第三十五話 魔人薬
リラクは、賊のリーダーらしき男の肩に触ったまま、ホリックを見つめた。ホリックの顔は衛兵の詰め所で似顔を見ていたから知っている。
ホリックは怪訝な顔でリラクを見ている。
「回復魔術師だと……? お前みたいな奴がいてたまるかッ! ハンターの俺が追いかけられていることに全く気づかないだと……。ふざけるんじゃないッ!」
「いや……、本物に比べたら大したことないんだけどなあ……」
リラクに諜報活動のノウハウを教えた王都の隠密は、目の前にいるのにいないと思わせる様に気配が薄く、存在自体が希薄な人だった。その人に比べたら、リラクの追跡など児戯に等しい。
そこで賊のリーダーは不安そうな悲鳴を上げた。
「な、なあ……。そこに誰かいるんだよな? 俺に何をしたんだ?」
「ん? お前の身体をちょっと弄っただけだよ」
「はあッ!? お前は回復魔術師じゃないのかよッ!? 何でそんなことができるッ!?」
回復魔術師には、ある制限がある。回復魔術師は攻撃系の魔術が一切使用できないのだ。
「お前は、何か誤解していないか? 回復魔術師は確かに攻撃系の魔術は使用できない。だからといって、お前の身体を操作するのに攻撃系の魔術は必要ないぞ」
「だったら何なんだ、この魔術は?」
「回復魔術の応用さ。お前らは回復魔術を誤解している。回復魔術は傷を治し、毒を取り除く魔術ではないぞ。回復魔術は術者の意思に沿って、対象者の人体に魔力を作用させる魔術だ。ただそのためには、対象者の人体を把握する魔術的な技術と、人体に対する知識が必要になるけどな」
リラクは肩をすくめた。
賊のリーダーは己の状態を理解し、恐怖に顔を歪める。
「はあッ!? なら俺の身体は……」
「お前の身体は俺が支配している。と言っても、ちょっと神経系の伝達物質を操作しているだけなんがな」
「しんけいでんたつぶっしつ?」
「まあ、知らないよな」
神経伝達物質は、リラクとルーティアの研究によりわかったことである。ただ、物理的に証明ができず、魔力による感覚的な理解であるため、わかっているのはリラクとルーティアのみである。もちろん公表もしていない。
——瞬間、銀閃が煌めいた。
リラクは咄嗟に避けようとするが、狙いはリラクではない。
「あがッ!?」
賊のリーダーの額に、ナイフが突き刺さっていた。賊のリーダーは驚愕な表情のまま、大口を開けて固まっていた。もはや生きていない。
リラクはナイフを投げたホリックを見て、
「仲間じゃないのか?」
「いいや。仲間だったが正しい。仲間の足を引っ張るような奴は仲間ではないからな」
ホリックは嗤った。
「お前……クズだなあ……」
リラクはため息をつき、賊のリーダーから手を離す。そのまま地面に倒れていく。
ホリックは懐から小瓶を取り出した。
「なぁ、お前はさっき……、人体知識と把握が必要だと言ったな? なら、お前の知らない人体構造なら何もできないよなあ?」
「まあ確かにできないな」
リラクが行った魔術は人にしか効果はない。
「ならちょうどいい……。この薬の効果をお前で試してやろう」
ホリックは小瓶の蓋を開け、紫色の液体を飲み干した。その効果はすぐに出る。肌は赤みを帯び、全身の筋肉を隆起させて衣服を引き裂いた。目は赤く染まり、頭から角を生やす。ホリックの身体は変身前の二倍以上の体躯となっていた。
「…………」
リラクは無言でその変身を眺めた。
ホリックは自身の肉体の変化を見て、満足げに笑う。
「おお……、力が漲っていく……」
と、拳を強く握りしめた。
「……魔人薬か」
リラクはポツリと呟いた。
ホリックは感心したように、
「ほう……、知っているのか?」
「知ってるさ。二、三年前に研究所を何件も潰したからな。あの時、資料を全部燃やしたと思ったんだが……。まだ残ってたんだな」
王都でルーティアと過ごしていた頃、王の依頼で人間にとって禁忌の薬であるとして、王の側近である部隊と一緒に、その研究所を潰しまわった。
「なるほど、そういうことか……。この薬はたまたまサンプルで貰ったものでな。もっと欲しいと思ってはいたが、その時には研究所はなかった。だから薬のサンプルをもとに開発したのだ。この薬を他の国に売ったら、大儲けだ」
「お前が化け物になったら、大儲けも何もないだろうに……。だけど、あの変異種の理由もわかった」
