~出会い~
雨ノ森柚貴。
高等学部3年生。17才。
学校が終わり自宅のベッドで体を横たえていると、部屋の外で突然銃撃戦が始まった。
扉を開けると1人の女性が立っている。
彼女の名前は"バレンタイン"
この出会いは互いの人生に影響を与え合い、魂の奥底を震わせるバッテリーの誕生の瞬間でもあった。
ジリリリリリリ…
ジリリリリリリ…
電話のベルが広い館の一室に鳴り響く。
緩慢とした動作で初老の男が受話器を手に取る。豊かな胴回りをスーツで覆い、オールバックにまとめ上げた白髪。
男は無言のまま受話器を耳に当てる。
スピーカーの向こう側から微かに漏れ出す人の声。要件を告げる。
「始めなさい。」
男は一言だけそう告げると、受話器を置いた。
男は深く溜息を吐きながら手を組み、両肘をつく。
暗い部屋の中、男の眼光が鋭く光る。
「始まるぞ」
誰に言い聞かせるでもなくそう呟いた-。
ヒュゥゥウウウウ…
冷たい風が女の身に纏う黒いマントをはためかせる。
マントの下の黒いボンテージを思わせるスーツの光沢が怪しく光る。
女の髪は白銀に染め上げられ、焼けた肌をしている。
凛とした顔に置かれるその瞳はワインレッドに輝く宝石を思わせた。もしくは赤々と燃える星のように。
女は背の高い塔の尖った屋根の上に立っていた。
彼女はそれに怯む様子もなく、真っ直ぐと姿勢を正しその時を待つ。
塔は建物の一部に過ぎず、彼女が足を踏み入れているその場所は議事堂。
そして彼女の見つめる先の窓の向こうには、武装した男達が走っていた。
「始めるか」
彼女は1人呟いた。
手を広げ背中から飛び降りた。
彼女の両手には知らぬ間にソードオフ・ショットガンが握られている。
その銃身は黄金に輝き、植物の葉が伝う豪奢な装いが外灯の光を受けてキラリと光る。
議事堂の廊下を走る武装した男達。
射し込む月明かりを避けつつ音もなく赤い絨毯の上を走り抜け角を曲がろうとしたその矢先、女がガラス窓から豪快な音を立てながら飛び出し背中から彼らを蜂の巣にしてしまった。
鮮血が走る。
飛沫を上げながら壁に当たり跳ね返る。
雨ノ森柚貴。
高等学部3年生。17才。
彼女は部屋のベッドに体を沈め学校の制服のまま体を横たえていた。
先程からずっと頭の奥底の方で考え事、いや過去のシーンを振り返ってはうずくまっている。
体は重い。何をするでもなく体を横たえている。
いつの間にか陽は落ちて月が登っていた。
どことなく憂鬱な気分で体を丸め膝を抱え込んでみる。
どうしようもない過去。
ある場面がフワフワと浮かんでは消え浮かんでは消えを繰り返し、彼女の思考を支配している。
かといってこれといった主張は彼女の中には生まれては来なかった。
(何故ってそれは、すべて終わってしまったものだから-。)
と、そこまで考えて思考は断絶される。
違和感。
バタバタバタと人が走る音がする。
響き渡る銃声。
音の大きさからして一連の出来事は、柚貴の部屋からそう遠くない場所で起きたようだ。
途端にさっきまでの重たい鉛のような思考は消え去り、目が冴え渡る。
耳を澄ます。
先程の騒ぎと比べると驚く程静かだ。
柚貴は用心深くベッドから起き上がり、扉を僅かに開けて外の様子を見る。
長い廊下が続いている。
部屋の少し先に一丁の拳銃が転がっており、その向こうには2人の人物が向かい合っていた。
1人は女性。こちらに背を向けて立っている。
白銀に照らされた短髪に、小麦色の肌。
赤い瞳。鋭い眼光。
その両手には黄金に輝く銃身のソードオフ・ショットガンが握られていた。
女はその片方の銃口を、目の前で座り込んでいる人物に突きつけている。
もう片方は男。豊かな胴回りとオールバックにまとめ上げた白髪。
手を後ろについて床に座り込み、真っ直ぐに向けられた銃口に怯えている。
それは柚貴の父親だった。
