その二 チャコちゃんの“女子会”のはなし
「じゃーんっ!」
マリコはそう言って、左手の甲をこちらにぱっと見せた。その薬指には、キラキラ光る指輪が!
「え? え? なん、それ! マリコぉ……もしかして……!」
「やっだー! マリリン、ついに?!」
「マリコ、ちゃんと聞かせて! その指輪、どうしたの?」
左手の薬指で輝く指輪を目の前に、女がいたらそういう反応をする。
でも、三人もいれば、どういう反応かは、それぞれで違う。あたしの心境なら詳しく語れることだし、心で思うだけなので、デッカイ声で叫ぶぞ!!
「あぁ! 神様! 本当にいるんなら、マリコの指輪はダイヤがついてるだけの、ただの指輪なんですよね? あたしが考えてるような、なんかの約束の意味がある指輪なんかじゃないんですよね? ね?」
普段は神様なんて信じてないけど、親友が左手の薬指に“ダイヤの指輪”をしてるなら、話は別である。
ああ、そんな……まさか……!
「聞いて、聞いて! 昨日の夜よ。これを、たっくんがくれたの! たっくん、アタシにプロポーズしたのよ! ついに!」
なんてこった!!
「えー、すごいやんっ! マリコぉ、マジでおめでとう! 式、絶対呼んでね!」
内心、「えらいこっちゃ! 未婚のアラサー女子が、主に恋愛のことをグチる会として始まったこの“女子会”……なのに、ついにメンバーから既婚者が!」と、大荒れである。
――と言っても、元々は中高の時の仲良しグループメンバーでの“プチ同窓会”が、いつの間にかそうなってただけだし、マリコは親友だ。それも、もう十年も前から知ってるのだ。そんなに大荒れじゃない。……たぶん。
マリコとこずっちゃんは、それぞれ東京の大学へ進学するため、サキも東京の専門へ通うために、あたしより先に上京していた。なので、あたしが上京する時には、この三人が色々と面倒をみてくれた。
あたしがこっちへ出てきたばかりの頃は、サキは埼玉でエステティシャンとして働いていたけど、今は念願の銀座本店に異動。
マリコはずっと、有名企業の受付嬢。
こずっちゃんは出版社で働くスーパー・キャリアウーマンだったけど、来年の春にはついに“編集長さま”である。
しかし、先に「大荒れじゃない。……たぶん」と言ったように、ちょっとモヤモヤしてしまう。
本当に本当に、マリコは大好きな親友だ。それぞれ別々の道へいっても、連絡はずっと取り続けてきたのだ。時にはケンカして、口をきかなくなった頃だってあったけど、でも、だからこそ“親友”だ。いくらケンカしても、無視し合うことがあっても、お互いに「なんかツライんよ」とか「今すっごい苦しいんよ」とか、そういう時には励まし合ってきて、今がある。だから、マリコが幸せになるんなら、あたしだってうれしい。
なのに、心の底からの本心で、「おめでとう!」って言ってあげられないのは、なんでだろう?
バカみたい。そんなの、よーく分かってるくせに。
心の中はモヤモヤ、頭の中はうだうだなあたしの隣で、爽やかな笑顔を浮かべたこずっちゃんが口を開く。
「詳しいこと決まったら、すぐ教えてよね。それから、手伝えることがあったら、いつでも言ってね。婚約、おめでとう」
ははぁ~、さすがにこずっちゃんは言うことがちがう! こりゃ編集長にもなれるわ! 頭キレッキレ! サエてる!!
親友の婚約報告に、ひとりで勝手にモヤモヤしてるのが恥ずかしくなる。
こずっちゃんって、中学の頃からそうだったなぁ。なんだっけ、今日、直己が言ってたヤツ……あ! 『よく気がつく』ってヤツ!!
せっかくだから、あたしの自慢の親友らの紹介も、少ししておこう。
まず、こずっちゃん。こずっちゃんはアネゴ系女子で、あたし達四人の中で、いちばん頼りになる子だ。いつも率先してなんでもやってくれる。今だって、話しながらサラダを取り分けてる。この女子力の高さ、尊敬する! それでいてバリバリのキャリアウーマンとか、完全無欠だ。
「おめでとー! でも意外っちゃー意外ぃ! マリリン、いっつも『もっと遊びたい!』って言ってたじゃん? 先週もたっくんの悪口、すげー言ってたじゃんよ~」
と言って、マリコの左手を掴んで放さないのは、まだまだ“現役ギャル”、そして立派なエステティシャンでもあるサキ。エステサロン――それも超有名店の“本店”――のスタッフだし、美容にも何かと気をつかうのか、お肌がピカピカでうらやましい。それに、サキはいつもトレンドアイテムで全身かためていて、すっごくオシャレに敏感だ。
ただ、ボーナスが入ると、すぐにブランドバッグに変えてしまうのが“たまにキズ”らしい。コレは本人の言葉だ。
……それ以外にも、なんでもオープンなところ……っていうか、アケスケなのも“結構なキズ”だと思う。コレはおそらく、「チャコもそうじゃん!」と言われそうなので、一応、これ以上のことはノーコメント。
でも、サキの言ってることは、ごもっとも!
