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クエイクド  作者: mahimahi
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『赤兎馬』

「院長、こちらの花は窓に飾りましょうか?」

 仄暗い室内。決して広くはないその部屋に一人の女性の声が響く。

 木製の窓枠に近づくと、灰色の雲が浮かぶ空からは今にもしずくが垂れそうで、端正な美貌の淑女は憂いを帯びた瞳でジイと見つめる。曇り空を映したかのような銀髪はもみあげを残し短く切りそろえられていて、その手には木彫の花瓶に収まった、慎ましくも艶やかに咲き誇る百合の花があった。

 こうべを垂らす百合の姿に微笑みを見せるのは、ベッドのヘッドボードに背を預けた「院長」と呼ばれる白髪と気品を携えた老女。

「よして。わたくしはもはや聖職を退いた身。それよりも今日はどういった用件でいらっしゃったのか、まだ聞いてなかったわね。シスター・ルンカ?」

「あら院長。ボクにとって院長はいつまでも院長ですよ。それともセルフレ・ソロヴさんとでも呼んだほうがしっくりきますか?」

 ルンカがニッコリと微笑むと、セルフレのベッドへと勢い良く腰を下ろす。

 無邪気な振る舞いにセルフレはため息混じりに頭を抱え、「はあ……シスター・ルンカ。『ハロモグ』では修道院の長として貴女には特に厳しく接していましたが、急にお別れをしたのは申し訳ないと思っています。ですが7年ぶりだというのに、まだ少年のような振る舞いをするのですね」と早口に呪文のような言葉で淡々と叱りつける。

 7年前と変わりない様子のセルフレに安心すると同時に、胸の奥に秘めた痛みが止めどなく溢れだし、ルンカは隠そうともせず涙を流す。急に泣き出したルンカに、セルフレがベッドの横の引き出しからハンカチを取り出し手渡すと、その手を取って自らの頬に当てる。

「元気は良いのに泣き虫なところも変わりないのね、貴女は」

「いえ、ボクの故郷ハロモグは大きく変わってしまいました。ボクだって当時のままじゃいられなかった。それでも、院長だけでもお変りなくて、本当に嬉しいんです」

「……聞いています。7年前の戦火でハロモグは壊滅的な打撃を受けたと。わたくしは入れ替わりでモードスへと隠居しましたから、貴女たちの身を案じておりました」

 セルフレの言葉を受けおもむろにベッドから立ち上がると、再び窓際へと歩み寄る。

「へへ、お見苦しいところをお見せしました。ここに来た理由はですね……実はハロモグで疫病について勉強していたんです。その事を何故かモードスのアスモス卿がご存知で、今回お呼びいただいたんです。そのついでといってはなんですが、院長の顔を見に来たのですよ」

「……アスモス卿が?」

 何かを考えるようにして頬に手を当てたセルフレはそのまま黙りこむ。

 雲の切れ間からは光が漏れだし、ルンカが立つ窓へと差し込む。ライトアップされた表情は、まさに恋する乙女そのもの。神に祈りを捧げるように両手を組み、胸の前へかまえた。

「アスモス・シュガー様……貴方のボクが今、参ります!」


    ◇


 一体何段目になるのか。百段目に差し掛かる辺りで数えるのを止めた階段を恨めしく見下ろすと、菱形の光が差し込み足元を照らしている。

 壁に空いたその穴を覗くと、石造りの建物が並ぶ町並みが見えて、重厚感に感嘆の吐息を洩らす。それに今朝モードスへと足を踏み入れたあの感動は何ものにも代えがたい。西区の正門を通った時に目前に広がる建物の素晴らしさ、舗装された大通り。電灯まであった。今思い出してもうっとりしてしまう。

 不意にハッとする。足を止めたせいで、前を行く白い軍服の青年も立ち止まってしまったのだ。怒られると思い身構えると、青年は手を振りながら肩をすくめる。

「その穴から天国でも見えますか? シスター・ルンカ」

 予想外の言葉に拍子抜けして、思わず笑みがこぼれる。

「あら。私はこの世こそ天国だと思ってますよ」

「いいですねえ……とても良い考えだと思います。ですが神に仕える身でそのような発言は反感を買うのでは?」

暗がりで微笑む青年が「おっと」と口元を手で覆うと、ルンカはその仕草に思わず吹き出してしまう。フードに包まれた頭を撫でながら、得意気に言ってのける。

「いえいえ。ボクも言う相手を選んでいるつもりですよ」

「「ボク」……ですか?」

「へへ、お恥ずかしい。気が緩むとつい……今朝も院長に怒られてしまいまして」

「ああ! 院長と言うとセルフレ・ソロヴさんですか?」

 目の前の青年がその名前を口にしたことに心底びっくり。口をあんぐり、目を見開いて問いただす。

「ご存知ですか? こちらの街に隠居したと聞いていたので、てっきり誰にも身の上話をしていないものと思っていました」

「ええもちろん。あの方は口が堅くて、ひとたび怒らせたら晩ごはんを頂いている最中でもお構いなしに舌が回るものだから、舌を何枚も隠し持ってるという噂もあります」

「……ぷっ、あはは! おかしくて涙がでちゃう!」

 思わぬ青年のユーモアに、笑いをこらえきれず涙の浮かぶ目を指でこする。

 この人は、良い人かもしれない。ハロモグの修道院跡地にアスモス卿の使者が来て、この「モードス城」に招待された時。そしてお城に実際に入ってからというものの、緊張の連続でまるで気の休まる時がなかったから。

