3.『ら抜き』にイラつくおじさん
おじさんが小舟の手入れをしていると、筏を漕いでこちらへ向かってくる人が見えた。その人が櫂を振っておじさんに挨拶をしたので、おじさんは手を振って挨拶を返した。筏を漕いでいるのは老女で、彼女は疲労したのでおじさんの家で休憩させてくれと請うた。老女は珍しい絹をおじさんに差し出し、おじさんは珈琲豆を差し出した。おじさんの農園で育てたロブスタである。交換が成立し、老女は満足そうに椅子に腰かけた。
「わたしの孫がね、わたしの手料理に飽きたと言うのよ。『もう食べれないよ』なんて…さほど多く盛ったつもりはないのだけれど」
おじさんは耳を立てて老女の語りを止めた。
以下の二つの文を見て欲しい。
もう食べれないよ。
もう食べられないよ。
老女の孫の台詞は上の文である。彼は『老女の料理をこれ以上食べることができない』ということを伝えようとしてそう言った。つまり、これは『不可能』を示す文である。おじさんが気になったのは、『食べれない』という部分である。
『れない』か『られない』かは動詞によって決まる。
『書くことができない』を『書けない』(書く+れない)
『見ることができない』を『見られない』(見る+られない)
などがある。『書く』と『見る』にくっついた不可能を示す部分は違っていた。どうして違うのかを解説する。
『書く』という動詞は五段活用する動詞であり、『見る』という動詞は上一段活用する動詞である(理由は後述)。五段活用する動詞は助動詞『られる』ではなく、『れる』を使って可能動詞になるため、『書く』は『れる』をくっつけて『書ける』になる。上一段活用や下一段活用する動詞は助動詞『られる』でしか可能を示せないため、『見る』は『られる』をくっつけて『見られる』になる。
そもそも五段活用とは何か?五段活用する動詞の判定方法は何か?その疑問に答える。これは日本の高等学校の現代文や古文で扱うので復習となる人が多いだろう。
五段活用は現代仮名遣いにおいて活用語尾が『あいうえお』の段のすべてにわたって変化する動詞である。『書く』の五段活用の例を以下に示す。
書かない、書こう、書きたい、書く、書く時、書けば、書け
『書』の直後に『かきくけこ』がすべて使われていることがわかる。次に、『食べる』を使って同じことをしてみる。
食べない、食べよう、食べたい、食べる、食べるとき、食べれば、食べろ
『食』の直後はすべて『べ』であることがわかる。したがって、『食べる』は五段活用する動詞ではなく、『食べ』の『べ』が『え』の段であるから下一段活用する動詞であることが判る。
したがって、『食べる』という動詞を用いて可能を示したいのであれば、助動詞『られる』を使って『食べられる』としなければならないのだ。
次に『見る』を活用させていこう。
見ない、見よう、見たい、見る、見るとき、見れば、見ろ
こちらは活用していない部分が『見』だけで、『み』は『い』の段(ま『み』むめも)なので、上一段活用する動詞と判る。
重要なのは動詞の部分と活用の部分とを見分けることと、どう活用するかを把握することだ。この2つさえできていれば、その動詞が五段なのか上一段なのか下一段なのかを判定でき、『ら抜き』できるかどうかも知れるのだ。
「孫にはしっかり伝えておくわ」
老女が立ち上がっておじさんの家を出るとき、おじさんは彼女の背中に声をかけた。
「しっかり食べないと大きくなれないぞ、とも言っておいてくれ」
2024年にちょっと修正しましたよ…