だって、つい先週末の女子会では、「もう、たっくんとは別れると思うの~」とか、「なんか、めんどくさくなってきちゃったぁ!」とか、ぐっでんぐでんに酔っぱらいながら、くだを巻いてたのに! それも、この店で。
お酒アリの女子会は、毎回この店でやるのだ。お店の名前? “呑み処・くだまき”だ。
そんなことはどうでもいいか。
マリコの話を少ししよう。そうすれば、マリコが結婚するってことが、どれだけ信じられないことなのか分かってもらえると思う。
マリコって子は、まぁモテる。とにかくモテる。出会ってから今まで、マリコが彼氏を切らしたことはないほどだ。いつでもマリコの彼氏の座は埋まってて、それでも“予約待ち”する男がいる“モテ女”。ものすっごくかわいいとか、誰が見ても美人っていう感じではないけど、マリコには華がある。オーラっていうか、女! 女なんです!! っていう雰囲気がビシビシくるっていうか。
そういうわけだから、マリコの恋愛遍歴ってのは、「もう、すんごい」としか言いようがない。聞くたびに、彼氏だという男が変わってるのだ。しかも、なんでかマリコは、巷で言う“ダメンズ”とばかり付き合う。
何人か例を挙げていこう。
マリコの男の歴史、その一。「オレ、パチプロになるから、それまでマリコんち住ませて」とかほざいた、借金アリのバツイチ、おまけに慰謝料と養育費をしょってるただのギャンブラー。
こずっちゃんを中心に、「そんなクズはダメ!」とあたし達がなんとかマリコを説得して、破局。交際期間は約1ヶ月。
次、その二。
「マリちゃん……。ボクはマリちゃんのイチバンじゃなくてもいい! でも、マリちゃんが離れていくのだけは嫌なんだぁああ!!」とか言って、何かとマリコと心中しようとした、ちょっとネジが外れちゃってたストーカー。
この男とマリコが完全に切れるまでは、あたし達もものすごく怖かった。本当に“事件”になっちゃったらどうしようって。
この件については、ケーサツまで出てくることになっちゃって……あんまり思い出したくない。
続いて、その三。
コレはストーカー男とのゴタゴタが片付いた直後で、弱ってるマリコを支えてくれそうな、優しそうなイケメンだったんだけど……分かるでしょ?
“優しそう”に見えることと、実際に“優しい”のとは全くちがうってこと。
コイツはクソDV男だった。しかも、既婚者なのを隠してて、奥さんにバレたって時は修羅場だった。
マリコのほうは、騙されてたっていうのにすっかり洗脳されちゃってて、コレもこずっちゃんが間に入ったりして大変だった。あたしはむずかしいことは分かんないけど、弁護士さんを頼んだりもして……こっちは実際に、ある意味で“事件”だった。
結局、マリコも騙されてたってことで奥さんと和解、そして共闘して、クソ DV男から取れるだけ取った。
それで、マリコは「わたしのせいで、ごめんね。たくさん迷惑かけちゃって」と言って、ちょっとお高めのディナーを奢ってくれたっけ。
マリコの過去の彼氏達とは、こんな感じである。
で、マリコの今カレ(いや、もう婚約者か)の“たっくん”だけど、これもまぁ……友達の彼氏を“ダメンズ”とは、あんまり言いたくないんだけど(ちなみに、“元”がつくのは別である。例からして、言わずとも分かってもらえると思うけど)とんでもないヤロウである。
どの辺りがとんでもないのかと言うと、「おれ、転職するわ」といきなり言い出して、アテもないのに会社に辞表を出したかと思えば、結局、肝心の転職先が見つからずに「やっぱ、辞めるって話はナシで」とかアホみたいなことを真顔で言って、元サヤにおさまってサラリーマンしてるところだ。
会社も受け入れんのかよ!