 ずっと気を張り詰めていたルンカの表情に、小悪魔めいた笑みが浮かぶ。

「……でもちょっと違いますね。院長は寝る間際まで叱り続けるんですもの」

「寝る間際まで! フッハッハッハ!」

 二つの笑い声が暗い階段に明るく響き、落ち着く頃に青年の「参りましょうか」の一言で再び階段を上がる。

 白い軍服を身に纏う『ヴィジリアー』については、この島国『アスガンド』でまことしやかに噂されている。元々アスガンドは大小さまざまな村や集落が点在していて、無数の争いが起きては一時の平和が訪れ、無意味な戦いを嘆いた人々が一人の王を立てた。王が人々をまとめ、国を興しても、その平和は不安定な秩序の上で成り立つのみ。長く続くはずもなく、いずれ東と西に伸びる大地に国は三つの形をとり――

「「平和」、「争い」、そして「中立」ですか?」

 いつの間にか立ち止まっていた男性が再びこちらを向いて、今まさに考えていたことを言い当てられた。

 もしかして、ボクの悪い癖が出てしまったとか。そんな、まさか。

「……すみません、思考が口に出てましたか?」

「三つの国を中継し監視するモードスが唯一「中立」の国ハロモグを攻められる存在。七年前の『ハロモグの悲劇』はモードスの不可思議な力を持つ連中が起こした……という噂の真相が気になりますか?」

 沈黙。完全なる沈黙。

 暗い階段に更なる闇の訪れを感じ、ルンカは眉と口の端をひくつかせながら胸の前で十字を切り両手を組んだ。

「へ、へへ……すみません。ボクは打首ですか?」

「打首! ……恐らくは……」

「やっぱり打首ですかあ!」

 ルンカが踵を返しながら全力ダッシュのかまえを取ると、それを引き止める大きな声が後ろから響く。

「こらこら! お待ちなさい! イタズラをした少年ですかアナタは!」

「七年前を生き延びたボクが、ここで死んだらお笑い草です!」

「だから待ちなさいって! 私も冗談を言う相手は選んでいるつもりですよ!」

「え?」

 青年の予想外の言葉にルンカの思考が停止する。

 降り立つべき位置を踏み外しバランスを崩すと、崖のように急な階段が目前に迫る。

 途端に身体がふわあと浮き、衝突しそうになったおでこは数センチの距離でピタと止まった。なにが起きたのか股下から顔をのぞかせると、足首まで伸びた紺の修道服のスカート越しに、灯りを反射する黒い軍靴が見えた。

「いやはや、「打首」というワードが面白くてつい乗っかってしまいました。申し訳ない……お怪我は?」

「おかげ様で……大丈夫です。お騒がせしてスミマセンです」

 肺から息を押し出すように声を発すると、腰に巻いた紐を持ち上げられているのか、腹部が圧迫されて少し痛む。

「おっと。女性の、それもシスターの清き肉体に触れるのはまずいと思い、つい紐を」

「お気遣いありがとうございます。それよりも早く……降ろして……」

「おっと、これは失礼」

 不安定な階段の上に静かに降り立ち、感謝の言葉を述べようと振り向くと、青年の後ろに扉が見えた。

「あれ! 階段を降りたはずなのに、どうして扉が」

「ああ……恐らくはしびれを切らしたんでしょう」

「え?」青年の発言の意味を理解できないでいると、扉が開き眩いばかりの光が差し込む。咄嗟に右腕で視界を遮ると、扉の先から威厳のある声が静かにルンカへ語りかける。

「はじめまして、シスター・ルンカ」

 指の隙間から扉に目をやると、そこにいたのは初老の男性。光を背に立ち威風堂々が似合う、たてがみのような黒髪に白髪をライン状に伸ばした男性。

「はじめまして。アスモス卿……ですか?」

「まさしくモードスを治める役目を任命されている、アスモス卿でございます」

 アスモス卿の陰から出てきた女性が、会釈をしながらそう告げる。その身を包むのもやはり白い軍服で、頭頂部に近い部分で黒髪を束ねた風貌は、切れ長の目やきつく結んだ唇のせいでより一層キツい印象を他人に与える。

「そして同時に我らヴィジリアーを率いる長でもあります。補佐役の我が名はPJ」

「やあPJ! シスター・ルンカのエスコートは完了ってことでいいかい?」

 いつの間にかドアの手前で邪魔にならないように脇に立っていた青年が、アスモス卿の前だというのに意気揚々とPJを名乗る女性に話しかける。光に照らされたその顔には、目元を隠すように金色の仮面がつけられている。

 その飄々とした態度に、PJが苛立ちを露わに声を荒げる。

「シンプルマン……貴様、人一人をあないするのに手間取りすぎじゃろ? おん? なんとか弁解してみい」

「おいおい、シスター・ルンカの前だってのにそういう煽り方はないんじゃないかい? ここまで案内してきた俺の立つ瀬がないじゃないか」

「それを言うなら「アスモス卿の御前」じゃわい、間抜け!」

 二人の言い争いをたじたじといった様子で見守っていたルンカの視線が、先程から微動だにしないアスモス卿へ向けられる。

 モードスの最高権力者。アスガンドの勢力争いの実質的な抑止力。そして――不可思議な力を操るヴィジリアーの統率者。そんな偉大な存在であるアスモス卿が、ボクの故郷ハロモグを本当に襲ったんだろうか?

