる二人が既に存在しているのだ。
それゆえ情報戦に備える必要のないモカは、その分特殊外交補佐という職務に傾注しているため、裏社会の情勢や通例はさほど詳しくないのである。
「さっき本部で私が言っていた、超武闘派のカルテルのことさ」
エインスは双眸を日光が差した羽衣のように温かく緩めながら教えた。
―――hurt man
友好的な連携勢力も作らず、単独で勢力を拡大させているヤングな犯罪組織。
組織自体は小さくはあるものの、その過激な活動によって、競合となる別勢力を押し除け、事業を矢継ぎ早に成功させている。
薬物密売及びトレードマークとなっている銃器密造のビジネスを続けており、他の組織には真似できないほどの資金繰りで軍事力も潤っている組織。
そう、純度の高い善意で教えたのにもかかわらず、返ってきたのは讒言だった。
「あぁ、あれですか。そういえば、エインス先生……ネクターのこと色々言ってましたよね?弱小とか言っ―――」
「ところでどういった経緯で殺されたんです?」
生き馬の目を抜くがごとき速度でモカの口に手を当てたエインスは、何事もなかったかのように二人に借問を渡して乙に澄ました。
しかし、不都合なワードだけがヴァシーリエフの耳に入っていた模様。
「今……なにか」
「うん?」
「いや今 弱小とか……」
「おや、最近ジェットエンジンの整備でもやられましたかな?弱小なんてひと言も申しておりませんよ」
華麗なる一笑で締めくくり、モカから手を離すエインス。
淑やかに笑む彼から妙な怪気炎を感じるも、すぐにロシア人は取り直す。
「経緯についてだが、そのエージェント……メイヴィスと言い、ハートマンの銃器密造ビジネスに関与していた男に接触したのちに連絡が途絶えた。四日後、彼がご令閨と式を挙げた教会にてバラバラの四肢が発見され、殉職と判断した」
「無念でしょう……」
瞳を閉じて衷情を表すエインス。
探偵の言葉を受け、ロシア人はサングラスを深くかけ直す。
「遺体を配置した場所も考慮して、おそらく彼のご令閨―――ブライズの命も握っているぞ、という脅しだと予測している。ご令閨が狙われているということを利用し、いくつかのトラップも敷いているが今のところ音沙汰はなし」
メイヴィスの妻、ブライズが間接的に狙われているという状況すらも無駄にしない。
ブライズ名義の偽の言動をちらつかせて敵をおびき出すことも、そのブライズへの接触を試みた敵を利用して内情を探ることも可能だからだ。
ブリーフケースから資料を取り出したヘイワードが、書面に目を通しながら口を開いた。
「組織構造を一部ですが把握できました。上層部の内部は証左の裏付け中ですが、その上層部の下に、五つに切り分けられた組織が存在しているという状態です。ただ、少し奇妙な点がありまして」
「奇妙な点?」
「この五つの下部組織のうち一つ―――おそらく軍事部門と思われる下部組織が、想定よりも大規模かつ精巧な軍事力を有していることが発覚したのです。兵員・兵器量も過度に潤沢していて、もはや組織から独立できてもおかしくないような軍事力なのですが、反乱の火種も一切なくむしろ組織に忠実な者が大多数を占めています」
「蓋し、過度な発展を遂げれば独自の主張も生まれて軋轢を走らせることがあってもおかしくないですね。恐怖政治であれば内部分裂の様相の一つや二つはすぐに見られますし、マインドコントロールを使用するカルト集団でもなければ、マフィアのような秘密結社でもない」
探偵はヘイワードの疑念に同調した。
そのうえで、論理的な一節も口遊む。