そもそも、一度は辞めると言っといて、そのことは周知の事実。なのに、なんでもない顔して職場へ行ける心臓……一体、何製なんだろうか。鉄? 鋼? とりあえず、ガラス製じゃないのは間違いない。
強いハートの持ち主だということは、ほんのちょこっとだけ羨ましくもあるけど、そういういい加減さは本当にムカつく。人の彼氏だけど。あ、いや、婚約者か。
とにかく、「なんか悪いもんでも憑いとっちゃないと?」と何度も言ったくらい、マリコには男運ってものがない。結婚の前段階のお付き合いすら、そういうのばっかを引き当ててきてるのだ。
それでも、たっくんがちゃんとした人なら、プロポーズを受けるのも分かる。だけど、たっくんも立派な“ダメンズ”タイプである。
マリコもたくさん(こっちは耳タコってくらい)たっくんの悪口を言いまくってきたのに、それがどうして「たっくんと結婚しよう!」と思ったのか。
こればっかりは、心の中で思うだけじゃダメだ。ハッキリ理由を聞かずにはいれない。
「でもさぁ、ホントにたっくんでいいん? マリコ」
いくら長い付き合いで、しかも“親友”であったとしても。こんなことを言うのは失礼だって分かる。
でも、“結婚”はあたしにとって、無関係のことじゃない。だって、いつか“その時”がくるはずなのだ、あたしにも。そしてそれは、直己と迎えたい。
だけど、直己はそんな素振りすらみせてくれない。なのに、付き合って一年かそこらなのに、マリコはたっくんに結婚の“約束”をしてもらえた。あたしと直己は、もう三年近く一緒にいるのに。
なんの違いがあるん?
……ここまでグチグチしてしまったら、しょうがない。認めよう。あたしは、マリコにヤキモチやいてるって。
あたしが今いちばん望んでる“結婚”を、「まだ遊んでたい!」と言ってたマリコが、先に手に入れてしまうことに。
……マリコのことが大好きなのに、こんな風に思うなんて、あたしは“親友”失格だ。
しかも、思うだけじゃなく、その汚い感情をぶつけてしまったんだから。
でも、マリコは笑ってた。穏やかに、やさしく。あたしを見つめる眼差しは、まるっきり駄々っ子を相手する母親だった。あらまぁ、しょうがないわねぇ、みたいな。いや、完全にイメージだけども。
「え~? なんで?」
『なんで?』って……アンタがさんっざん文句言ってたの、その“たっくん”のことやんけ!
さすがに、コレは心の中でだけ。
そうは思ったけど、結局あたしは口をすべらせた。
「だってさぁ、たっくん、めっちゃいい加減なヤツやん。あと、ユウジュウフダン! そうでしょ? マリコ、ずーっとグチっとったやん。なのに、結婚すんの? しかも、付き合って一年くらいっしょ? 早くない?」
あたしがそう言うと、マリコは急に真面目な顔をした。
「チャコちゃんも、直己くんの嫌いなところ、いっぱいあるでしょ? でも、大好きでしょ?」
……そう言われてしまうと、あたしには反論できる材料なんかない。
マリコはそんなこと考えてないだろうけど、いちばん痛いところに刺さる言葉だ。
「そーいえば、チャコは結婚しないワケ? ナオヤンと」
サキがノーテンキな調子で口を挟んでくれたのは、正直助かった。と、そう思ったのも一瞬だ。
「ねー、サキ! いっつも言いよるやろ! その、“ナオヤン”って呼び方、やめてって! 直己に似合わんからイヤッ! ちゅーか、人にヘンなあだ名つけるん、やめろって言っとろーが!」
しかもアンタ、結局コレじゃ変わんないじゃん! 話題が!
「そういえば、直己君と千絵子、もう付き合って三年くらい経つ?」
このメンバーで唯一、こずっちゃんは千絵子とあたしを呼ぶ。理由は、「だって、“千絵子”って名前やん」だ。
こずっちゃんは、「千絵子ちゃんの良いところは、その“大らかさ”やと思うけど、同時に短所でもあるけんね。言い方を悪くしたら、それって“ズボラ”ってことやけんさ」と、あたしに言った最初の友達である。
正面向かって、そんなことを言われたのは初めてだった。もちろん、あたしはすぐにブチッときて、「ハァ? なんね、そん言い方! 性格悪かね~、こずえちゃんって! 友達いなくなるよ!」と言い返して、しばらく冷戦が続いた。
だけど、サキとマリコが間に入ってくれて、なんとか関係を修復。
それでも、「こずえちゃんとは仲良くしとうないし、できん!」と思ってた。
でも、ある時に、ふと気づいたのだ。長所ばっかりじゃなく短所を見て、「悪いところは悪い」と指摘してくれる友達って、いる?