 このモードスは一ヶ月前に起きた大災害で、モードスの城壁外に栄え方角別に区分けされた中の、「北区」と呼ばれる場所全域が被害を被ったらしい。『ハロモグの悲劇』以後、初めての大事件に様々な噂が島中で一人歩きし、『ウルズの惨劇』と揶揄されるようにまでなった。関連性はまったく無いのに、「ハロモグを襲った天罰」だとか「因果応報だ」とアスモス卿をなじる人が後を絶たない状況もハロモグで散々見てきた。

 そんな状況にあっても迅速に対応して、一ヶ月という短い期間で北区を立て直すという偉業をアスモス卿はその手腕でやってのけたのだ。

 一部の人は軍の統制力をひけらかしているだとか、懲りずにアスモス卿を悪く言うけれど。ボクはそんなことをする人か、噂だけじゃなく実際に確かめるためにもここに来た。向きあえば、きっとその人の心の奥も見えるはずだから。

「……ゴホン。シスター・ルンカ、アスモス卿の御前で妙な真似をしないということは、あなたが「恐らく」刺客に類する者ではない、とお見受けしました。先程までの無礼は危機管理上、致し方ないものとお察しください」

 考え事の最中に言い争いが収まったのか、ぼうとしていたルンカをPJの言葉が現実に引き戻す。気付くとアスモス卿の姿もない。

 慌てて「はい!」と返すと、シンプルマンが茶化すようにPJにちょっかいをかける。

「ホントにい~? 割りと本気で俺を怒ってた気がしたけどなあ」

「間抜けが!」

 PJがシンプルマンを一喝し、ルンカを一瞥すると扉の先へと消えていく。

 男性が女性になじられているというのに、シンプルマンは怒りもせず肩をすくめる仕草をルンカにしてみせた。

「付いて来い、だそうですよ。シスター・ルンカ」

「ああっはい。へへ、ありがとうございます。シンプルマンさん……ですよね? またご縁がありましたら、今度はゆっくりお話しましょう!」

「ええ。俺もアナタとはもう少し愉快なトークを楽しみたいものです。さあ、これ以上遅れると後が怖い……お急ぎなさい」

 お互いに会釈をして、ルンカは急ぎ扉をくぐる。

 目前に広がったそこは壁の代わりにすべてがガラス張りの通路。モードスを見渡せる絶景が広がっている。その中には全壊したと噂されていた「北区」も城壁の向こうに見えた。

 建物はまばらにでも残っているし、煙突からは白い煙が立ち込めている。人が生活している様子が目に見えて、既存の城壁から新しく伸びる城壁が北区をすっかり囲うようになっている。

 一ヶ月であそこまで出来るなんて! 感嘆の吐息を洩らしながらガラスの向こうを眺め歩くと、先を行っていたPJが突き当りのドアの横で、ルンカを真っ直ぐ見つめ立ち尽くしていた。

「この先にアスモス卿が居ります。くれぐれも粗相や気まぐれを起こさぬよう、御身を大切になさってください」

「お気遣いありがとうございます。大丈夫ですよ、私はお話をしにきただけですから」

 PJの言葉の裏にあるトゲも厭わないといった風の笑顔を見せるルンカに、PJは頭を下げながらドアを開ける。ルンカは部屋の中へと一歩、足を踏み入れた。

 そこには壁一面に書棚がずらと並び、丸いドーム状の部屋の天井にはステンドガラスがはめられている。中央まで歩き上を向くと、太陽を模した柄がそこにあった。何故だか太陽が二つ並んでいたけれど。

「……改めて、はじめまして。シスター・ルンカ」

 不意に声をかけられた方向を向くと、そこには豪奢な机に両手を組んで乗せ、相対した者を射抜くような鋭い眼光をその目に宿す、先ほど拝見したアスモス卿とはまったくイメージの違う男性が座っていた。

 身体に緊張が走るが、努めて平静を装い笑顔を作ってみせる。

「はじめまして。この度は私の学んだ疫学が必要とのお達しを受け、馳せ参じた次第でございます」

「いや、挨拶は手短で結構。私も余裕のある生活が出来ない身……単刀直入に問おう。『ブラック・デス』についての知識はどれほどありますかな?」

 挨拶もそこそこにアスモス卿が席を立ち、背後に飾ってある長方形の巨大な絵画を眺め始める。その絵画はこのアスガンドの時代の変遷を描いた内容で、過去に起きた争いや平和、そして飢餓や飽食などが描かれていた。

 その絵画の端っこには、目立たぬように黒く描かれた死者の姿も見て取れる。

「『ブラック・デス』……通称『ペスト』。全身の倦怠感、寒気などが初期症状として現れ高熱を伴うとても苦しい病です。書物に描かれたものでしかこの眼で確認していませんが、リンパ節に腫脹が現れるのも特徴です。現在ペストの治療法も確立していません」

「フフ、素晴らしい。独学で勉強したとはとても思えない知識の正確さだ」

 ルンカの説明に振り向きもせず褒め称えるその姿は、見方によっては侮蔑にも取れる。しかしルンカはまったく逆のイメージをアスモス卿という人物にもった。

 ボクの知識が必要だとモードスに呼ばれたけれど、アスモス卿はボクのペストについての情報を「正確だ」と言ってくれた。世間ではまだ流行病を天罰と恐れる人の方が圧倒的に多いというのに、病という現実に迷信を織り込んで現実逃避をするお方ではないんだ。

 そうなると一つの疑問も湧いてくる。ボクの知識に理解を示しているのなら、何故モードスに呼ばれたのか、ということ。一介の修道女の知識なんて、本当に必要なんだろうか?

