序 大演説
諸君! ここは本編とは無関係なパートなので、読み飛ばしても以降の物語に一切の支障なきことを、余が保証する。
諸君! 諸君は気づいておいでだろうか。およそ死者の魂の概念は宗教の成立以前より仮定されてきた。
だが素直に死後の世界におもむくことを忘れて、古い屋敷から柳の下まで、なんだかんだと理屈をこねて、あらゆるところに出現してやまない存在。
ここでは「幽霊」と名付けておく。
古今東西の報告事例をまとめれば万巻の書となって余の店舗を埋め尽くしてあまりある。
よって、さらに一部の範囲「心霊写真など記録された幽霊」に限定して、話が進めていく。
初めての心霊写真は十九世紀までさかのぼる。
初期の心霊写真とは、子供だましのトリック写真にすぎなかった。
だが今でこそ子供だましでも、当時は大人をもだましえたのである。
「妖精の写真」でググって出てくる写真など、まさに好例。
興味があるむきは、そのまま「コティングリー妖精事件」のウィキペディアを参照されてよい。
しかし、その後もカメラは幽霊をとらえ続けた。
およそ夏になれば「あなたの知らない世界」と題されたテレビ番組が、一泳ぎした後おひるに冷や麦を食す児童の肝胆を寒からしめた。
あるはずのない手が肩にかかっている写真や、逆にあるはずの足が消失した写真。
人影が窓からのぞく写真などを前に、自称霊能力者たちは写真を「鑑定」した。
どのような物語の元に怪異が出現したのか。
有害なのか無害なのか。
写真をどう始末したらいいのかを解説した。
ビデオカメラが一般に普及しだすと、幽霊は動画になって記録された。
テレビメディアも写真もそこそこに、視聴者から送られたビデオを大きく紹介した。
「窓の外に現れた影とは……!」のテロップとともに、そこをクエスチョンマークで隠して、コマーシャルをまたぐ夏が十年ほど続いただろうか。
しかし現在、このような怪奇番組は見なくなった。
理由はパソコンやスマホの普及により、だれでも簡単にそれなりの心霊写真やビデオが作れてしまう世になったことが大きい。
「あなたの知らない世界」史上最も恐ろしい写真も、現代っ子は「ただの駄コラじゃねーか」と鼻もかけないであろう。
以上をまとめると、
「まあ、これまでいろんな幽霊が記録されてきたよね」
という話である。
しかし諸君。諸君らは大切なものを見落としている。
ここから本編に入るための、まさに序章が始まらんとするので、大きく改行しておく。
写真やビデオに記録された幽霊、だれひとりとして眼鏡をかけた者がいないのだ。
現代でもおよそ、六割七割の人間が視力矯正器具の世話になっているのに、幽霊世界で眼鏡率ゼロとは、半数がコンタクトと見積もってもおかしい。
「いや、死後にそういった障害は治っているのだ」
とまことしやかに説明してくれた友人もあったが、長年にわたり眼鏡をかける習慣ある者から眼鏡を奪うのは、その半身をもぎ取るにも等しい。
なるほど、視力に不便がなくなった彼は意気揚々と死後の世界に旅立つだろうが、ともすれば眼鏡の位置を直そうと指先は幻の眼鏡フレームを求め、鼻から上の重さをなくした不安は、じょじょに精神をむしばむだろう。
めがね、めがね。
探し求めても今朝の洗面台にもおでこにもありはしない。
人生をともに歩んできた戦友、家族より身近な連れ合い、親の顔より見たレンズは、永遠に失われてしまったのだ。
これを地獄といわずになんといおう。
地獄に落ちる前のプレ地獄。
閻魔大王の裁きの前の私刑。
死後の世界よ、法治国家であれかし。
ゆえに、カメラの前に現れた幽霊たちの訴えたきこととは、まさにこの一事しかない。
「眼鏡プリーズ」
しかし、どの宗教をのぞいてみても、死者の魂を慰めるために眼鏡が必要になる儀式は存在しない。
隗より始めよの故事にしたがい、余が先鞭を付けるより他はあるまい。
幽霊専門の眼鏡店だ。
眼鏡が必要な幽霊よ、余の元に集え。
できれば先に眼科を受診して処方箋をもらってくるのが望ましい。
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そのような大演説を前に、師たるマイスターは落ち着き払ってこういった。
「病院に行こう。なっ」