それから、あたしは何かあれば、真っ先にこずっちゃんに相談するようになった。それから、“こずっちゃん”と呼ぶようにもなった。
ちなみに、この“こずっちゃん”ってあだ名だけど……名付け親はサキである。直己のことを“ナオヤン”と呼ぶあたりで、ピンとくるものがあったと思うけど、一応。
さて、話を戻す。こずっちゃんとあたしが、いよいよ本当に“親友”になった話である。
専門生時代、「もう辞めたい」と大泣きしながら、こずっちゃんに電話したことがあった。慰めてくれたけど、でもやっぱり、あたしを叱った。
「千絵子、しっかりせんとダメ。今までせっかく頑張ってきたとに、今になって諦めると? そしたら、今までしてきたこと、なんやったん? そうやろ? アンタ、なんでも一生懸命やれる子やったやん。今まで頑張ってこれたのが、その証拠やろ?」
その言葉に、あたしはもっと泣いた。
「電話する時、ほとんど泣き言ばっかでごめん」とあたしが謝ると、こずっちゃんは笑った。
電話越しだったけど、きっとその時も、さっきマリコに「おめでとう」って言った時のような、爽やかな笑顔を浮かべてたはずだ。
何が言いたいかというと、こずっちゃんが言うことをよく聞いてれば、なんでもいい方向へいけるってこと。
「……来月で三周年」
もう、あたしの唇は、震えはじめていた。
「なっがぁ~! じゃ、チャコはマジでナオヤンと結婚すんだね~。そんだけ付き合ってんだもんねぇ」
サキは、つけまをバサバサさせながら、あたしのハッピーな言葉を待ってる。たとえば、「そうなんよ~。来月の記念日に、とりあえず籍だけ先に入れるんよ! 式のことは、直己の忙しい時期が終わってからやね」とか。
ああ、ダメだ。鼻の奥がツーンとしてきた。
だって、マリコの婚約発表があるなんて、思ってもみなかったのだ。
いつもの調子で、今日もこの“くだまき”で「直己のヤツ、録画のこと、まだ根にもっとるんよ! 聞いて! 今日ね……」なんていう話をするもんだと思ってた。みんなで酔っぱらって、そういうくだを巻くんだとばかり。
でも、やっぱり。あたしが感じてたことは、まちがってなかったのだ。
時間が、ないのだ。
「……千絵子? どうしたの、アンタ。まさかと思うけど、直己君と、本当にうまくいってないの?」
こずっちゃんのその言葉に、あたしはとうとう、泣いた。本当はずっと、こうして声をあげて、泣いてしまいたかった。
「え、なに? チャコ、どーしたの !?」
「待って、わたし、ハンカチあるから。チャコちゃん、これ、使って」
「泣くとメイク落ちて、ヒドイことになるよ! 見てみ! ブッサイク!」とか言って、サキが鏡を見せてくる。
マリコはマリコで、ハンカチを一度あたしの手に握らせたのに、「あぁ……ごめんね。わたし、なんも考えずに、自分の話ばっかして……チャコちゃん、泣かないで」なんて言って、あたしの手からハンカチを取って、ほっぺたを流れる涙を、そっと拭ってくれる。
こずっちゃんは、むずかしい顔をして、あたしをじっと見つめる。
あーあ、なっさけないなぁ。
サキの言う通り、鏡に映ったあたしはブッサイクだし、なんも悪くないマリコを、今にも泣きそうな顔にしてしまった。
でも、「ブッサイクな顔して~」とか、「ちがうよ、マリコ。マリコはなーんも悪くないよ」とか、「あたしだけが、直己と結婚したくてしょうがないんだ」とか。いろんなことが頭ん中でゴチャゴチャになって、ワケ分からんことになってるのだ。
とまってほしいのに、とめたいのに。
とまれ! とまれ!
涙は、とまらない。
「千絵子、とりあえず、泣けるだけ泣きなよ。我慢せんといかんこともあるけど、これは違うけん。泣きたいだけ、いくらでも泣いていいんよ」
こずっちゃんの言葉に、あたしは大泣きした。最大限のボリュームで。
ねえ、直己。アンタ、今、何しよる? 録画しといたテレビ観てるん? それとも、コーヒー飲んでんの?
あたしの帰り、待っててくれてる?