「シスター・ルンカ。貴女をここへ呼んだ理由が気になりますかな?」

「ええっとすみません……正直、気にならないと言えば嘘になります」

「素直でよろしい。私は実直を重んじる男。肩書の前にただの男でありたい人間。しかし事態はそれを許さない……」

 絵画を眺めていたアスモス卿が右腕を高々と上げると、それまで描いてあった絵が急に真っ白なキャンバスに変わり、まったく別のものを映し出す。

 そこに映るは全身を真っ黒に焦がしたような、「人間だったはずのもの」。七年前の戦火にさらされたハロモグをフラッシュバックしたルンカは、瞬間的に口を両手で抑えつけ、こらえきれずに大理石の床へと嘔吐する。

「ウエエッ……エグッ……なんで、こんなものが……」

 質問を受け、改めて中央のルンカの方を向き直すと、ルンカの痴態などなかったかの如く淡々と話を進め始める。

「質問の意図は三つですかな? 絵画の内容が変わったのはこのモードスを守る部隊、ヴィジリアーの隊員の能力。この黒き死体が恐らくブラック・デスで病死した患者であるということ。そして残る一つは実際にこれがいつのものであるか――ですかな?」

 無言で口元を抑えながら頷くと、アスモス卿がニヤリと不敵に笑う。まるで人の思考を読めて当然といった振る舞いに心の底から恐ろしくなる。

 こんな人は初めてかもしれない。ボクが今まで出会った人たちは、こんな笑い方をしたことなんてなかったから。

 それよりも問題は絵画に映るおぞましい黒き死体。こんな全身が真っ黒になるまで病状が進行するなんて、聞いたことも書物で見たこともない。それこそあの戦火で焼かれ死んだ人々にそっくりで――とても見続けられない。

「目をつむったままで結構。この死体……『ウルズの惨劇』と言えば理解が速いですかな? あの惨劇の直後に発見され、更なる感染を防ぐために北区の住人の流出、そして流入を防ぐためあのように壁で囲った。シスター・ルンカ、貴女はそれを見たはずです」

「……酷い……」

「結構、実直結構! だが現実を見なさい。貴女が読み耽った書物では、このブラック・デスで何千、何万以上の罪無き者たちが死んだと書いてありましたか? 貴女が教えを請うた老人がペストの悲惨さをどう説いておりましたかな?」

「な、なんでそれを?」

「そんなことは些細な問題でしかない。事態は一刻を争う……アスガンドにまた新たな悲劇を起こさぬように、モードスの全力を持ってこれに対処したいのです。シスター・ルンカ、貴女にも是非、是非ご協力を仰ぎたい」

 まくしたてるアスモス卿の視線が、真っ直ぐにルンカを捉え離さない。その誠意と豪胆さに、アスモス卿を恐れた自分が恥ずかしい。

――思い返せば七年前の『ハロモグの悲劇』こそ、ちょうど院長がハロモグを出て行った翌日のこと。頼るべき人を失い、喪失感で頬を濡らしながら部屋に篭っていた時に悲鳴が上がった。

 外に出ると町のあちらこちらから火の手が上がり、この世の物とは思えない魔物が建物を粉砕し人々に牙を向いた。その恐怖といったら、ボクは修道院の皆の安否を確認することもせず、ただただ裸足で駆け出した。そのせいで多くの仲間を失った。

 そんなボクが、モードスで病に苦しんでいる人々のために、このちっぽけな生命を投げ出せるとすれば。あの日、我が身可愛さに生き延びたボクに唯一許される贖罪行為のはず。

 頭を包むフードを自らが汚した床に被せると、決意を持ってアスモス卿を見つめ返す。

「その願いはこちらから申し出るべきことです。私は無力で、無知で、今まで打ち込めるものもなく……ボロボロの修道院で、多くの人を看取ってきました。その中の一人、名も知らぬ老人は疫病についての多くの知識を持っていて、私にそれを授けてくれました。その知識が役に立つのならば、この身も共に喜んで差し出します」

「ありがとう、シスター・ルンカ。貴女はこの国に舞い降りた女神かもしれない……」

 アスモス卿がつぶやきながら再び黒い死体が映る絵画を向くと、今度は小さく右腕を上げる。

 また別の恐ろしい絵画が映るのかと身構えると、そこに映るは絵画でもなく、なんと白い軍服を着た人間がキャンバスの中を動き回っている。魔術と見まごうような超常現象に目を見張る。

「驚きましたか? 驚くでしょう、私も最初は驚いた。十六世紀初頭から、このモードスだけでなくこのアスガンド全体で、超常的な力を持つ人間が二十年かけて少しずつ……だが確実に増えている」

「まさか……それって」

 ルンカは生唾を飲み込む。

「その通り。これは最重要機密ではあるが、最早貴女も私たちと運命共同体。モードスを、そしてヴィジリアーひいてはスナッチャーについて知る権利がある……」

 二人の視線の先では、無音の元に隊列を組む集団、ヴィジリアーがそこに写っていた。


    ◇


「これで全員…………ですか…………?」

 楕円形の闘技場を思わせる外壁に囲まれ、しかし客席が無いただのだだ広い更地の上。いわゆる演習場の中央で、金髪の女性が弱々しい声で目の前に正方形の隊列を組む隊員たちへ点呼を取る。

 百人にも満たないヴィジリアーの隊員はそれぞれが「ハッ」と答え、前方に一人立つ女性へと視線を向けるが、目を完全に隠すように伸びた前髪のせいで表情もうまく読み取れない。

 その中に一人、物憂げな様子で地面を見つめる青髪の青年がいた。

「はい…………お昼休憩という心潤わすシンキングタイムに、こうして集まってもらったのは…………」

「申し訳ない! エターナル・ツーのウグイス嬢、話が長引きそうなので平常通りに願います! 」

 ウグイス嬢と呼ばれる女性の発言が、目の前で挙手をする丸眼鏡をかけた男の叫びにかき消される。

 それに怒るとも悲しむともせず、表情のわからないウグイス嬢は直後に手の甲を口の前に持って行き、「ンンッ」と一つ、咳払いをした。

「『今朝一番にモードスへ招待した一人の女性が野盗の襲撃にあった。その際に警護の者がいたにも関わらず、スナッチの能力を用いこれを撃退した者がいる。無闇な力の行使は他の国に対して圧力を掛けるも同様であり、今後同じことの無いよう厳罰に処するべし』」

