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日本語にうるさいおじさん  作者: 立川好哉
7/14

+1 愛を説くおじさん

+エピソードは『言語学における日本語』に該当しないものを解説するものです。単なるおじさんの『思ったこと』としてご覧ください。

 おじさんは未婚者だ。若き日の彼は夢追い人で、恋人と過ごすための時間を確保しなかった。恋人になってくれと言ってくる女がいなかったし、伴侶としたい女もいなかった。彼に他を圧倒する美しい容姿と積極性が具わっていたならば、未婚のままではなかったかもしれない。おじさんは後悔していないと言う。

 

 「愛する人は自分の心の拠り所になるし、彼女からの評価の良し悪しを予想して行動を決めることがあるかもしれない。しかし、心の拠り所は私には必要なかったし、誰かの評価を気にして行動してきてはいない。私は愛によってつくられてはいない」


 おじさんは『最近まではそう思っていたのだ』と加えた。今の彼は、考えを変えたようだ。彼に愛を尋ねると、こう返って来た。


 「愛は実に説明の難しいものだ。キリスト教では性愛とか隣人愛とかが説明されていて、愛は多様であることがわかる。現代では愛は互いを想い、助け合うことと認識されているようだ。愛を確かめるための行為として抱き合ったり、キスをしたり、性交をしたりする。なぜそうなのか」


 おじさんの説明は以下である。


 抱き合えば身体が触れ合う。キスもセックスもそうだ。物理的な接触があり、それを視認できる。その行為自体が愛であり、人々は愛を見て、触れることで確かめる。そのような認識でもよいだろう。しかし、触れ合わなければ愛ではないのか?目に見えないものは愛ではないのか?疑問が浮かぶ。

 

 おじさんはそれ以外のことでも愛を感じられると主張した。それは、


 知ること


 である。

 自分のことをすべて知っている他人に会ったことがあるだろうか。名前、誕生日、身長、出身地…基本情報を知っていたとしても、頻繁に変化することまで把握することはありえない。ハンバーグが好きだからいつもハンバーグを食べたいと思っているか?ハンバーグを食べる気分ではないときもあるだろう。親しい間柄でも、そのような悲しい『ずれ』はある。そう。キーワードは『ずれ』である。

 『ずれ』とは情報の違いであり、自分と他人との間には初期状態では大きな『ずれ』がある。それを埋めるための手段として『質問』がある。『君の名前は?』と質問すれば相手の名前を知ることができ、『ずれ』は小さくなる。『よく知っている』状態とは、この『ずれ』が極めて小さい状態であることを示す。

 

 おじさんはこの『ずれ』を埋める行為―質問以外も含める―こそ愛だと言った。先述の通り親しい間柄でも『ずれ』がある。他人のことをすべて知ることができないということはすなわち、『ずれ』をなくすことはできないということである。愛のことを『知ること』だけで説明したのは、不十分だったかもしれない。以下に、おじさんの正しい愛の定義を記す。


 愛とは、


 すべて知ることのできない他人のことを、少しでも多く知ろうとすること


 である。

 

 愛には『見える愛』と『見えない愛』があり、誰がが自分のことを知っている限り、『見えない愛』は存在していたということだ。そう考えるようになってから、おじさんは『自分が愛によってつくられていない存在』ではなく、『自分も愛によってつくられている存在』であると改めた。


 そう、この世界は、愛に満ちている。


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