元魔王は農耕をする。
「漆黒の刃、音なき風に舞え――黒曜斬撃波」
我がアルファート家の屋敷からほど近い森の中。
家族には内緒でこっそりやって来ている。
目的は狩りだ。
三歳から始めたこの「こっそり家族には内緒で食材探し」も二年になるな。
なるべく怪しまれない様、外傷の残らない魔法で獲物をしとめ、屋敷の周辺、わざと目に付く場所に置いておく。
空間転移魔法があればこそ容易に出来る事だが、いつ見つかるかとハラハラドキドキしている。
だがこれがまた「生きてる!」と実感できる、とても楽しいひと時だ。
さて、狩りも終わったし、今度は畑へ行こう。
五歳になると屋敷の外、村へと遊びに行けるようにもなった。
この年になるとようやく自分が生まれた環境――このアルファート領についても分かるようになってきた。
領地は小さく、また痩せた土地故作物の実りも少ない。
少ないという事は王国に支払う税金を工面するのも一苦労。
領民だけでなく、アルファート男爵家も生きるのにギリギリの生活を送っていた。
人の身に転生して喜んではいたが、楽しい人生を送るには金が必要らしい。
その金は遊んでいても増えはしない。働かねば貰えないのだ。
「だからぼくは働く!」
「おや坊ちゃま、今日も畑仕事を手伝いに来てくれたのですか?」
「うん、来た!」
必殺・天使の微笑み。
村の年寄りはこれでイチコロだ。
「ルイン坊ちゃまは本当にかわいいねぇ。それに親切で働き者だし」
「そうだなぁ。お兄さんのアルディンさまも優しい方じゃけん、お二人で仲良うアルファート領を治めてくれたらええのぉ」
「うん、ぼく兄さんと一緒に頑張るよ」
そして再び天使の微笑み。
アルディン兄さんは今、王都に行っている。
王都で騎士になるための訓練を受けているのだ。
そして経験を積み、数年したら戻ってくる――予定になっている。
なかなか優しくて、大好きな兄さんだ。
もう転生生活が幸せ過ぎて怖いぐらい。
だが――歴代勇者たちの言う「魔王が居なければ世界は平和になる」は、結局のところ嘘であった。
私が倒されてから六百年以上経っているが、実に世界は混沌としている。
魔王は居ない。
だが世界から争いが絶えることは無く、今もどこかで国同士が戦争をしているし、魔物は相変わらず健在だ。
噂では、このところスタンピードなる現象を起こし、大群で人里を襲って甚大な被害が出ているとかなんとか。
ま、アルファート領が平和ならそれでいい。
そう思っていた。
「ルインさま~」
畑で芋の収穫を手伝っていると、村のほうから少女が呼ぶ声が聞こえてくる。
村にはぼくを含め、小さな子は二人しか居ない。
ぼくと、そしてもうひとりは今駆けて来たフィリアだ。
「ルインさま。お手伝いですか?」
「うん。フィリアもやる? 楽しいよ!」
「はい。フィリアもお手伝いします」
「ははは。フィリアまで手伝ってくれるのかい? こりゃあ仕事が捗るねぇ」
淡い空色の髪に、夕焼け空のような橙色の瞳を持つフィリア。
気が弱く、体力もお世辞にもあるとは言えないが、優しい少女だ。
「じゃあフィリア。二人でこの蔓を引っ張るんだ」
「は、はい!」
フィリアひとりでは芋の蔓もまともに引き抜けないだろう。だからぼくも一緒に引くことにする。
だがいつもと勝手が違い、上手く蔓に魔力を流し引き抜けなかった。
ブチッ、ブチッと音がして、根元から蔓が切れてしまったのだ。
「きゃっ」
「うわっ」
二人そろって畑に尻もちを突くと、直ぐにでもフィリアの瞳に涙が蓄えられはじめる。
「私……私……やっぱりみんなの役に立てない」
「フィリアはまだ子供なのだ。力が無くて当たり前だよ」
「でもルインさまは、いつも簡単にお手伝いしてるし……」
これはいかん。
元魔王であるぼくと、完全無欠の人間フィリアを比べても仕方ないのだが……。
よし、ここはひとつ。
地面から僅かに出た蔓を掴み、ささっと魔力を流してずぼっと引っこ抜く。
「わぁフィリア! こんなにお芋が付いていたよっ。さぁ、僕が引き抜くから、君は芋をひとつずつ蔓から取ってね」
小さな芋が四つ実った蔓を彼女の前に差し出し、ぼくは次の蔓を引き抜きにかかる。
涙目だった彼女もこれなら簡単に出来る。
「さぁ、フィリア。じゃんじゃん抜くから頑張るんだ。ぼくは一本抜くだけでも、フィリアは幾つももぎ取らなきゃいけないんだからね」
「は、はい! 頑張りますっ」
よしよし。泣いた子がもう笑った。
「不思議だねぇ。本来は土を掘って芋を取り出すもんだけども」
「あぁ。ルイン坊ちゃまだと、何故か地面から直接引き抜いてしまう。おかげで収穫が早くなって助かるってもんさ」
そんな村人の会話を聞くと、元気とやる気がみなぎってくる。
誰かの為に頑張るって、とても気持ちの良い事だ。
ゴミのような僅かな魔力を蔓にたれ流せば、それがコーティング剤となって土から芋が隔離される。
こうすることで、労せずして土から芋を綺麗に引き抜けるのだ。
今年から畑仕事を手伝うようになって、ぼくは密かに土壌改良も行っている。
狩りで獲った獲物の骨を魔力で粉にし、それを土に撒いて――あとは土が肥えるよう精霊たちに働きかけている。
数年辛抱すれば、きっと二十四時間三百六十五日豊作になるだろう。
楽しみだ。
隣ではフィリアが笑顔になって、芋をぶちぶちと蔓から引きちぎっている。
こんなのどかな生活を、私は渇望していたのだ。
だが、この平和ボケが私の感知能力を低下させたのかもしれない。