死体の動機
理想はいろいろありますが。
綺麗な着地ができるかどうか。
理由も色々ありますが。
実はたいしたことのない漠然足したものが多くを占めているのではないかと。
そう思うことがあります。
なぜ死んだのかを、思い出していた。
「そういえば、あなたの愛を受け入れることができなかったな」
つぶやいたあいつの顔を睨みつけていた。
でも、顔の筋肉は少しも動かずに、眼球も一点から逸らすことができなかった。
私は死んだ。こいつに殺されたんだっけ。
朦朧とする意識の中で。
混濁する記憶の中で。
私はただ、目の前のあいつを睨みつけていた。
1月の雪が嫌いだった。
モノクロームを見るような風景は、なんだか古臭いサイレント映画の道化を溶かしたみたいだ。
誰彼構わず、私は見下していた。
それが生きていくための義務で、有効な手段だと思っていた。
不快なる記憶はゴールではない。
他の引き出しを探る。
2月のにおいが嫌いだった。
冷たく乾いた世界に、一直線に広がる様々な刺激が鼻をさした。
嫌だと思うから億劫になるのか、気温と相まって布団から出たくなくなる。
布団から出ても、部屋から出たくなくなる。
部屋から出ても。
永遠にまとわりつく鬱屈は、抗っても消えてくれなかった。
3月のあたたかな日差しが嫌いだった。
冷たい風と、冷たい空気。凍てついた水面を照らす日は、ヒリヒリと熱い。
引きこもった箱に張り付いた、ガラスという板は熱を逃がしてヒリヒリを残していく。
そこまで考えて、今3月だなと理解した。
何度目の3月だったんだろう。
朽ちていく肉隗は恐らく不愉快な匂いを集めているだろう。
生きていれば不快を真っ先に獲得する、鼻という機関さえ今はかたちも朧気だ。
死ぬということは生きていた時の五感とはまた別の五感を得ることだと、死んでから理解した。
思えば生きていた時も同じようなものだった。
理解するころには、選択肢など残されていないのだ。
あれ。私本当に死んだのかな。
叫んでみようとするけれど、叫べないということを一つの指標とする。
そんなことくらい、ありそうだけれど。
もうどうでもいいかな。
死体とすら呼べなくなった。
もう肉体も何もない。あぁもうどうでもいいや。
体がなくなって、死んでしまっても、生きているなんて。
あぁ、しみったれた魂だ。
誰かのために生きて、誰かのために死んで。
そんなロマンは空想の世界を紡ぐ文字の羅列の中にしかなかった。
現実は、何もかも忘れて思い出せない、逡巡の終わることのない執着。
私というものは、人間というものは。
何と醜い生き物なのだろう。
私だけなのだろうか。
これは特別な体験なんだろうか。
それでも動けなくなって、私は世界の終わりまで死に続けた。
ありがとうございます。