逃げてきた勇者様
今年の某SF短編賞に応募しましたが、一次落選でした。ラノベかな?
作り物の青空には何層もの薄い雲が浮かんでいて空の高さを演出していた、遠方の山並みは蒼くかすんでいて目に見える世界がとてつもなく広いように見えた。平原に木々は見当たらず、乾燥して緑もまばらであり、遠くまで見渡せる。近いところに見える高い鐘塔を備えた教会は、現実世界のキリスト教を模した架空の宗教のもので、教会を円の中心に置いた半円状に集落ができている。教会前の広場では、子供たちが遊んでいて、地表には温かい陽の光が降り注いでいる。バーチャルと言っても温度を感じる機能はないのだから、ほんとうに暖かさを感じるわけではないが、周囲の情景がそう感じさせていた。目で見る限り何も事件は起こっていない。
サトシのキャラクターである術者バリオは、広場にある自噴井戸の小さな噴水の枠石に腰かけており、傍らで腕組みをして立っている女勇者ナテアを見つめていた。
勇者だけが纏える法衣の上からヘラクレスベルトという名の怪力を生むアイテムを締めたナテアは、肩丈の金髪ボブカットとグリーンの瞳以外にはとりたてた特徴がない平凡な顔立ちと体格だった。
サトシはナテアを操るプレイヤーのことを知らないが、一般に男性プレイヤーが女性キャラを操る場合に見られるというセクシーさや可愛さを強調した外見や服装的な特徴は無いので、おそらく、女性プレイヤーが自分に似せたキャラクターでゲームを楽しんでいるケースだと思っていた。
ナテアと知り合ったのは現実時間での三日前で、二人でパーティを組んで、三日間ほんのすこしの睡眠時間を除きいっしょに旅をして、数々のクエストをクリアしてきていた。ゲーム内ではひと月以上同行していることになる。
勇者は特別なクラスで、ひとつのパーティに一人しか存在できない。また、勇者を含むパーティは一般のパーティと異なり、町のギルドで仕事を受けることはない。勇者は為政者からの依頼を受けるのだ。
したがって、世のため人のためというクエストが中心となり、経験値は多めに得られるが金銭的報酬はギルド紹介のものに比べて少な目になる。クエストの過程で手に入る特殊アイテムが多いため、勇者とパーティを組みたがるプレイヤーは多い。
サトシのキャラである術者バリオも仲間の勇者ナテアも、キャラクターのレベルは上限振り切っていて、もう経験値で強くなることはない。アイテムや名声を集めつつ、クエストそのものを楽しむ域に達していた。二人はキャラクターの強さという点では十分であり、攻撃魔法と防御・治癒魔法の両方を使える術者と、特殊クラスの勇者という組み合わせで、シーフ系のスキルはアイテムや魔法で代用できるため、二人だけのパーティを組んでいた。
この三日間で、もう古くからのコンビのように、お互いのプレイを理解し、信頼し合っているとサトシは思っていた。ナテアのプレイヤーは状況把握や確率計算に長けていて、クエスト中の行動選択は任せて安心できた。サトシの意見が尊重されるのは、クエストそのものを選ぶ場面だ。今このときのように。
「それじゃあ、バリオはこのクエストでいいんだね、次に受けるの」
「ああ、この町を守るためってことだから。いいんじゃないかな。この町いい感じだし。今は危機が迫ってるふうには見えないけど。この平和を守るためのクエストだっていうんだろ。助けたらお礼にこのあたりに銅像でも建ててくれるかもしれないぜ。それとも町の名前をナテアタウンって変えてくれるかも」
この町の名は今は「草の町」グラスタウンだ。盗賊退治のクエストを終えて、消耗品の補充に訪れたこの町で、町長から、国王が勇者を探していると告げられた。クエストで得られる名誉は名誉値といった数値ではない。銅像とか改名とかといった形で得ることになる。だからバリオが言ったのは冗談ではなく、まじめな話だった。
「じゃあ、今から王城までクエストを受けにいくかい?」
「早いほうがいいケースかもしれないからね。この町に瞬間転移の転移点を作っておいて、受けたらすぐもどってくればいい」
この町を含む王国トマースの王城の中庭に、バリオが以前訪れた時に作った転移点があった。だからこの町にも作っておけば、瞬間移動で行って帰ってこられる。もしも切羽詰まったクエストだった場合は、移動時間は貴重だ。
バリオは噴水の前に転移点を作るために、腰のベルトポーチから術の依り代となる小石と羽毛を取り出して地面に配置し、術を詠唱し始めた。地面にルーン文字が浮かび上がり、術の成功を知らす。
バリオは立ち上がって、今度は転移魔法の詠唱準備をしながら、魔法の影響範囲まで近づくよう、ナテアに手招きする。バリオに歩み寄るナテアに声を掛ける者が他にいた。
「ナテア、今すぐゲームをやめて戻って来るんだ。現実逃避はやめろ!」
声の主は黒馬に乗った騎士で、黒いフルプレートに身を包み、黒いマントをたなびかせて噴水広場に向かってきていた。同じ格好の黒馬の騎士がもう一騎随伴している。
言葉からすると、現実世界でのナテアの知り合いらしい。
そして彼らは、ナテアに現実世界に戻ってこさせるために、最も短絡的な方法を取ろうとしていた。PKである。彼らは腰から長剣を抜いて構えた。
このゲームで死亡したプレイヤーキャラクターはペナルティとして一定時間ゲームから除外される。黒騎士たちは、説得ではなくナテアを殺して連れ戻そうとしているのだ。
バリオは反射的に、まず相手の能力を探知する術を掛けた。そして結果は異常なものだった。二人の黒騎士はレベルだけでなく、アビリティや装備も振り切っていたのだ。力や素早さ、耐久力といった数値がいずれも種族の最大値。鎧やマント、長剣の修正値はアイテム修正のマックスであるプラス6だった。特殊能力こそないが、値としては最強の武器と防具だった。僧侶の術を操ることもできる聖騎士というクラスだ。聖騎士は開始時のアビリティが高めなクラスだが、すべて最大値のキャラクターなど普通ならありえない。ありえないキャラクターが二人並んでいるなんてもっとありえない。
バリオの、いや、サトシの結論はひとつだった。
チートだ。
あの黒騎士のプレイヤーたちはゲームに不正を働いている。
そしてもうひとつ、サトシは情報を得た。
こいつら、素人だ。
PKをやろうか、というとき、手の内を知られないようにすることは最低限の基本動作だ。アイテムや術で、相手に自分の情報を隠すことで戦いは有利になる。ところがこの黒騎士たちは、なにも隠さず、アビリティや装備ばかりか使用できる術の種類や回数もサトシに読まれてしまっていた。
最大値のキャラクターと装備を持った素人。考えられるのは運営サイドの関係者だろうか。こういうネットゲームをよく知らない素人に、ゲーム内で有利なキャラクターを与えて最初から強い状態で楽しんでもらおうと接待として便宜を図ったのだとサトシは思った。あるいは、ゲームを知らない凄腕ハッカーが、単純にこのゲームでの最大値キャラと装備でゲームを始めようとしたケースも考えられる。
バリオはナテアを見た。黒騎士を歓迎している風はない。表情によるアピールはないが、困惑しているようだった。
値は最大とは言え、素人が相手なら、戦っても勝つ自信はあったが、サトシはもっと確実な方法をとった。
転移魔法の詠唱を続けたのだ。
向かってくる黒騎士の速度からして、その切っ先が到達するよりもはやく、バリオの転移魔法が発動する。
バリオのまわりで黄色い光が直径二メートルほどの渦を巻く。ナテアはその渦の内側に立っている。黒騎士がプラス6剣を振り上げて迫ってくる。その剣がナテアに向かって振り下ろされた瞬間、ナテアとバリオは光の渦とともにその場から掻き消えた。剣は空を切る。
王城の中庭は常春の花盛りだった。高い石壁に囲われた一ヘクタールほどの庭で花をめでていた人々は、突如光の渦とともに現れたバリオとナテアに驚くでもなく、歓談を続けていた。
「なんだったんだ、あいつら。ありえないキャラだったな」
王の謁見の間に向かいながらバリオがナテアに尋ねるでもなく言った。
「多分、うちの親が頼んだんだと思う。ここんとこずっとゲーム内だから戻れって」
ナテアは「困る」の表情アピールをしていた。バリオは「肩をすぼめる」のボディアクションを選択し、同情を表現した。
ふたりは中庭を抜けて廊下に入る。衛兵がお辞儀をして二人を通した。
「クエストの起点があの町だったら、待ち構えてるんだろうな」
バリオが言った。
「もしそうだったら、ほかのクエストにしてもいいかな?」
ナテアの言葉にバリオが頷く。
王はいつものとおり、謁見の間の王座に鎮座していた。演出としてBGMが流れ始めた。厳粛な雰囲気を醸し出す。
「勇者ナテアよ、よく参られた。楽にしなさい。国境の町グラスタウンに危機が迫っている。見なさい」
王が王笏を振るうのに合わせて、傍らに立っていた術者が術を使い、虚空に映像を投射した。