 先ほどと打って変わって流暢にセリフを言い終えると、口の前にかまえた手を下ろす。すると顔の向きを恐ろしい速度で変え、揺れた前髪の間からキラリ青い瞳が一人の青年を覗く。

 地面を見つめていた青年――アスモス・シュガーはそれでも地面を見つめ続け、ウグイス嬢のプレッシャーに気づかない。

「やる気…………あんのか…………?」

 例えば大きな失敗があって、それが己の身に覚えのあることならば大いに反省しよう。しかし私にとって、此度引き起こった『シスター・ルンカ救出大作戦』なる全貌をまったく知らされず、この集会の直前にある人物からさわりだけ告げられたのだ。

 それを告げた人物の最後のセリフ、「心当たりがないなら大丈夫ですよ」の一言を今なお信じこみ、今まさに裏切られようとしていることを、私はある意味確信していた。

「おうシュガー、お前めっちゃ見られてんよ」

「シュガー様……警護隊に入ってなかったで~すよね? どうやったんで~すか?」

 ウグイス嬢のあからさまな態度から、周囲の同期が口々にシュガーの話題を展開しあっている。確実に疑いをかけられているという現実に、頭が痛くなる。

 静かにゆっくりと顔を上げてみると、ウグイス嬢と目があった気がした。

「『ヴィジリアー隊隊員一名を含む警護隊、五名全員が一瞬の出来事で目視叶わずで~す』…………と、報告がありました。多岐にわたるヴィジリアーの任務を完了するにあたって、最重要と位置づけられる戦闘能力。シュガー殿を差し置いて、賊を一瞬で屠る実力者がこの中に何人いるでしょう…………。反論ありませんね…………?」

「そこまで言うのならば私にも言い分があります。先月北区の大災害時、私のスナッチはその九割の力を用いて建造物倒壊を防ぎ、今なお再開発の目処が立たず常時発動中です。完全な状態ならば話は別ですが、現時点で超長距離の標的を攻撃する力は残っていません」

「…………確かに、筋が通っています…………。では、一体誰を処罰すればいいんでしょうかッ…………」

 絞りだすような悲痛の声を上げるウグイス嬢が、手の甲をおでこに当て片目が顕になる。太陽を眩しがるようにまぶたをキュッと強く閉じると、そのまま動かなくなる。

 エターナル・ツーの所以。リーダーに向かない他力本願な性質故に、解決の目処が立たないと途端に己の意思を曲げ言葉を濁し答えに窮する。組織の一員の在り方として、最も心地の良い他人と責任を共有するタイプの人間。

 だからこそ、私は彼女を苦手な人間として認識する。

「ステキな答えを提案して差し上げましょうか? このボクが!」

 何者の発言と皆が後ろを振り向くと、沈黙のウグイス嬢に向けて名乗りを上げたのはまだ表情に幼さの残る少年。その幼さに不釣合いな実力がアスモス卿の評価を受け、南西端の争いの国『アブミシガ』から鳴り物入りでモードスへと入国しヴィジリアーへと入隊した天才少年。

 だがしかし、あの少年がこのモードスへ来たのはおよそ六年前でそこから一切姿を見せていなかった。事ここに来ていきなり姿を見せたのは一体どういうつもりなのか。

「…………ステッキーな答えとは…………なんでしょう、ワールズ・ネイク殿?」

「簡単ですよ。というかボク以外誰も気づきませんか? シュガーくんの言っていることはまやかしで、褒められたら認める。罰せられたら認めない。本当に欲が深いですよ。ねえシュガーくん!」

 挑発的な態度に全員が緊張した面持ちでワールズを見つめる。それをまったく意に介さずに長髪をかきあげると、シュガーに向けて一瞬舌を出し入れして見せる。

 父が偉大だと周りの人間は決まって私を持ち上げる。畏怖や尊厳がそうさせると感じていたが、その中にあってまったく別の感情を持つ人間も時々現れる。だからこそ、私はそういう人間が嫌いではない。

 シュガーが「フ」と微笑むと、余裕を見せていたワールズは苛立たしげに顔をしかめる。

「ボクの何がおかしい!」

「挑発に乗るつもりはない。私の発言に信頼を置けないというのならば、貴様の実力で確かめるといい」

「なんだと……! 後悔しないだろうな!」

 二人のやり取りに脅威を感じ取った隊員たちが、二人の間から立ち退いて急ぎ壁際へと集まる。その中にいつの間にか混じっていたウグイス嬢が、またも手の甲を口の前へ持って行きワールズに向け声を張り上げる。

「『新人の君に説明しよう。スナッチは大きく分けて四つの特性を持つ。『融合装着型』『顕現型』『自立人形型』、そして最後に『ブリッジ型』だ』」

「子供だからと馬鹿にして! そんなこと、一番最初に習ったさ! 有効範囲について言いたいんだろ!」

 情動を抑えきれないといった凄まじい形相でウグイス嬢を睨みつけ舌を伸ばす。

 まさに子供の癇癪だ。あの時の男を思い出してしまう。私のスナッチを見ても恐れることもせず、なお抗う姿勢を終始見せたあの男――ボアブリンガーはまだ生きているのだろうか? 一人の人間があのような大災害を引き起こしたとはとても思えないが、それでもあの男が何かの引き金となって北区を壊滅させたのは間違いない。生きていれば、必ずこの手で白状させて――

「シュガーくん! アンタとボクは同じ顕現型だって事は分かっている! さっき言ってたよね、北区を守るために九割の力を使ったって。じゃあこのモードスの中心市街地を更地にしたボクは何割の力を使ったと思う? たったの半分さ!」

