元魔王は焦る。
収穫を終え、芋が入った籠をフィリアと二人で運ぶ。
芋は長期保存も効くので、これがこの村の冬越えには必要不可欠な栄養素だ。
ビバ芋!
浮足立って食料保存庫へと向かう途中、ふいに鼻先がむずむずと痒くなった。
「フィリア、ちょっと待って」
「どうしたんですか、ルインさまぁ」
「うん。鼻が痒いんだ」
「ふふ。じゃあ掻いてあげますね」
「うん、ありがとう」
籠を持ったまま、フィリアに顔を近づけると――
彼女の表情が固まった。
と同時に背後から臭い気配を感じた。
『ゴギャゴギャアァァ』
「きゃああぁあぁぁぁっ」
臭いソレが雄たけびを上げるのと、フィリアが悲鳴を上げるのとはほぼ同時。
臭いソレ=ゴブリンだったか?
背丈は今のぼくよりは少し高い程度。
ソレがぼくたちに向かって駆けて来た。
「ルインさま逃げなきゃっ。ルインさまっ」
ぐいぐいとぼくの袖を引っ張るフィリア。
だけどぼくの返事は――
「え? なんで?」
というもの。
逃げる必要があるようには見えない。勇者が来た時すら、最初の頃の魔王は歓喜したぐらいだ。
話し相手が来た――と。
まぁ現実とは悲しいもので、どの勇者も似たようなセリフしか言わないし、問答無用で技を仕掛けてくるばかりだったが。
駆けて来たゴブリンを裏拳一発で吹っ飛ばす。
『ゴギャッ――』
短く悲鳴を上げたゴブリンは、そのままピクリとも動かなくなった。
「ル、ルインさま、凄い!」
「凄くないよ。だってゴブリンは――」
そうそう。ゴブリンって最雑魚だったな。
魔王だった頃に一度見た事があったが、僕を見た瞬間、恐怖のあまり心臓麻痺で死んだんだっけか。
だけど今は正気だった。
ぼくに恐怖していないという事?
つまりぼくは……ゴブリンにすら見下されている!?
いやそれよりもだ。
ゴブリンがこんな近くまで接近していたのに、ぼくは感知できなかった。
人の身に転生したことで、確実にぼくは弱くなっている。
くっ。なんたる不覚!
集中して感知魔法を発動させると、村の中に魔物の気配がいくつもあった。
「ぎゃああぁあぁぁぁっ」
遠くから聞こえる悲鳴。
怯えたフィリアが直ぐにぼくの下へと駆け寄る。
「ルインさま、怖い……」
「大丈夫だよフィリア。村はぼくが守るから」
なんたることか。
無事転生してスローライフが始まったばかりだろいうのに。
魔物による襲撃だと?
ぼくの……ぼくのスローライフを邪魔する奴らは何人たりとて許しはしない。
たとえ神々だろうとなぁ。くくくく。
「ルイン坊ちゃま! フィリア!」
ぼくたちの方へと駆けてくる人が居る。
フィリアの父上だ。後ろからは母上もやって来ていた。
二人とも無事で何より。
だが急がねば、村人が全滅しかねないな。
「おじさん、おばさん、フィリアをお願い。早く屋敷に逃げてっ」
「ルイン坊ちゃま!?」
「ルインさま!?」
ぼくは駆けた。
村の中央に向かって。
そして見た。
何十匹かの魔物が村の家屋を破壊し、村人を――
飛び交う鮮血――悲鳴――命の火が消えていく。
くっ。やはり魔物の暴走――スタンピードか。
やめろ……何故邪魔をする……ぼくの……私の……
「平和なスローライフを汚すな!!」
全身に流れる魔力を、薄い膜のように体の表面に纏う。
薄く、だが鋭く。
触れたモノを確実に切り裂く、闇の衣と化す。
魔物の集団へと駆け寄るが、ぼくはそれに少し触れるだけ。
そうするだけで魔物はスパっと切れて、同時に闇に蝕まれ蒸発す――るは、ず?
『グギャオオォォォッ』
「んん? どうしてスパっと切れないで、中途半端なんだろう」
切れないし、蒸発もしない。おかげで臓物が駄々洩れ状態だ。
たまたまだろうか?
ならこいつはどうだ?
闇の衣に僅かだけ魔力を注ぎ込む。これで切れ味は増したは……ずなんだけどなぁ。
『ギャアオオオオォォォッ』
こいつはオーガだったか。やたら悲鳴が五月蠅い。
おかしい。
オーガはそれほど頑丈な魔物であったか?
確殺できていないのは何故だ?
こいつも!
『グゲエェェッ』
こいつもか!
『ガハアァァアァァッ』
何十匹に触れようが、こいつらを一撃で仕留めることが出来なくなっている。
転生によってここまで力が衰えたか。
それとも――魔物側が強くなった?
「我に全てをさらけ出せ。鑑定――」