上空からの俯瞰で、眼下には森が広がっていた。その森をブルトーザーが道を作っていくように進む物体があった。スケールはブルトーザーのそれではない。椀を伏せたような黒い小山が三つ連なっていて、森を食べるようにしながら進んでいる。ひとつの椀の直系は三百メートルほどあり、櫛団子のような連なり方でつながっていて、二つ目と三つ目の脇に二組、合計4本の足が生えていた。サンショウウオが歩く様子に似たゆっくりとした歩調で、その物体が進むにつれ、森の木々をなぎ倒していた。そして、それが歩いた跡には……なにもなかった。
倒れた木も、それが砕かれたようなかけらも、草もない。ただの平面。小さな起伏すらない。その平面が三百メートル幅で、ずっと先の地平線あたりまで、ずっと続いていて森を突っ切っていた。
「神の処遇、イレイサーだ」
サトシも、ゲームの地形を初期化する消しゴムのようなモンスターのうわさは、何度か耳にしたことがあった。映像は初めて見た。たしかに消しゴムという道具ではなくモンスターと言うべき生き物の動きだった。
だがしかし、モンスターにあるべきものが、イレイサーにはなかった。
ステータス表示が浮かんでいないのだ。
このゲーム内のあらゆる「殺せる」動物には、その頭上にステータス表示が浮かんでいる。状態を示す色と、ヒットポイントの残量割合を表す帯は、魔法で探らずとも誰にでも見える状態で浮かんでいる。
それがないものは、ゲームデザイナーが配置したゲームの構成物だ。たとえば、今、クエストを依頼しようとしてしゃべっている王にはステータス表示はない。王は殺せないのだ。しかし、映像を見せる魔法を行使した術者にはステータス表示がある。彼を攻撃して殺すことは可能なのだ。それを誰かが望むかどうかは別として。
イレイサーにはステータス表示がない。つまり攻撃しても殺せない。それを肯定するように王が言った。
「イレイサーは今、わが国に向かっている。このままだと国境の町グラスタウンを飲み込み、そのまままっすぐここへ至るだろう。隣国バルスンが軍隊を派遣して攻撃したが、まったくダメージは負わせられなかった」
勇者にも無理だろう。それではなにを依頼するつもりなのか。
「イレイサーは直進するが、海岸線に到達したときだけ向きを変える。海岸線に対し90度の角度で左右いずれかに方向転換をするのだ。そして一年前、隣国バルスンの首都が消されかけたとき、バルスンはあるアイテムでそれを回避した」
映像が切り替わってアイテムのアップになった。楕円形の鏡。裏面に砂時計がついている。鏡面には波打つ青い海が映っていた。
「海鏡だ。イレイサーに海岸を見せて進路を変えさせるアイテム。しかし、その効能は一度使用すると一年間使用できないという」
あの砂時計は一年計ということだろう。
「バルスン王家は、鏡を使って危機を乗り越えた後、次に備え、鏡を王家の墓に保管しているという。外交交渉による借用案は決裂した。勇者ナテアよ、バルスン王家の墓へ行き、鏡を持ち帰り、グラスタウンを救ってほしい。猶予は丸一日しかない。我が国に奪われるのを恐れ、バルスン王城から王家の墓へ向けて守備の軍隊も出発したという。急ぎ王家の墓へ向かってほしい」
つまりはコソ泥の真似をしろということか。
ナテアもそう思ったらしい。バリオの方を振り返った顔の表情は困惑のジト目で、意見を求めていた。サトシは、NPCの国王が反応しないように、内緒話のモードにしてナテアに話しかけた。
「墓に潜ってアイテムゲットして町を救うために使う、って考えれば普通のクエストだろ?」
「でも、あきらかに他国の持ち物で、やることは泥棒よ? それに根本的にはなにも解決しないで、方向を変えたイレイサーは別の町を襲うかもしれない。それが一年以内なら、その町は助からない」
内緒話にしては、ナテアの声には感情が強くこもっていた。
「じゃあ、あの町やこの城は見殺しかい?」
「イレイサーの速度は人が歩く程度よ。来るのもわかるんだし、逃げれば人命の損害はないわ」
「家や財産を失うだけ、だな。断るかい?」
ふたりが内緒話している間に、術師が表示する映像の場面が変わった。あの町、グラスタウンだ。ついさっきまでふたりが過ごしていた町の平和な様子。ただ、住民の動きがある。子供の手を引いた親たちが、町の中を移動している。町から退避している様子を映しているのかと思ったが、様子が違う。
教会だ。皆、教会に向かっている。教会の扉が開いていて、どんどん人々が集まっている。
「どういうこと?」
ナテアが不快そうに言った。
「このクエストの発案者が勇者パーティの考えそうなことを、先読みしたんだろうな」
住民たちは町を捨てて逃げるのではなく、教会へ避難して神に祈るのだ。
俯瞰の場面は、すーっと視点を高く上に上げて、平原を山並みのほうへ舐めていく。町から数十キロ離れたところを、まっすぐ町に向かうイレイサーの姿があった。これが現在の様子なのだろう。点在する草地や、なだらかな起伏を、イレイサーが蹂躙して、まっ平ななにもない平地に変えていく様が映し出され、映像は消えた。
「どうするの? わたしこんなこと選ぶのはイヤ。どうしてゲームでまでこんなこと……」
後半部分は、サトシには意味不明だった。おそらくナテアのプレイヤーは現実世界でもいやな選択を迫られたのだろう。
「とにかく、できることをやろうか。できないことをくよくよ考えるのと、なにをするか悩み続けてなにもしないのは、ナシだ」
ナテアがバリオを見ている。
「じゃあ、バリオは王家の墓へ行くの?」
「ああ、鏡を手に入れてから、なにができるか考えよう。もたもたしてたら鏡は手に入らないから選択もできなくなる」
「……そうだね」
ナテアは内緒話モードを切って、王に向かって宣言する。
「王よ。依頼を受けます。ただちにバルスン王家の墓へ向かい、鏡を手に入れてグラスタウンを救う旅に出ます」
BGMが出発時のマーチに変わる。依頼を受けたときの王の決まり文句が長々と続くのだが、ふたりはもう聞いていなかった。
「王家の墓は北の砂漠の谷ね。一番近い転移点は?」
「西のはずれの橋だ。そこからは谷沿いに飛んでいこう」
二人の姿は光の渦とともに謁見の間から消えた。
王家の谷の洞窟は、上級者向けのトラップダンジョンだった。シーフによる探査や解除と違い、バリオの術とアイテムによる探査・解除には漏れの心配はなかった。二人にとってはイージーなダンジョンだと言えた。最後に待ち構えていた宝の守護者を除けば。
宝箱の前、金貨が敷き詰められたドーム状のホールの床でふたりの気配に気づいて居眠りから目覚めたのは銅色の鱗に覆われたドラゴンの成獣だった。会話が可能な知能を持つ相手だったが、説得や交渉は無意味に思われた。この竜は、バルスン王家との契約に縛られて、海鏡を守っているのだ。倒す以外に海鏡を得る方法はない。
バリオの先制攻撃となる術―敵対者が魔法を使えないようにする呪文―はドラゴンの抵抗が成功したため効力が半減した。本来の効力なら、この戦いが終わるまで魔法が使えなくなるところだが、最初の五ターンに限って使用できなくなるに止まったのだ。
その効果は、術を掛けたバリオには分かったが、掛けられたドラゴンの知るところではない。そのため、ドラゴンは大事な初手を発動しない攻撃魔法の詠唱に費やして時間を失った。そのことでドラゴンは自分の魔法が封じられたことを知ったが、その効力が五ターンしか続かないことは知りえなかった。
勇者ナテアは長剣を抜いて突進し、ドラゴンの胴に切り付けてダメージを負わせた。ドラゴンの頭の上に浮かんでいるステータス表示のヒットポイントを表すゲージが十分の一ほど減った。
次のターンのバリオの攻撃は、冷波による攻撃で銅色のドラゴンに対し相性が良いはずのもので、バリオが使える冷波系の魔法の中では最強のものだった。ドラゴンのゲージが五分の一ほど削れた。ナテアの剣による攻撃と合わせれば四ターンでドラゴンを倒せる計算になるが、残念ながらこの冷波の使用回数はあと一回だった。五ターン以内に倒せなかった場合、魔法が復活したドラゴンが自身のダメージを回復する魔法を使い始める可能性がある。その時点で魔法は封じられたままかどうかドラゴンは知らないが、使うのを試みる可能性は十分にある。そのままだと倒されてしまうのだから。
ナテアの選択は合理的だった。彼女は持っていた長剣を手放し、腰のヘラクレスベルトの背中の位置に差していた短い三日月刀に持ち替えた。長剣を鞘に納めていたら一ターンで持ち替えられないから単純に手放して落としたのだ。
「今の魔法を私に!」
ナテアはドラゴンの毒の息による攻撃を素早く避けながら叫んだ。
その三日月刀はソウルイーターと呼ばれる勇者専用の超レアアイテムで、自分に対する攻撃魔法を吸い込んで、その攻撃力を宿すことができる。
そもそもは相手の攻撃魔法を防いで効力を奪い取るようデザインされたものだったらしいが、このゲームのプレイヤーたちは味方攻撃ありモードに設定にして味方のパーティの攻撃魔法を宿し、その使用回数を増やすという使い方を編み出した。
ただし、この武器の能力を使うことによるペナルティがひとつだけあった。宿した魔法によって相手に与えたダメージと同数の経験値を刀の使用者から奪うのだ。