「ああ、大したものだ。出力はな」

「そうでしょう! 顕現型は神世を歌う詩の力をそのままに行使する! この島の名を初めて聞いた時、ボクは悟ったんですよ。ねえ、ヨルムンガンド!」

 ワールズの叫びに呼応するように身体から虹色の光が吹き出し、地面が揺れ、背後に二本の巨大な円錐が黄金の粒子と共に突き出る。その手には先が二つに割れた真っ赤な杖を持ち、シュガーに向けて突き付ける。

 怒りに任せ大声を張り上げていた時と違い、今度はシュガーにのみ聞こえるような小声で話を続ける。

「前はビッグアウトとかいう乱暴者がヴィジリアーを仕切っていたみたいだね。ボクも最近までアスモス卿直々の特別訓練があったから姿を見せられなかったけど、これからはボクが仕切っていくつもりだよ。アスモス卿から許可も取ってある」

「ほう。あの父が、傍若無人を気取り豪放磊落を語るあの父が、貴様のような未熟な子供に一目置く理由はそのスナッチ。かの神話に伝わるヨルムンガンドを名乗るに相応しい力を持つからかな?」

「あははは! 挑発に乗るつもりはありませんよ。元々スナッチは二十歳に満たない少年少女が平等に扱える。つまり一六世紀初頭から生まれた子供だけが、激情を伴う破壊衝動からスナッチを扱う術を掴むんです。そのボクの激情が、甘ったれシュガーくんに、理解でき、ます、か!」

 シュガーに向けた赤い杖を天に向け振り上げると、シュガーの足元の大地が砕けシュガーもろとも宙を舞う。

 ただの平地を噴火させるような光景に壁際の隊員たちも驚きの声を上げ、中でもウグイス嬢は「ありえないありえない」と呟きながら手の甲を口の前に持っていき、顎から血を滴らせる。その様子を満足そうに見つめるワールズは「あははは!」と満面の笑みを浮かべた。

「やはり子供だな。仮にも闘いの最中に敵から視線を外すとは戦士に非ず。砂場の遊戯に勤しむ子供でしかない」

「なんだとお!」

 空から声が降ってかかり上空を見上げると、砕かれた大地が空中で一本の木により貫かれ支えられている。逆さ吊りの要領でシュガーの足首にも木が絡みつき、ワールズを見下ろしていた。

「父が言っていたのか? 「激情を伴う破壊衝動がスナッチを扱う唯一のきっかけ」と」

「ああ、そうですよ! ボクもそうだった! おかしい所は何一つないでしょう!」

「嘘も方便という奴だ。私も父からそう教えられたが、そんなきっかけでこの能力を顕現したわけではない。それにこの程度の破壊衝動とやらで、私のスナッチの真髄を確かめようなど片腹痛いわ、小僧!」

「あははは! たかが様子見の小技でそこまで自慢気になるなんて! いいですか、ボクとシュガーくんのスナッチは、絶望的に相性が悪いんですよ!」

 今度は赤い杖を地面に勢い良く下ろすと、一本の木で宙に留まっていた足場は根本ごと折れて急速落下しシュガーの目前に地面が迫る。そんな状況にあっても不動心は揺るがず、冷静さを欠く事なく次の布石のために腕を振る。

 足元に絡みつく木が振り子のようにシュガーの身体を大きく揺らし、ワールズの背後へと身体を投げ飛ばす。曲芸師のような身のこなしで空中で体勢を整えると、二本の円錐の近くへ降り立った。

 その様子を振り向きもせずにワールズは拍手を送る。

「すごいすごい! シュガーくんのスナッチ……えーと、名前は無いんですっけ? カッコ悪いなあ。まあいいか、大地から離れても操作が出来るってことはコネクターは別ってことですよね?」

「そこまで習って攻めていたわけか。通りで、最初に押し潰せば決着が付いたかもしれないのに、回りくどい攻めをする。強さをひけらかしてヴィジリアーを仕切りたいのならば、さっさと倒せば良いものを」

「倒すのが目的じゃありませんよ。ウグイスちゃん言ってたでしょ、アスモスさんが違反者に罰を与える命令を出したって。そしてボクもアスモスさんの息子という立場に甘んじているシュガーくんが許せない。だから罰を与えたい!」

 振り向いて見せたワールズの目は杖と同様に真っ赤に血走り、改めてシュガーに向けて杖を横に振ると今度は外壁に向けて身体が吹き飛ばされる。「重力制御ではないのか!」と叫びながら腕を振ると壁際の地面から勢い良く木が伸び、それを蹴飛ばすと外壁の天辺に見事着地する。

 本来ぶつかるはずだった場所を見下ろすと木がめり込み黄金の粒子に還っている。

「サイコキネシスを操る能力か? ヨルムンガンドを名乗るとは大きく出たな。そんな程度では野盗の一人も倒せまい」

「あはははは! 聞いてた以上にムカつくなあああ。ヤバいって、あはあ。手加減してるって分かんないかなあああ?」

「貴様が今まで姿を見せなかった事は何より僥倖だ。あそこにいるウグイス嬢を見ろ」

「敵から視線を外すのは子供なんじゃなかったのかよ!」

「いいから見ろ!」

 シュガーの叫びに気圧されるように、改めて隊員たちが集まる壁際に目をやるとウグイス嬢が暴れ狂い周りの隊員たちに必死に押さえつけられている。付和雷同を信条とするエターナル・ツーがそこまで猛り狂う姿はシュガーも初めて目にする。

「貴様がこの街に来たのは六年前。その頃この街の農業は革新を迫られていたらしい。本来ならば城壁の周りに田畑を作る予定が、貴様のスナッチの暴走が中心市街地の崩壊を招いてしまった」

