4.トーク力を欲するおじさん
おじさんは日本のテレビ番組を見ていた。日本で人気の俳優やモデルが多数出演しており、三チームに分かれて問題に答えて点数を獲得し、チームの得点を競うというものだ。
『いや、マジむずいっすよ。なんとなくのニュアンスで伝わるからいいっしょ』
『イミわかんなくてもマジ卍~とか言ってれば円満なんすから』
スタジオの観客たちは爆笑していたが、おじさんは不満顔だった。二人の若者が同じに見えてしまうのだ。見た目で区別しようにもどちらも金髪だし、どちらもピアスをつけていて、どちらもTシャツにジャケット、下はジーパンなので兄弟にすら見える。それ以上に、使う言語の幅が狭すぎて、見れば見るほど双子にしか見えなくなってきた。他の若者が喋ればそれも似ており、おじさんは日本が大変なことになっていないか不安になった。おじさんはテネリフェに住む日本人の友人に電話をかけた。
「君の家のコテージが恋しくなった。土産を持っていくから大西洋を見させてくれないか」
電話が切れたので数時間待っていると、おじさんの島の港に小型の客船が着岸し、アロハシャツを着たラフな格好の男性が叫んだ。
「オラ!コモエスタス?」
「ビエン…でいいのか?」
自信のなさそうな返答を聞いたアロハ男はおじさんの手をとって客船に引き込み、エンジンを起動させた。四畳半程度の客室の机の上に箱が置かれており、腹の減っていたおじさんは中の栄養食をすべて食べた。すると眠気が訪れ、彼はベッドで眠った。
コテージは丘の上にあり、窓は大西洋に臨む。おじさんとアロハ男は木製の椅子に腰かけ、濃厚な果汁を飲み干した。
「ダイスケ君はマドリーの大学に通っているんだっけ?」
アロハ男は頷き、キャビネットの上のフォトフレームを指差した。彼の孫が友人と肩を組んで笑っている写真だ。おじさんはアロハ男に問うた。
「彼の言葉の中に理解できないものはないか」
「僕の孫だから、僕と同じように喋るよ。彼は若者言葉を嫌っている」
おじさんは頷いた。すべての若者が同じように喋るわけではないと分かり、安心したのだ。
「大学生くらいになると、話の面白い人が人気を得ると聞いたが、私の見る限りでは面白くしようとはしていない」
「なぜだい?」
「同じような事ばかり繰り返して喋る人のトークを、君は面白いと思うか?」
おじさんは若者の真似をした。彼の台詞を以下に示す。
マジで経営史の先生がメッチャ面白くてさぁ~、帽子とらない奴をすっげぇ注意してて、でもそいつガン無視でさ、『講義を始められないだろ!』って先生メッチャキレてんの。それ見てみんな大爆笑でさ、先生マジギレしてさ、半分くらい呟いててマジ面白かったわ~。
この長ったらしい文に文句をつけてみよう。まず、若者言葉が多くてなんだか腹が立つ。この文における若者言葉は『メッチャ』『ガン無視』『キレる』『マジギレ』である。これを幅広く使われている言葉に修正すると、以下のようになる。
マジで経営史の先生がすごく面白くてさぁ~、帽子とらない奴をすっげぇ注意してて、でもそいつ無視し続けててさ、『講義を始められないだろ!』って先生激怒してんの。それ見てみんな大爆笑でさ、先生大激怒してさ、半分くらい呟いててマジ面白かったわ~。
これでもまだおじさんは気に入らない。おじさんには『マジ』は江戸時代からある言葉であるとの知識があるため、これを若者言葉とすることを避けた。しかしこれは江戸時代に広く使われていた言葉だっただろうか。答えはノーである。『マジ』は芸人の楽屋言葉として使われたようで、公文書に記されるような言葉ではなかった。その指摘を受け、おじさんは修正を続行した。しばらくして、おじさんは『すっげぇ』について考えた。『すっげぇ』は『すごく』を雑に言ったものであり、程度を示している。注意の程度、つまり『激しさ』『強さ』を示すものなので、『すっげぇ』は認められるとしつつも、より伝わりやすい『強く』を採用した。
言葉そのものが相応しいかということだけでなく、言葉を使うタイミングが相応しいかということまで、おじさんは気にしていた。この文の問題点は、『マジ』が二度『面白い』を修飾していることである。本当に面白かったと強調したいのは充分理解できるが、『面白い』を別の言葉で修飾すれば、『面白い』をより強調できるのではないだろうか。『マジ』と同じ意味の言葉に『本当』があるため、二度目の『面白い』を『本当に』で修飾してみてはどうだろうか。
修正を終えたおじさんは、彼の気に障らない文を記した。
経営史の先生が本当に面白くてさぁ、帽子をとらない奴を強く注意してるんだけど、そいつが無視をし続けてて、『講義を始められないだろ!』って先生が激怒したんだ。それを見てみんなは大笑いして、そのせいで先生がさらに激しく怒ってさ、その場にいた人の半数くらいがツイッターで呟いててすごく面白かったわ。
なぜ『奴に』ではなく『奴を』かの説明をするならば、『奴に』にしてしまうと、『注意して』の意が『気を配る』になってしまい、『忠告する』の意にならないからである。
たしかに直感でつくりあげた文には語りたい欲の表れである『勢い』がある。しかし日本語にうるさいおじさんは、『勢い』があることを『面白い』とは思わない。『面白い』とは表現が豊かであり、適切な語彙が選ばれており、同じことばかりを繰り返していない喋りだと主張した。
アロハ男の妻が昼食を用意してくれたので、おじさんは一度語りを止めてダイニングルームへ向かった。