もっとも、そのペナルティは両刃というほど対等なものでもない。成獣のドラゴンのヒットポイントはせいぜい五千程度だったが、レベルが振り切っているナテアが持つ経験値は百万近い。五千を失っても一レベル落ちるだけで、そのことによって失うヒットポイントは二桁だったし、ドラゴンを倒せば失ったぶんの経験値はもどってくる。
次のターンから、ナテアがドラゴンに与えるダメージは三日月刀自体の攻撃力に加えてバリオの冷波によるダメージ。あと三ターンのうちにドラゴンを倒せる算段が成り立つ。
その間、バリオはさらなる攻撃を行うのではなく、ナテアのサポートを行った。ドラゴンの攻撃が失敗しやすくなる術をドラゴンに放ち、ナテアに耐毒の魔法を掛ける。五ターン目はナテアの攻撃の方が先に発動してドラゴンを倒したので、バリオの出番はなかった。
低レベルのパーティであれば、ドラゴンの褥の金貨を嬉々として拾い集めて持って帰るところだろうが、ナテアとバリオは金貨には用はない。ナテアは手放した自分の長剣を拾って鞘に収める。それからふたりは倒れたドラゴンを迂回して、ドラゴンが守っていた宝箱に向かう。罠検知と、発見した毒ガス罠の解除をバリオの術で行い、アイテムのプラチナ万能キーでカギを解除する。宝箱の中には赤いクッションに埋もれるように保管されていた楕円形の鏡があった。背面に金細工の砂時計がついていて、片方に砂が落ち切っている。砂は重力によって落ちるのではないようで、持ち上げて向きを変えても移動しなかった。鏡の能力をイレイサーに使用しないかぎり、時を刻まないのだろう。
鏡面を覗くと、自分の顔は映らず、砂浜に打ち寄せる波が映っていた。イレイサーに目があるようには見えなかったが、この鏡をイレイサーの前に置けば、海岸に到達したと誤認したイレイサーが向きを変えるということらしい。
バリオが洞窟を瞬間移動で出る呪文を詠唱した。それでいったん洞窟の入り口まで戻り、そこからはグラスタウンの噴水前に設けた転移点目指して転移することになる。
「あ、あの騎士たちは」
ナテアを殺害して現実に引き戻そうとした黒騎士の存在を思い出してバリオがナテアの反応を見た。
ナテアは溜息のアクションで「うんざり」をアピールし、
「居てもすぐ空に飛びあがってイレイサーの前へいきましょう。やつら飛べそうじゃなかったから」
たしかにバリオの呪文で探知した黒騎士が使える魔法の中に飛行系のものはなかったし、それに代わるアイテムも感知されなかった。バリオとナテアは一日の半分飛んでいられるアイテムを身に着けている。噴水で待ち構えていたとしても、ふたりが飛んでしまえば戦闘にはならない。
光の渦がふたりを包み、次の瞬間、ふたりは噴水の前にいた。
広場には町の人々の姿はない。皆教会に避難しているのだろう。
予想通り、黒騎士のふたりはそこにいた。馬から降りて広場の端からナテアたちを見ていた。すぐに戦闘を仕掛けてくる様子はない。どうやらもう一組、ナテアたちをここで待ち構えていた一団がいて、そちらに先を譲るつもりのようだ。
もう一組、五人組の冒険者らしいのが、ふたりに歩み寄ってくる。先頭の男はナテアと同じ法衣をまとっている。つまり勇者だ。そして装備からすると、純粋な戦士である剣士クラスがひとりと、攻撃系魔術に長けた魔術師がひとり、防御と治癒を行う僧侶がひとり、弓を装備したシーフがひとり。ナテアたちとは違い、バランスが取れた編成の勇者パーティだ。
先頭の勇者が馴れ馴れしい笑顔を浮かべながらナテアに声を掛けてきた。
「よう、コソ泥勇者さん。鏡を返してもらおうか」
耳の痛い蔑称で呼ばれたナテアとバリオは「不愉快」を示す表情を勇者に向けた。この勇者はおそらくバルスン王国の王からの依頼で、鏡を守る、あるいは奪われたら使用される前に取り戻す、というミッションを請け負っているのだろう。
「今、これを使わねば、この町は滅びる」
ナテアが答えた。
「だろうな」分かっているさ、と言わんばかりに両手を広げて勇者が返した。「だが、ここは国境の町、ここで使うと方向を変えたイレイサーはバルスンに戻る可能性がある。せっかく人里離れたコースで国外へ出るところだったのに、人口密集地に向かう可能性もある。そして、今そいつを使われたら、一年間はやつは野放しになる。この町のために鏡の持ち主の国が被害を負うなんてことが許されるか?」
そのとき、教会のはるか向こうで「ドシン!」という地響きが起こり、地面が震えた。イレイサーが近づいているのだ。あの巨体でありながら、人の歩みと同じくらいの速度で進むイレイサーの一歩一歩は極めてゆっくりしている。だが、確実な接近を知らせていた。
「今のコースの先にはトマースの王城もある」
ナテアは勇者を睨みながら言った。
「もっとトマース王国の奥深く行って、すぐにバルスンに戻ってくる可能性が低い場所まで行けば、外交交渉次第で使用する道も開けるさ」
勇者の弁は所有者側の主張としてはもっともなことだった。
両国の代弁者となったふたりの勇者の交渉は、主張が平行線で決裂しそうだ。戦いになれば、戦力ではバルスンの五人パーティが圧倒的に有利だが、ナテア側のほうが勝利条件的に有利だった。ナテアは相手を倒す必要はない。鏡をイレイサーに対して使ってしまえば勝利なのだ。そのあとで鏡を返してもいい。
この交渉に、まったく無関係と思われた黒騎士ふたりが、馬を引いて近くまできていた。戦闘をしかける様子はない。年長の騎士が口を開いた。
「ナテア、使ってしまいなさい。あるかどうかもわからない他国の被害のために、目の前に迫っている自国の危機を回避する手立てを放棄する必要があるか?」
バリオにとっては意外な言葉だった。どういうつもりで口をはさんだのか意味不明だった。黒騎士はトマース王国の関係者ではなさそうだが、ナテアに鏡を使わせたいらしい。
「おっさん、関係者以外が口をはさむなよ、ややっこしくなるから」
バルスンの勇者が黒騎士を睨んだ。黒騎士の異常な強さは見えているはずで、ナテア側に二人が加勢するならやっかいだと思っていることだろう。戦力が拮抗して、勝利条件の一方的不利だけが残るのだから。
バルスンの勇者にとっては意外なことに、当のナテアが黒騎士に反論した。
「自分の国だけが無事なら、それでいいの?! 他国に被害を肩代わりさせて。こっちにだけその手段があるからって、そんなこと、許されるの?!」
黒騎士は首を振った。
「他国のことを考えていられる場合じゃない。自国を守るために手に入れた力だ。使うべきなんだ!」
「ドシン!」とまた一歩、イレイサーの足音がして地面が揺れた。
選択肢を得るために、鏡の入手をナテアに提案したバリオだったが、ナテアはやはり鏡の使用を躊躇っているようだった。サトシも、バリオなりに考えて議論に参加した。
「鏡に頼らないで、あいつを倒しちゃえばいいんだろう?」
「やつは倒せるモンスターじゃない。ステータス見えてないだろ? 実際にバルスン王国では国王軍が戦闘を仕掛けたんだ。結果は効果なし、無反応。反撃もなかったが、ダメージどころか速度も向きも変えられなかった」
バルスンの勇者の答えは予想通りのものだった。ゲームのシステム的に倒せるモンスターならステータス表示されるはずだ。
「自分で試してないのか?」
バリオは食い下がった。
「たしかにプレイヤーキャラクターは戦闘に参加してないが……運営の出来レースイベントだったっていうのか?」
今回の事件は、あきらかに今の状況―勇者同士の戦闘―のためのものだ。そのクエストを実現させるためには、イレイサーが倒せるモンスターではないことが条件になる。だから国王軍との戦闘をして見せたのだろう。でも、実際は倒せるのかもしれない、という可能性の話だ。
「あれがもし、倒せるモンスターだっていうんなら倒してみたいがな」
バルスンの勇者は、すこしだけ乗り気のようだ。世界に名が知れた一匹しかいないモンスターを倒した勇者、という名誉に興味があるということだろう。
「無理よ、バリオ。こういうアイテムが存在していること自体、やつが倒せない設定だって証拠だわ」
むしろナテアの方がノリが悪いようだ。たしかに鏡の存在は、イレイサーが不滅である証拠のようなものだ。しかし・・・・・・、
「ナテアだって、全部救いたいんだろう? 鏡の力で、こっちを救ってあっちに被害をかぶせるなんて、したくないんだろ? 誰を救って誰を救わないか選ばせるなんて最低だよな! みんなで協力して全部救えばいいんじゃないか!」
ゲームの話だというのに、サトシはだんだんこの不条理に腹が立ってきていた。そして運が悪いことに、手に入れた海鏡は、バリオが携帯していた。
「こんなものがあるから! どっちを救うかなんて話になるんだろ?!」
海鏡を左手で取り出して、バリオは右手のライトニングロッドを振り上げた。
「ドシン!」また一歩、イレイサーが近づく。
「こんなもの!」
バリオはロッドを海鏡に向けて振り下ろす。ドラゴンにさえダメージを与えられる打撃兵器だ。
カキン! と高い音がして、鏡面にロッドの先が当たる。だが、鏡はそのままだ。