「暴走じゃないさ! ボクはボクの意思でスナッチを開放したんだから。それに結果的には良かったじゃないか、この街の果物は高価だよね? 城壁の内に田畑が出来たことで盗まれる心配もない!」

 ワールズの言葉を受けシュガーが外壁の頂上から外に目を向けると、西の正門からモードス城へと伸びる大通りを賑やかすように多くの屋敷が建っている。通称『貴族街』を除くすべての土地の上では、赤く熟れた果実を枝からぶら下げた木々が、ずらと城の周りを取り囲んでいる。「赤絨毯」ともてはやされるこの光景は、確かに中心市街地を一度に取り壊した事で実現した光景だろう。

 だが許せないものがある。譲れない感情がある。それは強固にこの胸に突き刺さる、トゲのように痛く苦い思い出。

「ワールズ・ネイク、貴様は知っているか? 『貧民街』を含め動けないでいた人々がいた事を。その人々の説得に昼夜を問わず働きまわった偉大な女性がいた事を。貴様の安直な考え一つで、そういった罪無き人々の命を奪う結果になった! その偉大な女性はウグイス嬢の肉親だったんだぞ!」

 叫びと同時に外壁の頂上を蹴る。頭から飛び降りて腕を横に振ると、新たに一本の木が地面から生え先端が鉤のような形状を取る。回転しそれに両足を乗せると、音もなく地面へとシュガーの身体を運ぶ。

「貴様は言っていたな、私のスナッチに名前がないと」

「……言ったけど。しかもカッコ悪いって。それがなに?」

「見せてやろう。たった一本の木しか操れないとて、目の届く範囲しか守れなかったとて、それでも貫く私の覚悟を!」

 挙手をするように勢い良く腕を上げ、虹色の光がシュガーの肉体から溢れだす。それに反応するように今しがた生えた木の先端が動き出し、シュガーの指先を引っ掻くと黄金の粒子が大地から噴き出る。血に塗れた先端を包むように幹は丸まり、それに伴い枝分かれをするように四本の枝が生えるとまるで人間の骨格を思わせる異形の木が出来上がった。

 頭頂部のような部分からは勢い良く緋色の液体が溢れ全身を覆い尽くし――その中から真っ赤な鎧に身を包んだ人型が現れる。全身から沸き立つ白煙が首元から空へ流れ、白いマフラーのように風になびく。真っ赤なボディはスラリとした細さで華奢な印象を与えるも、手足を隠すように伸びる馬蹄形の裾からチラと覗く白い手足が骸骨を思わせ恐怖心を煽る。

 煙が晴れて流線の兜が顕になると、シュガーは静かにその言葉を口にする。

「『赤兎馬』」

 小さな呟きを受け人形は赤い線を残し一瞬で姿を消す。

 次の瞬間、ワールズの両側にそびえ立つ円錐の一つが大きな音を立てて根本から崩れ落ちる。驚愕の表情で後ずさるワールズの目の前には、赤兎馬と呼ばれる人形が仁王立ちしていた。

「顕現型なのに自律人形型も操れるなんて、聞いてない! 聞いてないよお!」

「騒ぐな。喚くな。いきり立つな。貴様が父の元で訓練をしていたのは決してスナッチの強化の為ではない。強大な出力に耐える精神の鍛錬が目的だったはずだ。それがどうした、たった数度の力の行使でそこまで消耗し、立ち向かう気力すら見せんとは」

「くそお……」

 怯えた目つきでたじろぐワールズが、チラと横目でウグイス嬢を何度も見やる。

 この少年が本当に六年前の中心市街地崩壊を招いたんだろうかと妙に疑わしい。この程度の規模、しかも大した出力を発揮することもなくここまで消耗するようでは、大規模な破壊などとても行えるはずもない。あの父が、力をこそ追い求める父が、一人で国を滅ぼしかねない少年の力を奪う可能性も皆無に等しい。真相はわからない、が。

 今にも泣き出しそうなワールズに片手を差し向け、「報いは受けねばならない」と睨みつける。赤兎馬も一歩を踏み出す。

「お兄さまはクローブの目の前で弱い者いじめをしたいのですか?」

「っ!」

 晴天のもとに軽やかに響く女性の声が殺気に満ちるシュガーを止める。赤兎馬は一歩を踏み出したまま崩れ落ちた円錐の上でそれ以上動かない。

 シュガーの視線がワールズを超え、その先にいるピンクのドレスに身を包み猫を模した愛らしいスリッパを履く、桃髮の乙女に向けられる。ワールズもつられて後ろを振り向くと、「クローブさまあ……」と情けない声をあげた。

 その惨めな姿に、満面の笑みを浮かべるクローブは一転、眉を吊り上げワールズを睨みつけた。

「ワールズ・ネイクさん、貴女はクローブに誓いましたね。『モードスを破壊した力で今度はモードスを守りたい』と。あれはクローブをぬか喜びさせたかったんですね」

「ち、ちがいますよう! でもボク、シュガーくんが羨ましくって!」

「羨ましくって?」

「力を……見せびらかし、たかったんです」

「それは良い事だとクローブは思います。きちんと皆様に過去の過ちを謝罪したいと張り切っていましたもの。でもね」

 会話の最中に方向転換をし、タッタタッタとスリッパとは思えない軽やかなステップを踏み壁際に向かう。多くの隊員によるがんじがらめで動けないウグイス嬢に駆け寄ると、口紅を塗ったかのような血を滴らせる口元に、純白のハンカチを当てて拭う。