そこまで見た柚貴は咄嗟に扉から身を投げ出し、転がっている拳銃を拾い上げ素早く射撃態勢に入る。
その一連の動作は流れるようで、一切無駄が無かった。
そしてその引き金を今まさに引こうとするその直前、女の左手が持ち上がり銃を真っ直ぐと柚貴に向かって突きつけた。
向かい合う2人。
張り詰めた空気が2人の間を通う。
彼女たちを遮るものはない。
2人だけの世界––。
先に口を開いたのは女だった。
「雨ノ森柚貴だな」
柚貴は答えず真っ直ぐに女性を見据える。
その鋭い目は辺りに冷たい空気を漂わせていた。
瞳には月明かりが射し込み、ギラリと光っている。
女性は続けてこう言った。
「良い目をしているな。そして相手に銃を向けるまでの動作に無駄がない。その技術、どうやって手に入れた?」
そこで柚貴の父親が口を開いた。
「柚貴、早くこいつを撃つんだ!」
「待て」
ガチャリと音を立て女性は柚貴の父親に銃口を突きつける。
父親は小さく息を呑み、身を小さく縮める。
「アンタの事は少し調べさせてもらった。雨ノ森柚貴。17才。雨ノ森家の1人娘として大切に育てられた。だがその生まれはこの雨ノ森家なんかじゃない。」
柚貴はそのまま相手の言葉を待つ。
「アンタは元々、孤児だったんだ」
柚貴はその銃口を真っ直ぐに相手に突きつけたままだったが、その腕が僅かに揺れた。
「アンタは雨ノ森家の跡取り娘として迎え入れられた。そしてアンタは護身の為にと銃の扱い方を教わっていたそうだが…、その訓練、少し行き過ぎじゃないか?」
柚貴は相手の言葉に耳を傾けつつも、変わらず銃口を真っ直ぐに突きつけ相手を見据える。
「アンタのその技術はな、護身の為なんかじゃない。人を殺す為の技術だ。そしてその技術はこの父親、雨ノ森惣雲の企む黒い策略の為のものだ。
雨ノ森柚貴。孤児であるアンタは、その環境を保障してもらう代わりに都合の良い殺戮マシーンとして育て上げられたんだよ。」
柚貴はここまで聞いて腕を下ろす。
「お父さん、どういうこと…?」
「柚貴、私はお前の父親だ!それは血の繋がりが無くとも変わらん!さぁ、この侵入者を撃って終わりにするんだ!」
だが柚貴は静かにこう問いかけた。
「銃の訓練は、私の為のものじゃなかった…」
「待て、この女の言葉に耳を貸すな!」
「アンタが説明しないならアタシが続きを説明しよう」
女は続けてこう言った。
「この雨ノ森家は代々資産家だが、それだけの家だった。それがたった一代でここ一帯の権力者になったが、それは何故だか知っているか?」
「…知らない」
柚貴は静かに答える。
「疑問には思わなかったのか」
「教えてもらえなかった」
いや、知りたくなかった––。
疑ってはならなかった。疑ってしまっては、全てが壊れてしまうと思っていたから。
「雨ノ森家の地位と権力は、政府の役人たちに手を貸し、彼らの邪魔になる存在を暗殺する事で手に入れたものだったんだ。暗殺に使う駒は孤児院から引き取り、財産を注ぎ込んで殺人マシーンに育て上げていったんだ。そうして権力を手に入れ、また財産も手に入れた」
「アンタも、その被害者だ。」
柚貴は1人、呟くようにこう言った。
下げていた腕が、徐々に持ち上がっていく。
「私はずっと、何も考えなかった。何も考えないようにしてきた。黙って言う事を聞いて我慢してきた。そうしなければ、この環境がいつか壊れてしまうかもしれないと思って。」
銃口が真っ直ぐに突きつけられる。
「私は何も疑わなかった。何も疑わなければ、ずっと静かにこのまま暮らしていけると思っていたから。」
「でもそれは嘘だった。」
一瞬、辺りが静さに囚われた。
柚貴の顔は月明かりに照らされ、濃い影が顔の半分を覆っていた。
白く照らされる顔は驚くほど無表情だった。
そして。
一発の銃声が鳴り響き、女性の背後で鉛の弾が雨ノ森惣雲の頭蓋骨を貫き、鮮血が迸った。