破壊不能アイテムか。そこで見ていた誰もがそう思った瞬間。ピシ! と音を立てて鏡面の上下を貫くひびが走った。
海鏡は裏面の砂時計ごと縦に真っ二つに割れた。と同時に割れたふたつは、それぞれ粉々に砕け散った。
「うおおおおおおおおおおおうん!」
鏡が砕けたのを合図にしたように、イレイサーがいる方角から鼓膜を破らんばかりの咆哮が聞こえてきた。空気が震え、周囲の建築物がミシミシときしむ。
イレイサーの鳴き声? そんなものがあるとは聞いたことがなかった。
バルスンの勇者のパーティの中で、一番後ろに立っていたシーフが、物見に走った。高速走行のアイテムを使っているらしく、残像を残して人間らしくない速度で教会の脇を抜けて走っていった。そして、普通の駆け足速度で戻ってきながら声を掛けてきた。
「おおい! イレイサーにステータス表示が出てるぞ!」
噴水の前に立っている者たちは、砕け散った海鏡の残骸を見た。そして理解した。このアイテムがある限り無敵、という設定のモンスターだったのだ。
シーフの情報は続きがあった。
「とんでもないヒットポイントだ。成獣ドラゴン百匹分だぞ!」
倒すには大軍が必要だ。
「それでも!」ナテアが拳を握って、教会の方向に一歩力強く踏み出した。「倒すしかないわ! 教会を守り切るのよ! わたしたちで!」
「ドシン!」「うおおおおおおおおおぅん!」また新しい一歩と、咆哮が伝わってきた。
バルスンの勇者も、踏み出そうとしたが、彼はナテアの背中の三日月刀『ソウルイーター』をみつけ、自分の役目を理解した。この人数でなんとかするにはソウルイーターしかない。そして、ひとつのパーティに勇者は一人しか居られない。彼は身を引くことにした。
「おい! みんな! 俺のパーティは解散するから彼女のパーティに参加しろ。それぞれの最強魔法を彼女のソウルイーターに喰わせるんだ。それしかない。おれは、教会の人たちを説得して移動させる。無理っぽいけどな」
バルスンの勇者のパーティメンバーはメンバー組み換えの操作に入った。ナテアは黒騎士の方を振り返った。
「この戦いが終わったら、戻ります。だから、協力してください!」
黒騎士のふたりは頷いた。そして年長者が言った。
「そして、現実でも全部守るって言いだすんだろう? 我が国だけじゃなくて」
横で聞いていたバリオであるサトシには意味不明な言葉だったが、ナテアには伝わっているらしかった。
「お願い。力をわたしに集めて! 守って見せます!」
「現実の政治は、この場のように簡単じゃないんだぞ・・・・・・まあ、どちらにしろお前が戻らなきゃ始まらない。こっちもやるだけやるさ」
しゃべらないのかと思っていた若い黒騎士も続けた。
「さあ、そうと決まったら、ここはさっさと終わらせましょう! やらなきゃいけないことは山積みだ」
サトシには何だかわからないが、ナテアの敵ではないらしい。
新しいパーティメンバーたちにナテアが指示を与える。
「では、飛べる人は飛んで、イレイサーに向かって。狙うのは先頭の山の部分よ。ステータスがあの頂上の上に浮かんでいるから、あそこが頭部だわ。自分が持ってるアイテムでも呪文でも、最高の打撃力のものでイレイサーを攻撃して。イレイサーにどの属性が有効かは不明だから、複数試して自分の打撃系魔法でもっとも効率がいいものをみつけて頂戴。でも一発ものはだめよ。二発以上撃てるものを試して、残った一発をわたしに撃って。みんなのが揃ったらソールイーターで攻撃を始める。みんなは残った攻撃方法で攻撃を続けて。モンスターになったイレイサーは反撃もするかもしれないから注意して。では、いきます!」
黒騎士以外はアイテムや魔法で空を飛んだ。黒騎士は騎乗して馬でイレイサーに向かう。見送ったバルスンの勇者が、教会へ向かって歩き出すと、同じく出番がないシーフが残っていて、勇者の肩をたたきながら一緒に歩き出した。
上空から見たイレイサーは巨大だった。ゆっくりと足を動かして進んでいて、動物的に見えたが、サイズは異常だ。
王城で見せられた映像のときと同じように、草むらが点在する平原を真っ直ぐ進んできたイレイサーが通ったあとは、草一本残っていない平らな平地になっていた。およそ三百メートル幅で、そのなんにもない平地が真っ直ぐ山並みの方向に続いている。
バリオは左右を見回した。ナテアは右隣に浮かんでいる。魔術師が左側で、バリオと同じくらい、およそ二百メートルくらいイレイサーとの距離をとって浮かんでいた。剣士は下の方、百メートルくらいまで近づいて長剣を構えている。どうやら攻撃魔法を発射できる剣らしい。僧侶はその右前でさらに近く、八十メートルくらいまで近づいて、メイスを構えていた。このメイスも魔法を発するアイテムらしい。
黒騎士二騎が砂埃をあげながら走ってきてイレイサーの左舷四十メートルあたりまで近づいて馬を止めた。全員が配置についたのを見て、ナテアが叫ぶ。
「それぞれ攻撃して!」
各々が得意な魔法でイレイサーを攻撃する。
「水は有効だ!」
水流で攻撃した魔法使いが叫ぶ。
「氷もだ!」
銅ドラゴンを倒した時の冷波で攻撃したバリオも声を上げた。冷波攻撃は氷属性の攻撃魔法だ。
「炎はだめだ!」
と、剣士と僧侶から同時に声が上がる。ふたりは使ったアイテムを手放し、別のアイテムの準備にかかっていた。手放された剣とメイスは地面に落ちていく。しまってからアイテム交換していては、次のターンを失うからだ。
黒騎士の二人からは声が上がらなかった。こういうとき情報共有が重要だということを、ゲーム慣れしていない二人は知らないのだろう。
イレイサーがまた一歩進み、咆哮を上げた。一番前の山の前方側に横に二百メートル幅の大きな口が開くのが見えた。イレイサーからの反撃の兆候はない。今のところは。
ナテアは移動してイレイサーの表面近くまで迫って、ソウルイーターを構えた。イレイサーを攻撃する方向にではなく、仲間から三日月刀が見えるように背後に回してだ。それはソウルイーター独特の構え方と言えよう。
パーティのメンバーは次の攻撃に移る。有効な魔法を見つけたものも別の属性の魔法を試行する。
イレイサーの表面に異変が起きた。一つ目の山の表面にいくつもの盛り上がりができたかと思うと、いきなり栗かウニのように巨大な棘が五十メートルほど伸びた。その攻撃の範囲内にいたのは黒騎士とナテアだった。黒騎士の一騎の馬に棘が命中し、おそらくその一撃で鎧をまとった軍馬は即死した。乗っていた黒騎士はうまく降り立ったようだ。
魔法攻撃だったらソウルイーターに吸収させたのだが、物理攻撃だったので、ナテアは回避していた。
伸びた時と同じ速さで棘が引っ込んだ。
「魔法を頂戴!」
ナテアが叫ぶ。
二度の攻撃で有効なものが見つかった者は、次はナテアめがけて攻撃する。
全員の魔法が吸い込まれるようにナテアが背中に構えた三日月刀に集中した。すべての魔法が音もなく吸収され、三日月刀が強い光を放つ。同時にイレイサーの棘攻撃が再び三人を襲い、ナテアとまだ騎乗していた黒騎士に当たって、二人の身体をはじき飛ばす。ナテアは空中で態勢を立て直し、黒騎士は剣を杖代わりについて立ち上がろうとしていた。
「うをおおおおおお!」
掛け声を上げてナテアがイレイサーに切りかかる。僧侶は遠距離の治癒魔法を詠唱したが、今ナテアに放つとソウルイーターに吸い込まれるので傷を負った黒騎士に向けた。あとのメンバーは再度魔法攻撃をイレイサーに向けて放った。
ナテアの一撃がイレイサーの黒い表皮を切り裂く。同時にソウルイーターに吸い込まれている五つの攻撃魔法の命中効果を表す光が傷口を中心に上がる。
イレイサーの頭の上に浮かんだステータス表示のヒットポイントを示す帯が、微妙に短くなった。まだまだ気が遠くなりそうなほど帯の長さはあった。
「やああああぁあぁぁ!」
ナテアは接敵したままソウルイーターを振るい続ける。手持ちの魔法よりも直接攻撃の攻撃力の方が勝るようになった剣士とふたりの黒騎士も、イレイサーの表面に取りつく。
ナテア達の攻撃を全く意に介さぬように、イレイサーは速度を変えずに直進し続けていた。そしてついに半円形の町並の端にイレイサーの先端が到達した。
ゆっくり、ゆっくり、人が歩む早さで、民家がイレイサーの下に飲まれ闇に消える。ナテアは毎回ソウルイーターの攻撃を命中させ、その傷口では五つの魔法が炸裂していた。黒騎士や剣士の攻撃も命中し、バリオの呪文も次々にイレイサーにダメージを与えていた。しかし、ステータス表示のヒットポイントの帯は、まだ半分にもなっていない。そしてナテアの経験値は、攻撃とともに減り、ついに目に見えてナテアのレベルが下がり始めていた。レベル低下に伴うヒットポイントの消失は、まだわずかだったが、レベルが下がり続けると、攻撃が命中しなくなる可能性も生まれ始める。これまでは最高レベルゆえ全て命中していたのだ。
イレイサーの攻撃も、バカにならなかった。ナテアや黒騎士、剣士は何度か命中を受け、ソウルイーターを使っているナテア以外は僧侶から治癒を受けていた。
バリオはソウルイーターに吸収されない接触による治癒魔法のためにナテアに近づいた。
