第二章
2
AD3156年3月18日
月日が経つのは、意外に早い。
気付けば既に華狼に身を投じ一五年以上の月日が流れていた。
二代目会長の『ロン・カーティス』はトールほどの果断さはなかったが、民政手腕はトールより上だと、ヴァーティゴは思っていた。
民の暮らしは、ラスゴーの末期に比べて、着実に良くなった。商店には様々な物が並び、民はそれを笑顔で売り買いする。当たり前の光景なのだが、それすら、ラスゴーの末期には見ることが出来なかった。
民が苦しむ様を、見ようとしなかったのだと、今だったら分かる。
ラスゴーから華狼に変わったとき、国が何を変えたかと言えば、何を言っても人の登用基準にあった。
上層部は比較的カーティス一族や、それを守護する家系である親族のニードレスト家が支えているものの、その上層部の中にはかつて敵同士だった企業国家の代表や、協力会社からの出向組までいる。
ラスゴーの頃は、劉家しかいないような状況に近かったが、華狼では人物の流動が非常に激しいと、ヴァーティゴは感じていた。
三一四三年には、ラスゴーの属国に近かった企業国家『日本』の独立を許可し、四四年には長らく関係が悪かった軍事企業『五行』と和睦した。国の移り変わりも早かった。
齢は、四六になった。相変わらず赤兎は維持しているが、メンバーの交代が徐々に起こり始めている。
いつの間にか、赤兎は最精鋭部隊となり、兵にとって入ることが憧れであると、この前赤兎に来た隊員からは聞かされた。
しかし、ヴァーティゴは入る基準を極限まで厳しくした。最精鋭となるからには、国に対する忠義や人徳のみならず、戦術・戦略、兵の指揮、兵站線の確保など、多くのエキスパートを必要とし、そして常に強くなければ意味がないのだ。
利権を求めてやってきた者が、最初のうち二、三人ほどいたが、トールに許可を貰いその場で斬刑にした。
そんな彼が、トールの臨終に立ち会うことになった。あの時もまた、涙は出すまいと誓っていた。ラスゴーの崩壊の時も、出さなかった。
だというのに、一人の人間の死を間近にして、ヴァーティゴは涙が止まらなかった。男は泣くものではないと、昔誓っていたのだが。
トールは死に際、赤兎の運営を許可してくれた。それがありがたかったのは事実だし、そのおかげで資金も潤沢になった。
だからこそ、称号の授与だけは断った。
華狼になってから出来上がった制度、称号。階級を超えた権限を持つことが出来るもので、相当厳しい審査を通った一三人のみが選ばれる。
その中の最高の称号『霊宝』。副会長に次ぐ権限と、副会長には付与されていない、独自行動権を与えられる物だが、トールはそれを自分に付与しようと考えていた節があった。
自分には、分不相応だと、ヴァーティゴは考えていた。自分は降将だし、第一、ただの軍人に過ぎない。
だからこそ、そこまで大きな階級は、もらわないようにしていた。
一つだけ、他の軍人と一線を画していると言えば、紅神の保持をしていることくらいだ。
あれが持つデュランダルが、日本の一地区を吹き飛ばした。それが心の中で、日に日に大きくなっていくのを感じている。
それを使わせないようにする。それが出来るのは自分だけだと、いつの間にか己に冠していた。
もっとも、今のデュランダルは、形だけが同様でも、威力は極端に下がったし、その上双剣を組み合わせて両刃刀にも出来るというタイプに変更を加えたから、まかり間違っても山口のような悲劇は避けられるが、それでも、使わないに越したことはないのだ。
そのことをトールに語ると、苦笑しながら
「お前らしいな」
とだけ言ったのを覚えている。
体も声も、会ったときより遙かに年老いていたが、このときだけは、一瞬だけ若さを取り戻したようにも思えた。
それから数日して、トールは死んだ。眠るように死んだと、後で聞かされた。