「反乱の兆候がないのは、それだけ組織に対する満足度が高いという可能性があります。独立するよりも組織に仕えるメリットの方が圧倒的に大きいということでしょう。あれだけ小さな組織が兵力衰えることなく、武闘派の如き推進力も備え、あれほどのスピードで事業も拡大させられるのはそれなりに珍しいことだと思います。ハートマンにしかない大きな特徴があるのかもしれませんね」
元々、ハートマンはメキシコで活動しており、現在の主な活動拠点も変わらない。
だがメキシコは、麻薬戦争でも知られているほど、強大な麻薬カルテル同士による抗争が跡を絶たない。
それほど競合組織が蔓延るメキシコの麻薬市場で、前身があるとはいえ姿を変えた真新しい組織が勢力を拡大できることは非常に稀なケースなのだ。
聖人君子モードのエインスが語った推測を、ヘイワードはラップトップにメモしていく。
集中している英国人を気遣った探偵は、ロシア人に質問をかけた。
「話によると……どうやら内部に殺人専門のチームもあるそうじゃないですか」
「そうらしい。かつてのマーダーインクを想起させる、暗殺者揃いの一群があると聞いた。俺も詳しいわけではないから、それがヘイワードの言った軍事部門に併設されているのか、はたまた下部組織とは別に存在するのかは定かではないが」
L.ネクター事務所はいくつかの国に小さいながらも支部を持つ。
治安はいいが水面下で黒い龍がとぐろを巻いているこの国や、支部を設置している他国の情勢などすべてを管轄している所長は、ハートマンという小さな組織一つにはなかなか深入りできないほど多忙な面もあるのだ。
ヴァシーリエフとエインスの会話を小耳にはさみながら、モカは窓の外を窅然と眺める。
黒くて難解な鼎談に屈託していた彼は、頬杖を突きながら、西洋情緒に富んだ世界を碧の瞳に宿した。
秋風冽々に震える樹々が、成熟した葉を撒いていく。
……高級車だろうか。
ワインレッドを垂らした漆黒のセダン。続く二台のSUVも磨かれた黒曜石のような艶を放つ黒塗りで、ハイブランドのメーカーのロゴが斜陽を反射させている。
視界をゆっくりと過ぎ去る三台の高級車に妙な印象を懐くも、我関せずというようにモカは艶麗な瞳を閉じた。
「先代の遺志を……紡いできた糸を断たせないよう、戦わなくてはならない」
神妙な面持ちで語るヴァシーリエフ。
「あの時の戦いから、母御はお元気ですか?」
かつての英雄譚を偲ぶように、エインスは尋ねた。
「あぁ、相変わらず気丈夫な方だ。……あの時は、レヴィに助けられた。本当にありがとう」
「いえ……主軸として表立って活躍していたのはあなた方です。私は影からフォローをしたにすぎない」
「確かにあの時は顔も合わせずに闇の中から手助けをしてくれていたな。十数名のオフィサーや我が先代が殉職を遂げていた時に、レヴィが教示してくれた神算鬼謀のソリューションを開始した瞬間から犠牲が出なくなり、一万の構成員を抱えるあいつらが内側から瓦解していった瞬間を見て……今でも思う。圧巻だと」
数年前。裏社会の一角を牛耳っていたイタリアの歴史あるマフィア組織があった。名はシアン・ド・ギャルド。
七つのファミリーから成る、一万のソルジャーを擁した意趣卓逸の権威を誇る巨大なピラミッド。
規模を漸々と逓増させている最中にあったシアン・ド・ギャルドは麻薬カルテルの如き潤沢な資産も兵力も凶暴性も兼ねた巨悪として名を馳せていた。
風雨凄々の裏社会に壁立千仞の塞を築いていたシアン・ド・ギャルドを、L.ネクター事務所が主体となったACTの連合が打ち破ったことがあった。
そのコンソーシアムが、本マフィア組織の壊滅を宣言したその瞬間から、一大ニュースとして裏社会だけではなく表の世界にも轟き、ネクターを筆頭に連合加盟組織は全世界のACTから名声赫々の栄誉を浴びた。
ACT勝利の鍵となった最大の英雄の名が、知られることもなく―――