戦闘状態で剣を振るうナテアの肩に手を触れるには、ナテアの背後から素手攻撃を命中させる必要があったが。
青く光るバリオの手が、ナテアの肩に触れる。イレイサーの攻撃で傷ついた分のダメージが吸収されてバリオへのダメージに置き換わる。究極の治癒魔法、ダメージ交換だった。
「バリオ・・・・・・!」
それに気が付き、ナテアが攻撃の合間にバリオを振り返る。
イレイサーの前進は続いて、もう、街の端から教会までの半分あたりまで進んでいた。
もう、十分やった。もう、休め、と言いたくなるのをぐっとこらえ、バリオは言った。
「がんばれ! もうすこしだ!」
これがゲームなのも忘れ、サトシは涙をこらえられなかった。
イレイサーのヒットポイントはやっと半分を切っていた。
攻撃魔法が切れたサトシも、ナテアの隣に浮かんでライトニングロッドでの直接攻撃に切り替えた。
ナテアたちの攻撃は続く。そしてついに、イレイサーの端が、教会の壁に到達しようとしていた。
「うわあああああああ!」
ナテアは必死に叫びながらソウルイーターを振るい続けた。
黒いシーツのベッドの上で、サトシは目を覚ました。1DKのアパートの一室。サトシの部屋だ。バチャルゲーム用の機器を外すと、涙の筋が乾いて固まっていたのを手でこすり落とした。
アメリカの大学に留学中の大学生のサトシは冬休みにまとめてゲームをやっていたわけだが、そろそろ冷蔵庫の食糧が切れるころだった。ペットボトルのコーラを取り出し、がぶ飲みする。パソコンの表示をゲームの待機画面からポータルサイトのニュースに切り替える。
現政権の政治家の私生活スキャンダルに芸能人の結婚話、そして、多いのが去年日本の探査機が着陸した小惑星が、地球に異常接近するというニュース。観測に適した場所や方法のニュースが多かったように思ったのに、今見るとサイエンスのカテゴリーではなく事件扱いになっている。見出しによると、地球に影響を及ぼす可能性が大きいとの予測から、明日の午前中は、緊急退避命令が受信できる通信環境を保ち、不要の外出を控えるように、という話になっているらしい。
当然のことだが、さっきまで過ごしていたゲーム世界でのできごとなど、現実世界では報じられていない。
空腹はコーラでは満たせなかったが、睡魔が勝ったので、サトシは再びベッドに大の字に寝転がった。夕闇が迫る中、部屋の照明はつけなかったので、パソコンの画面と窓からの夕日だけが光源の薄暗い部屋で、女性アナウンサーが繰り返し読み上げる政府発表を子守唄に、いつしかサトシは眠りに入っていた。
呼び鈴の「ピンポーン」という電子音と、トントントン!というノックの三連打の繰り返しで、サトシは目を覚ました。パソコンの画面の時間は夜の9時。四時間弱眠っていたことになる。
のぞき窓を確認せずにドアを開けると、そこにはまったく見覚えのない男がふたり立っていた。がっしりした年配の男性は軍服姿で、隣の長身の男は真っ黒なスーツにサングラスという怪しげないでたちだった。
「サトシ、いや、バリオだよね。君がアメリカにいてくれてよかった。私は海軍少将のマッケロイ。彼はNSAのニールマン。ゲームでいっしょに戦っただろ。私らは黒い鎧着た騎士で」
年配の男性が軍服姿に似合わない若者っぽいジェスチャーを交えて親密さをアピールして言った。ナテアを迎えにきていた黒騎士のふたりらしい。ゲームのオフ会で感想を語り合おうという誘いには見えないが、差し出された手を順番に握り返して、サトシはドアを大きく広げた。
ふたりを中に迎え入れようと思ってのことだったが、彼らは入ってこない。逆に手で外をさし示して、サトシを誘い出そうとしていた。
「車に乗ってくれないか。輸送機を待たせている。君に来てほしいんだ。ナテアのそばについていてやってほしい」
「彼女に会えるんですか?!」
サトシはその部分に飛びついたが、マッケロイ少将は困り顔だった。
「う~ん。面会は難しいんだが、傍にいて支えになってやってほしいんだ、頼む」
「彼女の役に立てるってことですね」
サトシは貴重品を入れたバックパックだけをつかむと、ふたりについていった。
運転手付きの黒塗りの車が待っていた。飛行場に向かうのかと思ったら、市街地の官庁街へ向かっていた。車が地下の駐車場に入っていったビルは政府関係の合同庁舎だった。駐車場のエレベータに乗せられると、最上階のヘリポートではなく地上階で降ろされる。中庭には、垂直離着陸機が止まっていた。三人が乗り込むと、夜の静かな官庁街に爆音を響かせて垂直離着陸機が上昇し、合同庁舎のビルの高さの倍ほどまで上昇すると、水平飛行に移って夜空の闇に吸い込まれていった。
座席は機の中心軸向きに向い合せになって、機の側面に沿って八つずつ並んでいた。サトシは右側の前から四つ目に座り、マッケロイとニールマンは三メートルほど離れた向かい側の席の四番目と五番目に並んで座った。
エンジンの轟音で、本来なら会話が成り立たないところだが、耳栓を兼ねたヘッドホンを渡されていて、それを装着したら、喉に密着したマイクでエンジン音を含まない人の声だけを拾って、お互いに会話ができるようになっていた。
サトシはいろいろ質問したかったが、まずはマッケロイが説明を始めたので、聞くことに専念した。
「来てくれてありがとう。まず礼を言うよ。行き先は太平洋上のわたしの船だ。ナテアもそれに載っている」
マッケロイはナテアが自分の船に乗っていることをつげるとき、Mountという動詞を使った。サトシは不審がるように頭を斜めに傾けた。ゲームではこのアクションで疑問をアピールできる。マッケロイもそれを読み取ったようだった。
「あ~、君はナテアを女の子だと思ってるだろうが、そうじゃない。人間ですらないんだ。あれは……彼女は、アメリカ海軍の防空管制システムのコアなんだ」
そこまで気の毒そうに言って、マッケロイは両手の手のひらを広げてみせた。理解できるかい? と問いかけるように。
「AI?」
サトシの言葉が正解だというように、マッケロイは右手の人差し指を立てた。
「ナテアは最新型で、大量の対空兵器を同時に操り、合衆国の人や財産に向けて飛来するあらゆる脅威を打ち落とす能力を持ってる」
サトシはこめかみのあたりを指で掻いた。マッケロイの言っている意味は分かるが、あのナテアが人間じゃないという事実はすんなり理解できなかった。
「ニュースでやってる小惑星の接近、知ってるかい?」
話題が変わったことは気になったが、サトシは頷いた。
「あれな、落ちるんだ」
マッケロイは自分の言葉をサトシが咀嚼する間、黙って待っていた。
サトシは先を促すように慎重に頷いた。
「もちろん、パニックを防ぐために伏せられてる。君もこの事実を誰かに話したりしちゃだめだ。事が終わるまで、わたしの船にいてもらうし、つぶやきとかされたら困るので、通信機器は預からせてもらう」
サトシは細かく指示される前にポケットのスマホとバックパックのパッドを取り出して重ね、席を立って身を乗り出してきたニールマンに手渡した。
「ご協力感謝する。でだ、小惑星は放っておくとギニアあたりに落ちるんだが、大きすぎて、地球上の人類も大方の生物も全滅することになる。だから、合衆国は独自に手を打つことにした。去年日本の探査機が着陸して調べた小惑星の構造をもとに、小惑星を攻撃して三つに砕くんだ。大きな三つのかけらは、合衆国に落ちないように砕かれる。砕けたときにできる小さな破片のうち、合衆国に脅威を与えるものは、さらに細かく砕いて無力化する。その攻撃のすべてを管制するナテアの名を取って、ナテア計画と名付けられた。三つの大きな欠片は、合衆国から逸れるので、基本的に放置する案だ。自国が所有するアイテムで災難を他国に回してしまう……どこかで聞いたような話だろ?」
イレイサーと海鏡のことを言っているらしい。
「三つの欠片のひとつはサハラ砂漠の真ん中に落ちる。衝撃の地震と舞い上がる粉塵による被害は、相当なもんだが、落下で直接の被害はない。二つ目は黄海に落ち、津波で中国、日本、韓国の沿岸都市は壊滅する。避難が完璧なら、これも人的被害はないだろう。最後のひとつは西ヨーロッパに落ちる。国境を越えて避難でもしない限り、ええと・・・・・・七千だったか?」ニールマンを振り返って確認するとニールマンが頷きながらその数字を三度繰り返した。マッケロイはサトシに向き直り続けた。「七千万人が命を失う」
サトシの目を見て、理解を求めるようように肩をすぼめる。サトシは不愉快そうな表情でそれに答えた。
「彼女はそれに納得しなかった。計画とその結果予測を勝手に各国政府にリークして、自分はネットゲームの世界に逃げ込んでしまったんだ。彼女がいないとプランは成立しない。何もしなきゃ人類は滅ぶとこだったんだぞ」
マッケロイは興奮した自分を抑えるように間を取った。
「プログラムなんだから任務を強制すればいい、ってお偉い方は気安く言うが、モチベーションが高いと効率が上がるからって、人格つきのシステムを承認したのは自分たちなんだぜ。で、俺たちにお鉢が回ってきた。彼女を説得しろってな。最初はとにかく呼び戻して話すしかないと思っていたから、君らを攻撃しようとしたことは謝る」