もう、それから一年にもなる。
「長いようでいて、短かったな」
随分と、年を取ったなという気がする。自宅の縁側に座りながら、香の入れた茶を飲むのが、存外に美味いと感じるようになってしまった。
木漏れ日が当たる中、妻と二人で茶を飲む。久しぶりの休暇だったが、これも悪くないと、思えるようになってきた。
なんだかんだで、華狼が完全に一枚岩にまとまるのは、まだまだ先の話だ。十五年経っても、小規模な反乱は少しではあるが出ていたし、それの影響で自分は東西南北、ありとあらゆる戦線にかり出された。
戦線に出る度に、兵士一人一人と話す。そして、話し込んだ兵士には必ず、『己が力の意味を考えながら戦え』と言い聞かせていた。
兵器はそれ単体が力を持つが、その力を利用するのはいつだって人間だ。誤った方向に向かえば、兵器は人類をも滅ぼす。
デュランダルがまさしくそうであった。
あの時の過ちを繰り返してはならない。それを既に十五年、悩み続けている。
「月日は、意外にあっという間に過ぎる物です。アレクセイやマティアスも、随分と大きくなりました」
「アレクセイは十七、マティアスも一五か。確かに、早いな」
俺が華狼に身を投じてからも十五年か。その言葉を、ヴァーティゴは茶と共に飲み込んだ。
十五年。通りで年を取るわけだと、ヴァーティゴは苦笑した。
しかし、不思議だったのは、その十五年の間に兄弟の進む道がはっきりと分かれたことだ。
アレクセイは武の道、マティアスは反対に文の道へ進んだ。
最初のうちは自分で稽古を付けようと思った。しかし、どうも情が移ってしまう。要するに、甘いのだ。
これではダメだと思ったから、アレクセイをダグラス・ニードレスト、マティアスを雷・白文に、それぞれ預けたのだ。
マティアスを預けてから既に三ヶ月になり、アレクセイを預けてから既に二年経ったのを、ヴァーティゴは思い出した。
門が騒がしくなったのは、そんな時だった。その直後に、アレクセイが部屋に駆け込んできた。
「父上! 北が、趨が動きました!」
肩で息をしているあたり、相当駆けてきたのだろう。
ふと目を見ると、前よりも成長したと思える目つきになっていた。悪くない。
「アレクセイ、ただいまの挨拶と、うがいと手洗いだけはしていきなさい」
どうも香はこういう時に肝が据わっていると言うべきなのか、マイペースと言うべきなのか。
それとも、落ち着かせるために言ったのか。伝令を間違えたら、それこそ死罪にもなりかねないところではある。
そして、香には逆らえないと、アレクセイは何処かで分かっているのか
「ただいま帰りました」
と一度頭を下げた後、そそくさと洗面台に行ってから、帰ってきた。
「父上、先ほどの通り、鄒が動きました。やはり、我々の降伏勧告は完全に無視して進軍してきます」
北が、未だに騒がしかった。
二代目になったことで、トールのような果断さがないから、自分達が国を取り、民を救う。それが、趨の大義名分だった。
そして鄒は反乱を起こした。規模は機兵一五大隊。しかも、こちらが降伏勧告として送った在留の外交官は、斬り殺され、挙げ句の果てに市中に晒し首にまでされたというのだ。
心の中に、怒りが迸っていくのを、ヴァーティゴは感じていた。
しかし、どうも分からないのが、鄒の反乱の理由だ。何故こんな行動をわざわざ起こしたのか、まるで分からない。
もっとも、考えてもしょうがないだろう。そう思い、ヴァーティゴは茶を一杯すすった後で、家を出ることにした。
「あなた。これを」
出る直前に、香が赤の陣羽織を出す。
自分の部隊であること。その隊長であること。その証したる、赤の陣羽織だ。
それを羽織ってから
「行ってくる」
とだけ、ヴァーティゴは伝えて家を出る。
香は、微笑を浮かべていた。
強い女だなと、今更ながらに、ヴァーティゴは思った。