魔獣に魔人薬を飲ませたのだろう。そのため特異な変質をしたようだ。
「では行くぞ」
「——ッ!?」
ホリックは残像を作るような速度で、リラクに迫った。
リラクは驚愕し、目を見張る。反射的に、防御の姿勢をとった。
——衝撃が走る。
リラクは吹き飛び、大木に打ち付けた。
「かはっ!」
肺の中の空気を一気に吐き出す。
ホリックは自分の身体を見て、
「何と素晴らしい力と速さだ。想像以上だ」
リラクは身体の痛みに歯を食いしばる。全身の骨が軋みを上げた。やっとのことで立ち上がる。身体に『回復』をかける。『自動回復』では間に合わないほどのダメージだった。
「なんつー化け物だ……」
口の中に溜まっている血を吐き出した。脳の警戒レベルを最大限に上げる。魔力を全身に巡らせた。
ホリックが再びリラクに襲い掛かる。
「——ッ!」
リラクはホリックの太い右腕から繰り出す拳を紙一重で回避し、ホリックの左頬を右拳で殴る。が、ホリックは笑いながらリラクの拳を押し返し、空いた左の拳でリラクの腹を穿った。
その衝撃にリラクは目を見開き、空中に浮いた。そこへ、ホリックの回し蹴りが入り、再び吹き飛ぶ。
リラクは痛みに耐えながら空中で姿勢を正し、瞬時に自分に『回復』をかける。そのままの勢いで木の幹に着地し、その幹を蹴り上げ、ホリックへ突進する。身体を回転させ、飛び蹴りの姿勢をとる。
狂喜するホリックは、自身に迫るリラクの右足を掴み、振り回す。何度も地面に打ち付けたあと、投げ飛ばす。
リラクは土煙を上げ、地面に転がりながら止まった。
身体に『回復』をかけ、ゆっくりと立ち上がる。
ホリックはその光景をニヤリと笑った。
「殴るにはちょうどいいな。何度痛めつけても立ち上がる。いい肉人形だ」
「……そうかい」
リラクはそう言いながら、口許の血を拭った。
単純な殴り合いは、リラクには分が悪いようだ。魔力もいつまでもつかわからない。
「なら、ここからは回復魔術師として戦うことにするよ」
「フンッ、何が変わるのかね? 『解毒』のような魔術で魔人薬を取り除くことはできんぞ?」
ホリックの言った通り、リラクは魔人薬の成分を知らない。だから魔人薬を取り除くことはできない。できたとしても、すでに変質してしまったホリックを元には戻せないだろう。
「まぁ、見てからのお楽しみかな」
リラクは真っすぐホリックへ駆けて行った。
「何だ、さっきと同じではないか?」
興覚めといった感じのホリックに、リラクはニィッと笑い、
「さあどうかな?」
「ならば、次がお前の最期だッ!」
ホリックは大きな拳を振り上げた。
確かにホリックは人から化け物に変わった。今のホリックには人体を操作するような回復魔術は通用しない。
——だが、元人間である。
リラクはホリックに触れ、唱えた。
「『初期化』」
その魔術はとある思考から誕生した。回復は傷を治すのではなく、術者の意思によって正常な状態に戻す。それは、人間の身体を前の状態に戻すのと同義だ。
ならば、人間の時すらも巻き戻すことが可能ではないか?
「なッ!?」
ホリックは驚愕する。ホリックの身体は少しずつ元の人間に戻っていく。
「終わりだ」
リラクは渾身の右拳を繰り出した。
ホリックは自分の身体に起きた突然の出来事に放心状態になり、反応できない。
ホリックの顔面にリラクの拳が突き刺さり、空中を舞い、地面に転がった。ホリックは立ち上がることなく、ピクリとも動かなかった。
「ちょっと危なかったな……」
リラクはホリックの様子を見て、大きく息を吐いた。
「オーイッ!」
山賊のような野太い声がする。
リラクが声のする方を振り向くと、ゴードンとカイル、数名の衛兵を引き連れて走ってきた。
ゴードンは地面に転がるホリックを見て、
「終わってたか……。ん? こいつこんなに若かったけか?」
と、首を捻っている。
カイルはリラクに声をかけた。
「やっと終わりましたね」
リスティのことがきっかけでわかったホワイトファングの事件から始まり、そこから紐づいて起きたカーターの事件。そして快楽草の事件。それらの事件が終わったとカイルは言いたいのだろう。
——しかし、
「まだ終わってないよ」
リラクは首を振った。カロウセのある街の方向を見ながら……。
お読み頂きありがとうございます。
回復魔術をわたしはこのような解釈にしてみました。