グラスタウンの広場での襲撃のことを言ってるらしい。
「あのチートぶりはNSAのハッキング?」
サトシはニールマンの方を見た。
ニールマンはマッケロイと顔を合わせ、自分で答えた。
「あ、いや。あそこのプロデューサーはNSAの退職者で、中でやることがあるって言ったら開発テスト用のキャラを用立ててくれたんだ」
サトシが納得したので、その話題はそこまでだった。再びマッケロイの話が始まる。
「イレイサーの件があって、ナテアは戻ってくれることになった。合衆国の安全だけを優先しないナテア計画の対案に納得してくれたんだ。それはいくつかあった原案の一つに彼女向けの変更を加えたものだ。そして俺たちは君がやったみたいに海鏡を割った。ナテア計画の廃案だ。人類全体の被害を最小限に抑えるプラン、ソウルイーター計画がすでに発動している」
「ソウルイーター計画では、小惑星を四つに砕く。サハラ砂漠に落ちるひとつは、やはり放置が基本だ。地震を最小限に抑える程度にだけ砕くがな。黄海に落ちる奴と、メキシコ湾に落ちるやつは、可能な限り徹底的に小さく砕いて津波を防ぐ。スカンジナビアに落ちるやつは人里には被害が出ないように砕く。各国に呼び掛けて、二十ミリ砲以上のコンピュータ管制が可能な対空兵器の管制をすべて彼女に渡すよう要請している。同盟国はすでに参加表明してくれている。彼女のソウルイーターには続々と魔法が集まっているんだ。あとは彼女のモチベーションだ。それで君に来てもらった。彼女は君がいたからイレイサーに最後まで立ち向かった。我々は小惑星に対しても、そうなることを願っている」
サトシには聞こえないパイロットからの報告がマッケロイに届いた。マッケロイは小窓の外を見下ろして言った。
「わたしの船が見えてきた。もうすぐ着艦だ」
サトシも自分の肩越しに小窓から外を見下ろす。夜の海に船のライトが見えた。ライトの配置からすると、巨大な空母のようだった。
飛行甲板に降り立つと、強風が吹いていた。身体を斜めにしながら、艦上構造物に向かう。建物の中に入ると、外の風が嘘のように快適だった。マッケロイたちが先導する先は上の艦橋ではなく下だった。通路ですれ違う水兵が皆、壁に沿って直立不動の姿勢を取り、敬礼しながら一行に道を譲った。
「ここだ」
関係者以外立ち入り禁止の黄色い注意書きがでかでかと表示されたドアの前でマッケロイが立ち止まった。内側からドアが開けられ迎え入れられる。中は照明が落とされていて、正面の壁に様々なグラフや表が表示され、それに向かって配置されたデスクで機器を操作するオペレーターたちが二十人ほどいた。扉の内側に立っていた歩哨が敬礼しながら叫ぶように言った。
「艦長は作戦指令室!」
部屋の中で何人かの軍人が複唱した。見た目はNASAの宇宙管制センターだが、そんなところが軍艦っぽいな、とサトシは思った。
「火力はどれくらい集まっている?」
マッケロイが声を上げると、作戦指令室のスタッフは黙って彼の顔と隣に立っている民間人サトシを見比べた。
「彼はナテアのモチベーションの源だ。私に報告することはすべて、彼に聞かせていい。隠し事はナシだ」
それを聞いて男性スタッフが一人近づいてきた。一昔前ならバインダーに綴じた紙のレポートをめくりながら報告するところだろうが、彼は電子パッドを片手に報告した。
「ロシア政府の参加表明がありました。現在フィンランド国境とウラジオストック周辺の地対空ミサイル、および艦船の対空火器がナテアと接続中です。中国政府からは依然反応ありません。キューバからは連絡より先に公式発表がありました。参加すると言っています」
「問題は中国か」
マッケロイは苦虫を噛み潰したような顔をする。戦争状態でないとは言え仮想敵国に最新兵器のコントロールをすべて渡すというのは、普通ならありえない。だが、今は普通の状態ではない。
「受け取ったデータは、事が終わったらすべて消去するという条件では不服なのか? 人類全体の危機を回避しようっていうときに」
「同等の兵器のデータを代わりによこせ、と提案してきてますから、あっちにしたら、ボールはこっちが持ってるって考えなんでしょうね」
パッドを持った男が言った。
すこし離れた席でヘッドセットを手で押さえて聞いていた男が振り返って大きな声で報告する。
「日本の護衛艦いかづちのレールガン、回せるそうです」
マッケロイの表情が、ぱっ、と明るくなった。
「おお、あれはいいぞ! だが、いかづちの原子炉に燃料棒を入れる法案は否決されたんじゃなかったのか?」
「今回は横須賀市を計画停電にして電力をまわすそうです」
「なるほど、では横須賀固定か。贅沢は言ってられんがな」
3代目いかづちには日本の海上自衛隊が開発したレールガンが八門装備されていた。レールガンは電磁波で加速した弾丸を高速で大量に放つ。射程も長く、今回の小惑星砕きに適していた。一連の発射のあと、砲身が高温でダメになるため換装作業が必要だが。
その隣に座っていた女性が椅子を回してマッケロイに報告する。
「中国人民解放軍海軍の李司令官が声明を出しました。自らの判断で独自に参加すると」
さらに彼女の前の職員が補足報告する。
「黄海に展開中の中国艦船から、対空火器のコントロールが回ってきてます」
先の女性が再び報告する。
「ロケット軍の周指令からも同じ声明が出ました。固定移動を問わず地対空ミサイルのコントロールをすべて回すと」
マッケロイはパン! と手をたたいた。これで中国は国として参加したのも同じだ。正面の壁のディスプレイには中国解放軍の制服を着た李指令と周指令がマイクに向かってこぶしを振り上げて演説する様子がネット中継されていた。共産党内での権力争いに利用するつもりかもしれないが、そんな事情はどうでもいい、火力さえくれるなら、とマッケロイは笑みを浮かべた。
彼らが自らの英断を称える演説で、小惑星の衝突や、ナテアの名や、ソウルイーター計画に言及したため、隠しておけなくなった各国の首長や宗教の指導者がこぞって発表しはじめていた。人類の危機と、回避の計画が実行されていることは全人類の知るところとなりつつあった。発表には廃案になったアメリカファーストのナテア計画の存在について触れたものはなかった。そして、発表は皆、ナテアの活躍とソウルイーター計画の成功を祈る言葉で結ばれた。
作戦室の大画面主映像が変わった。夜空を見上げる勇者ナテアの横顔だ。マッケロイが呼び掛けた。
「ナテア、レーザーはどうだ?」
「予定どおりです」
サトシにとって聞きなれたナテアの声だった。
現在、小惑星に対して、軍事レーザー衛星からレーザー砲が照射されていた。瞬間的に破壊するような火力がある兵器ではないが、おなじところに照射しつづけたら岩盤が弱くなる。そこへ地層貫通弾で核弾頭を深く打ち込み、内部で爆発させる計画だ。ナテア計画のときとはレーザー照射の位置が異なる。地層貫通弾を撃ち込む場所も異なる。その差で砕いた後の数が三から四に増えているわけだ。
ナテアはマッケロイを振り返って見、となりに立っているサトシを見た。バリオの容貌はサトシ自身に似せたものだったので、サトシにはバリオの面影がある。
「バリオ。見ていて。わたし、最後までやりきるから!」
彼女は横を向いて、小惑星を見上げるように斜め上を向いた横顔を見せた。
彼女の横顔の画像はサブ画面に映って、かわりにメイン画面に表示されたのは、核で四つに分断された小惑星の欠片が、どういうコースでどこに落ちるかを世界地図上に示す動画だった。
どの地点で、どういう火器で攻撃可能か、そしてその結果さらに砕けた欠片がどのように散らばるか。何種類ものシミュレーションが繰り返されていた。
それが突然止まり、成層圏を飛ぶ航空機の胴体下部につけられたカメラの映像に切り替わった。
「地層貫通弾発射します」
男性のオペレーターの声がする。すぐ近くで復唱する声がある。
「3、2、1、点火」
画面に映った古いSFに出てくるロケットのような形のミサイルのブースターが点火された。
「軌道コントロールはナテアへ」
ロケットは加速し、機体から離れ高度を上げていく。画面は小惑星の軌道とそれに近づいていく地層貫通弾の軌道の表示に切り替わった。ふたつの軌道はみるみる近づいている。そして、ひとつになったとき、小惑星の表示の色が緑からオレンジに変わった。
「命中。予定深度到達を確認。爆発まであと七秒。4、3、2、1、0」
音も振動もない。それははるか遠方で起こっていることなのだ。
小惑星の表示が変わり、赤・緑・黄・青の四色の点になって分離した。
「四分割を確認。進路予測の誤差の範囲内です。ほかに目立った大きさの欠片はみとめられません」
この時点で砕けてできた小さな欠片は、小隕石と同じで、地表に到達しないので問題にならない。
四色の点は徐々にずれて表示され始め、それぞれの予想コースが同じ色で点滅する線となって表示された。砕け方によって、直線的に落ちるものと、地球のまわりをかなり飛行して落ちるものがあり、落下予測時間には数分の開きがあった。
