1.『ぜんぜん』を語るおじさん
『序』を読んでからこの話を読むようにしてください。
カップに注がれた茶はおじさんがイタリア旅行に行ったときに売店のオバチャンから薦められたもので、そこから漂うハーブの香りが部屋を満たした。日本語が気になって仕方のないおじさんに呼び出された男性は、本革の椅子に深く腰をかけてゆっくりと息を吐いた。男性が老いた自分が一人で海を渡ることは危険で、おじさんに強請られなければ来なかっただろうとぼやくと、おじさんは深い皺を顔に浮かべて笑った。
「わたしは『まったく』という日本語について、どうしても君と語りたかったのだ」
『まったく』は漢字を使うと『全く』と記される。『全』という漢字から読み取れるように、『ぜんぶ』という意味である。例文を以下に示す。
それはまったく嘘である。
この例文での『まったく』は『ぜんぶ』の意であり、『それはぜんぶ嘘である』と言い換えられる。また、『まったく』を否定分で使うと、以下のようになれる。
それはまったく嘘ではない。
これについても『まったく』は『ぜんぶ』の意であり、『それはぜんぶ嘘ではない』、つまり『それはぜんぶ本当である』となる。
おじさんが気にしている点を明かす。この『まったく』と似た言葉に『ぜんぜん』がある。おじさんを惑わせたのは、とあるテレビ番組での会話である。
「『ぜんぜん』って否定文にしか使っちゃいけないよ。『ぜんぜん~ある』ってのは誤用だよ」
おじさんはこの主張に反抗した。『ぜんぜん』とは『まったく』と同じ意味使うことができるため、『まったく』を肯定文に使えるならば、『ぜんぜん』も肯定文に使ってよいはずである。例文を以下に示す。
宿題やってきた? 私は全然やってきてない。
このやり取りには慣れている者が多いだろう。『ぜんぜん』は極めて高確率で否定分における否定部分として用いられ、肯定文にはめったに使われない。試しに、以下に『ぜんぜん』を使った肯定文を記述する。
宿題はぜんぜんやったよ。
『ぜんぜん』を肯定文で使う人に出会ったことのない人には、引っかかる文かもしれない。『ぜんぜん~ある』という文について深く考えることなく、自分にひっかかるからという理由だけをもって『誤用』とするのは間違いである。『ぜんぜん』と同じ意味である『ぜんぶ』を代わりに使い『宿題はぜんぶやったよ』とすれば、『ぜんぜん~ある』に引っ掛かりを感じていた人たちもゼリーに包まれた薬のようにスルッと飲みこめることだろう。
おじさんは彼を惑わせたテレビ番組の出演者の思考を解説した。以下の文を読んでいただきたい。
この蛍光灯、明るい? ぜんぜん明るいよ。
この蛍光灯、明るい? ぜんぜん明るくないよ。
先述の通り『ぜんぜん』『まったく』は『ぜんぶ』の意味である。これを例文に当てはめると、『ぜんぶ明るいよ』となる。例文の状況であれば、『ぜんぜん明るいよ』は反応として不適切である。質問が『この部屋の蛍光灯、明るい?』であれば、『ぜんぜん明るいよ』は『ぜんぶ蛍光灯が明るいよ』という意味になり、正しい。しかし質問者は『この』と一つの蛍光灯を指定しているため、『ぜんぶ』を使った返事をするのはおかしい。この誤りの原因は、『ぜんぜん』を『すごく』の意味で使ったことである。
『ぜんぜん』は『ぜんぶ』以外に、打消しの言葉を用いて『ちっとも』『少しも』という意味を示すことができる。例文の下『ぜんぜん明るくないよ』は『ぜんぜん』を『ちっとも』の意味で使っているため、『ちっとも明るくない』となる。これは日本語として正しい。例文の上『ぜんぜん明るいよ』で『ぜんぜん』を『ちっとも』の意味で使った場合、『ちっとも明るいよ』となり、不適切である。したがって、この例文においては『ぜんぜん』を肯定文で使うことはできない。これを出演者が『ぜんぜん』はどんな肯定文においてでも使うと誤用になると解釈したことで、あの発言がされたのだ。
話を終えて満足したおじさんは、小舟に乗り込んだ男性を笑顔で見送った。