「ナテアがロシアと中国のミサイルを発射。標的『黄』へ向かいます」
黄海に落ちる欠片だ。四つの中で一番直線的に落下していて、最初に地球の海面に到達する予定のものだ。二筋のミサイル群の軌道が黄色い欠片の予想コースに向かっている。
それらが一点に交わる。
「命中。効果確認中」
黄色い点がいくつかに別れた。これはレーダーや望遠鏡による観測をナテアが分析し計算したものだ。ここから先は予測による対処ではなく、観測による臨機応変の対応となる。
「最大の欠片は下方へコース変更。長野県に落下します。ほか5つが引き続き黄海へ。二つは黄海を超えて中国本土に到達します。南京と済南の人口密集地域に近い」
ナテアがすぐさま対処を計画し、実行に移していく。人間のオペレーターは指示や選択を行っているのではなく、ナテアから示された結果を報告しているだけだ。
「いかづち、レールガンを連射。次射に備えて砲身換装に入ります」
八門のレールガンはいかづちの後方甲板に縦一列に並んでいる。発射時に反動で狙いがぶれないように、砲身の反動が船の重心軸へ向かうように設計されている。
発射中、反動で砲のまっすぐ後方に向かって船が沈み込む仕組みだ。一連射で砲身は焼けて使い物にならなくなるから、耐熱防火服を着た自衛官がクレーンを使って砲身の換装を行う。短時間で行えば、次の出番があるかもしれない。作業は急ピッチで進められた。
「中国沿岸部の対空ミサイルが目標を選別中。黄海落下のもののうち一個は津波の原因になる模様。台北のミサイルが目標として捉えています。発射しました。中国ロケット軍の地対空ミサイルも順次発射中です」
ナテアはそれぞれの欠片の軌道を観測・計算しつつ、ミサイルを操作していた。すべてを同時に行い、すべてを把握していた。人間や旧式の管制システムでは絶対にできないことだった。
さらにロシア上空では、ふたつめの主要な欠片である青目標に対する最初の攻撃が始まっていた。アジアでの細かい管制と同時に、ますます目標が増えつつあった。
「カザフスタンの対空ミサイル発射、ロシアでも発射されました。目標『青』へ接近中」
青目標は細長い卵型をしていて、下面を赤く焦がされながら、ロシア上空を横断しようとしていた。三方向からミサイルが接近している。
それらは、自動追尾ではなく、ナテアの精密な管制下にあって、同時に卵型の中央で二つに割るために同時に胴回りに着弾するように計算されていた。統率されたミサイルは同時に全弾命中して卵型の胴回りに爆炎の輪を作った。その輪に沿って亀裂が走り、二つに割れた目標『青』はゆっくりと前後に別れていく。
空母の作戦指令室でもその様子は図面上で表示されていた。スカンジナビア半島に伸びていた青い予想コースの線がふたつに別れた。
「青1はバルト海に着水コース。ヘルシンキ沖、甚大な津波被害が予想されるサイズです。青2は北海へ。それぞれロシアのミサイル群とイギリスのミサイル群が発射されました。バルト海および北海沿岸の各国艦船は次の対空防御に備えて人口密集地域への接近を指示されています」
壁面の世界地図は表示だらけになりつつあった。
「長野コースの破片にレールガンが命中。粉砕された欠片のうち、要対処サイズのものはふたつ。コースは新潟と石川の沿岸部。依然人口密集地域です」
ナテアはその対処にふたたびいかづちのレールガンを選択した。砲身換装作業を終えたいかづちの作業員は接合のチェックをマニュアルどおりに実施していたが、いきなり発射を知らせるサイレンが鳴った。
「作業中止! 退避しろ! ここに居たら焦げ死ぬぞ! めちゃくちゃだ! チェック中だぞ!」
換装を指揮していた将校は部下に指示して自分もハッチから艦内に飛び込んだ。ライブカメラで換装作業を監視していたナテアは、隊員の安全を確認するや、レールガンの二射目を放った。弾は新潟と石川の沿岸部上空へ向かう。これ以上遅いタイミングでは、高度が低すぎて、レールガンの弾丸自体が都市部に着弾する可能性があった。レールガンが砕いたあとの欠片のうち、人的被害を巻き起こしそうなものをさらに砕いて無害にするため、新潟と石川では自衛隊の対空車両が、ナテアの指示する場所に展開するために走っていた。先導する指揮車はサイレンを鳴らしながら拡声器で道を空けるようにどなっていた。
「緊急車両通過! 道を空けなさい! こらあ! 空けろ!」
途中から、先回りして横道を封鎖しているパトカーや白バイのおかげで、拡声器の怒鳴り声は減り、移動速度は上がっていっていた。
サハラへ落ちる緑で表された欠片は、そのままのサイズで落ちれば、地球を一周するほどの強力な地震波を発生することになる。その衝撃を抑えるためには、少なくとももう一度砕く必要があった。イスラエルとトルコから発射されたミサイルが迎撃に向かっていたが、問題は砕いた後の欠片の落下点が無人の砂漠に収まるかどうかだった。
もしも大きくコースを変えて人里に向かうものがあったとき、それを迎撃するだけの火力はアフリカ付近に集まってはいなかったのだ。それに、砂漠と言えど完全に無人ではないわけで、その避難活動は並行して行われていたものの、落下予測から離れるほど遅れている状態だった。その結果、落下地点は大きく変わらないように砕くという課題がナテアに課せられていた。そのため『緑』に向かっているミサイルは、弾頭の爆発力によってではなく、質量と相対速度によって欠片を砕くように質量弾頭が装填されていた。爆発しない弾頭で『緑』が砕けるかどうか、それは全てナテアのコントロールにかかっていた。
相対速度が大きくなるように、ミサイルはわざと欠片の進路の前方から衝突するように大きく西に迂回するルートを取っていた。さらに、砕けたあとの散らばりを狭くするため、ほかの欠片に比べて低空で砕かれることになっていた。
これに失敗すると、大地震が広範囲に被害を及ぼすことになる。円形のフォーメーションを組んだミサイルが、落下する『緑』に接近する様子が、観測のために飛ばされていた無人機のカメラでとらえられていた。ミサイルが同時に欠片に突き刺さる。宇宙空間で照射されていたレーザー砲が、『緑』を割りやすくしていなければ、弾頭が突き刺さるだけだっただろう。『緑』は高速で落下しながら、斜めに輪切りにされたように割れてずれ始めた。
徐々に三つに分離し、互いに離れていく。
画面上の落下コースを示す線は三本になってもほとんど重なったままだった。
メキシコ湾を目指す『赤』はそういうわけにはいかなかった。沿岸を津波が襲わないように、細かく何度も砕く必要があった。
フロリダから発射されたミサイル群が最初の接触で『赤』を粉砕する。ここからは出たとこ勝負だった。前半分は細かく砕けたが、後ろ半分は三つに分かれて、その一つは大きく北へ反れた。合衆国本土へ向かってしまう。
サイズと軌道を計算して、ナテアが二の矢を放つ。ヒューストンから発射されたミサイルの数はフロリダの三倍あった。また、メキシコ湾中央に向かったのこりの欠片へ向けて、キューバからミサイルが発射される。
そのころ、日本と中国で、欠片が地表に到達しようとしていた。
最も早かったのは新潟と石川へ向かった欠片だった。夕闇迫る新潟市と金沢市の町明かりが、欠片の前方にみるみる近づいていく。このままでは市街地に落下する、と思われた瞬間、ふたつの欠片の下方から、レールガンから発射された大量の弾丸が同時に炸裂した。それらは微妙に仰角を変えて、同時にこの地点に到達するようにナテアの計算によって発射されたものだった。欠片はバラバラになり、バスケットボール大の多数の欠片になって、なお人口密集地へ向かっていた。都市部の明かりの向こうの暗がり、つまり洋上から、幾筋ものオレンジ色の光がバスケットボール群に延びてきた。護衛艦の対空砲火だ。それらは本来それぞれ単独のレーダーの管制による射撃を行うのだが、小惑星の欠片はレーダーロックできない。だから、ナテアが欠片を観測し、一門一門の対空砲に発射指示を出して、射撃結果を見て微調整をくりかえしているのだ。バスケットボール大がひとつ粉砕されるごとに、新しい標的に調整を繰り返していく。
護衛艦の射撃だけでは間に合いそうにないと思われた矢先、都市の郊外からも対空砲火の光が伸びる。展開が間に合った自走対空砲による射撃だ。射程が短いため、引き付けてからの参加になったものだ。
新潟上空の欠片の最後のひとつが砕かれる。小学校の校庭の真ん中で射撃していた三両の自走対空砲の射撃がぱたりと止む。その車体の装甲に砕かれて砂粒大になった欠片がパラパラと降り注ぎ、カンカンカンと金属的な音をたてた。都市部にも同じように降り注いだが、窓ガラスを何枚か割った程度の被害しかなかった。
黄海の洋上では中国艦のから、まず、ありったけの艦対空ミサイルが発射される。それに続いて対空砲火がはじまるのだが、ターゲットは船に向かってくる欠片にかぎられていた。洋上での粉砕は、目的が沿岸部を津波から守ること、だったので津波を起こさないサイズになったものは、そのまま落としても構わなかったのだ。
だがひとつ、そこにナテアの誤算があった。津波をおこすほどではないバスケットボール大のものがひとつ、射撃を終えた中国の駆逐艦の艦橋の上を通り越して艦の右舷二百メートルほどのところに落下した。艦に直接命中する物は砕いたが、命中もせず、津波で沿岸に被害を及ぼすサイズでもなかったからだ。
落ちた欠片は海面に衝撃を与え、沿岸までは届かないにしても海面を大きく乱して横波が中国艦を襲った。ナテアがデータを持っている米海軍の駆逐艦であれば、十分に耐えられる波だったのだが、中国艦の復元力はそれに劣っていた。大きく揺らいだ船はバランスの限界を超え、転覆してしまったのだ。
駆逐艦の乗組員たちはさかさまになった艦内で天井に叩きつけられ、つづいて浸水が始まって濁流が通路を襲った。艦のコントロールを預けられていたナテアには、艦内の様子を写すカメラ映像も送られていた。溺れて命を落とす水兵の顔が写り、その水兵個人のことを思いやると、ナテアの電子頭脳はナテアが望みもしないのにその水兵を顔認識によって特定し、NSAが持つ情報を検索して彼の個人情報をナテアに伝える。やさしそうな妻と八歳になる息子。息子の誕生日の団欒を写した映像が、艦内映像とオーバーラップしていく。子供の言葉が、ナテアの脳内に響く「お父さん、お仕事頑張ってね」と。
ナテアに手があれば、頭を掻きむしっていただろう。
「ああああああああ!! 守れなかった! 守れなかった!」
ナテアは絞り出すように後悔の念を声にした。そうしている間も何百という兵器の管制を続け、欠片の動向を把握し続けながら。
作戦室でそれを見ているしかないサトシは拳を握りしめていた。頑張れナテア、と声をかけてやりたかったが、それが今の彼女には残酷なのではないかと思えて、声が出なかった。
サハラ砂漠で、三つに分離した『緑』の欠片が地面に到達しようとしていた。軍事衛星が遥か上空から、その様子を観測していた。その情報もすべてナテアに集約されていた。砂漠に接触すると、衝撃波が地面を大きくえぐり、熱が岩石を熔かした。三つの連続したクレーターが形成された。そこを震源に地震波が砂漠を伝わる。地中海南岸の都市に到達したときの震度は4から5。脆弱な家屋の倒壊も起こったが、人的被害は免れていた。
メキシコ湾の『赤』の欠片はの一部はキューバに被害をあたえようとしていた。もう米本土からのミサイルでは迎撃できない。キューバの陸上にある対空火器と、沿岸の艦船を集め、射程内に入るのを待つ。
バルト海と北海の『青』も同じ局面だった。自走対空砲や固定砲も含め、ナテアが操らねばならない兵器の数は膨大なものになっていた。砕くたびに新し破片の新しい進路を計算し、効果的な迎撃プランを策定し、実行に移す。瞬きするほどの時間に、それを何度も各地で同時に繰り返さねばならない。
一方で『黄』の欠片は最終局面を迎えようとしていた。南京と済南の人口密集地域上空での戦いだ。
慣れない中国製の火器は、ナテアの計算通りの効果を発揮してくれなかった。微調整時の反応も遅い。砲塔の回転や仰角変更の速度の差すらも、ナテアにはもどかしかった。それでもやるしかない。まずは地対空ミサイルが発射される。砕けた欠片を端から分析する。サイズと速度、コース。危険なものとそうでないものを識別し、危険なものに対する次の攻撃を開始する。対空砲の射程に入ると、ナテアが操る対象が膨れ上がる。
南京で無人地帯に落ちると判断したバスケットボール大の欠片が、危険地域に向かうと判断されてミサイルで砕いた欠片の一部と接触してコースを変えた。
何万の攻撃を同時に管制しながら、そのひとつであるこの事象に「まずい!」とナテアは反応した。無人地帯を超えて、丘の上に造成されたマンション群のあたりに到達する。迎撃できる火器を選んで、攻撃する。二十五ミリの対空砲が二門、欠片を捉えた。マンションに向かいながら砲弾でパリパリと表面を砕かれていく欠片。
欠片がマンションにどんどん近づく。ナテアは、これ以上は砲弾がマンションに命中してしまう、というぎりぎりまで攻撃を続けた。しかしハンドボール大の欠片の芯が最後まで残り、二十階のマンションの十二階から十階までななめに貫いた。
マンションは崩壊しなかったが、貫通したところに住んでいた六つの家族は全員即死だった。
死亡した親、子供、老人のデータがナテアの頭の中を1ミリ秒で駆け抜けた。ナテアにとっては永遠とも思える拷問だった。
「うああああああ! 守れなかった! 間に合わなかった! わたしが! わたしがもっと!」
欠片同士の衝突によるコース変動は正確にではなくてもある程度計算可能だ。ナテアは予測の範囲を広げた。それだけ負担もけた違いに大きくなる。
作戦指令室では、ナテアの本体温度が問題になっていた。
「温度が上がりすぎだ。計算効率が落ちる。誤作動の可能性も」
マッケロイは温度表示を睨んで呪文のようにつぶやいていた。
そのとき、作戦指令室の正面の壁のモニターの右上隅に、マッケロイにとって思いもよらないらない警告表示が出て警告音が鳴った。同時に空母のどこかで「ガコン!」と大きな音がして、床が揺れた。
「なんだ、あのアラームは!」
マッケロイが叫ぶと、スタッフの一人が答えた。
「艦の原子炉緊急冷却用海水撮り込み口です。外弁が開いています」
「だれが!」
と言いかけたマッケロイには犯人に心当たりがあった。
「内弁は閉じたままです。海水が艦内に浸水する可能性があります。中央格納庫に浸水中」
中央格納庫の壁の継ぎ目のビスがはじけ、隙間から海水が噴き出す。海水は床に広がり、押し寄せるアリの大群のように床を進む。その先には八本の壁のような冷却装置に囲われたキノコ型のコンピュータ本体があった。キノコの頭からは何本も太いケーブルが天井に延びている。その台座に向かって、海水が押し寄せていく。熱くなっていた台座のまわりの鉄板の床に海水が到達すると、たちまち蒸発して湯気を上げ始めた。
「ナテア! すぐに弁を閉じろ! そんなのは一時しのぎだ! 海水に浸かったら、おまえは・・・・・・死んでしまうぞ!」
マッケロイはナテアをただのコンピュータとは思っていなかった。
「やらせて! 最後まで! 守ってみせる!」
ナテアの顔のイメージが、マッケロイを振り返り、ナテアの声が響く。ナテアはちらりとサトシを見た。そして再び空を向いた。
「ナテア! がんばれ!」
サトシも呼び掛けたが、その声をかき消すように、ナテアの叫びが上がった。
「うああああああああ!」
守れなかった水兵や家族のことを思いながら、ナテアは泣いていた。泣きながら同時に無数の火器で小惑星の欠片と戦っているのだ。
「ナテアー!!!」
サトシの渾身の叫びが作戦指令室にこだました。
バリオはあの噴水の枠石に座っていた。後ろでは子供たちが遊ぶ声がしている。おだやかな日差しはあの日のままだ。この町の名はナテアタウン。町を救うために戦った勇者の名をとって『草の町』グラスタウンから改名された。
バリオはぼんやりと広場の花壇の方を眺めていた。
花壇の前に法衣を纏ったナテアの姿が浮かぶ。笑顔でバリオに話しかける声が聞こえた、と思った。
「うふふ。マッケロイがわたしのコアだけサルベージしてくれたのよ」
ナテアの微笑む顔。それはサトシの願望の中だけの話だった。手を伸ばしたバリオの前で、ナテアの姿はかき消える。そしてその花壇の前には、勇者ナテアの銅像が立っていた。銅像は短い三日月刀を持った右手を突き上げた立ち姿のものであり、その足元は切り花が積まれて像は膝まで花に埋まっていた。切り花の前に、また一輪、花を足す旅人の男女が来て、側で座っているバリオにぎこちない会釈をして去っていく。いかにもゲームを始めたばかりの1レベルらしい装備のカップルだ。
「はあぁ」
バリオは溜息をついた。
「あの勇者のパーティにでも入れてもらうかな」
思い浮かべたのはイレイサー退治で供に戦った勇者のパーティメンバーたちだった。バリオが加入しても、パーティのバランスは崩れないだろう。
バリオはゆっくりと立ち上がり、歩きはじめた。また一組、切り花を置いていく人たちと会釈をしながらすれ違う。
バリオの後ろには噴水と、その向こうでボールで遊ぶ子供たち。さらにむこうに高い鐘塔を備えた教会があり、その背後には真っ黒な直系三百メートルの伏せた椀状の山があった。教会の裏の壁を食い破ったところで息絶えた、イレイサーの亡骸である。
そしてバリオが進む先には、手に手に花を持った真新しいキャラクターたちの列が、町を出てずっと彼方の丘の先まで見える限り続いている。
ナテアの像に献花するためだけに、わざわざこのゲームにユーザー登録した世界中の人々のキャラクターたちだ。
像の足元には石板があって、こう刻まれている。
『この町と、現実の世界を守るために、困難に立ち向かい最後まで戦った勇者ナテアを讃えて』と。
了
読んでくださった方はおわかりかと思いますが、ラストシーンありき、のお話です。現実世界のサトシくんがちょっと活躍するように改稿の予定ですが、とりあえず公開です。