「ワールズが…………ワールズが姉様を…………!」

「黙っててゴメンね、ウグイスちゃん。でもワールズくんも悪い子じゃないんだ。クローブが保証する」

 ウグイス嬢の頭を撫でながら振り向くクローブが、艶めいた表情でシュガーを見つめ声には出さずに口をパクと動かす。

 遠目にそれを確認したシュガーが「馬鹿な」と呟き、背を向けるワールズに再び注視すると様子がおかしい。肩をわなわなと震わせ赤い杖を握りしめている。

「……シュガーくん、ボクはね。一番偉くなれば誰にも怒られずに済むと思ってたんだ。思ってたんだよ!」

「絵空事を、恥ずかしげもなく口に出す。だから子供だ、貴様は子供だ!」

「黙って聞いてよ! 分かってるんだよ、そんなこと無理だって! じゃあ力を見せ付けたらどう? シュガーくんを倒したら、ボクを怖がってみんながボクに怒りを向けることはなくなるはずだろ! そうでなきゃ、そうでなきゃダメなんだよ!」

 恐らく自らが考えた末に出した結論に、シュガーの怒りが爆発する。

「ならば見せてみろ! 最後の一撃があるというのならば受けて立ってやろう!」

「ヨルムンガンドオオオッ!」

 ワールズが叫びながら杖の先端を地面に突き刺す。地が揺れて不安定な瓦礫の上に立っていた赤兎馬が体勢を崩す、その刹那。大蛇の頭部が地面から姿を表し赤兎馬を飲み込むと一瞬でその姿を消した。

 土煙が晴れる頃、平坦だった大地は山と化し、改めてヨルムンガンドの力を実感することになる。ワールズも目の前の光景に半狂乱の様子で高々と笑っている。

「や、やった! 勝ったんだ! 僕がナンバーワンなんだ!」

 瞬間。ワールズの顎に白い閃光が瞬くとその場にうつ伏せで倒れる。

 山頂でそれを見下ろすように立つは赤兎馬。その指は触手のように伸び、元の長さに戻ると再び黄金の粒子を放ちながら姿を消していく。

「けほっ、けほ! 埃っぽい」

「……クローブ。さっきの言葉はどういう意味だ?」

 いつの間にか側に居たクローブがきょとんとした表情でシュガーを見つめ、「そのままの意味ですよ?」と言ってのける。だから苦手なのだ、我が妹よ。

 父によく似た強欲さが成せる業。視野の広さとそれに伴う見境のなさで、気づけば貴族街を中心に活動をする交易商をまとめ上げ、この街一番の館を建てる財力を持つに至った。末恐ろしいのは、このモードスの支配者である父、アスモス卿の名は一切出さず、女の身一つで商人ギルドの最高顧問に上り詰めたその手腕。実力をまず認めさせたことで権力をかざしても文句をいわれることもなく、モードスの経済を担う実質的な裏の支配者といえよう。

 この街の警備を務めた過去の憲兵団も一切合切が解雇され、退職金まで持たせてそれぞれの国に帰らせたという。理由はわからないが、ヴィジリアーが治安を守るようになってからは大規模な争いが起きたことはただの一度もない。それを見越してのことだろうが。

 一体どこからなにまで見据えて動いているのか、兄である私にも皆目見当がつかない。そんな心境を知ってか知らずか、対面する場合絶対に笑顔を崩すことがない、可愛げのない妹だ。

「お兄さま、流石ですね……というべきですか? またお強くなられました。おお怖い」

「御託はいい。シスター・ルンカに惚れたのか?」

 シュガーの突然の質問に、一際輝く笑みを見せるクローブ。

「はい! 一目惚れです。あんなに可愛い子は見たことがないですよ!」

「はあ……」

 呆れて物が言えなくなる。顔に手を当て溜息をつくと、心配そうに顔を覗き込むクローブの仕草に思わず口角が上がる。

「まったく。この演習場に来る前は最悪な気分だったんだぞ。またお前がヴィジリアーを私物化しているのか、と。わざわざハロモグからシスター・ルンカを招いたのも、父に屁理屈をこねて頼み込んだのだろう」

「いえ。今はまだなにも言えません、シスター・ルンカの人物情報は秘匿度Aクラス。お兄さまとてそう簡単には彼女の情報は……」

「シュガーさまあ!」

 突然呼ばれる名前にビクと身体を震わせる。

 外壁の内部をスクリーンにして、銀髪を揺らす淑女がでかでかと映しだされる。「え? これもう映ってるんですか?」と後ろを振り向きながら確認を取るその女性、ルンカが改めて画面の向こうからこちらを見つめ直す。

「道中は助けてくださってありがとうございます。ルンカと申します。街についた時、クローブさまが直々にお出迎えしてくださって……賊から私を助けてくれたのはシュガーさまだとお聞きしました! 本当にありがとうございます!」

「……クローブ」

 ギラ、と妹を睨みつける。

「え? 照れてるんですか? だって護衛についたカーラさんにそんな芸当は不可能ですし、じゃあ残るはお兄さましかいませんよ?」

「知らんと言っただろう! それになんだこれは! PJは、父は何故こんな映像をよりにもよってこの演習場に流すんだ!」

「さあ……」人差し指を頬に当て、首をかしげる。

「あ、でも。ルンカさんがあそこまで嬉しそうに仰ってるんですから、そういうことにしたらどうでしょう? お兄さまだってこのままじゃ活躍を評価されて、ヴィジリアーのトップに成り上がってしまいますよ」

 クローブの言葉にぷいと横を向くと、腕を組み眉にシワを寄せる。

「いいだろう。だが罰を受けるためだ。その後にきちんとシスター・ルンカに真実を話す。お前は余計なことをこれ以上するな、言うな。分かったな」

「はい!」

 今一つ信用はできないが、落とし所とそれに至る理由付けが上手いだけに、結局は納得させられて乗せられてしまう。これはもう昔から変わらない。

 血の繋がった妹とは思えない利口さがたまに羨ましい。

「では父上から承った厳罰の内容をお伝えします。『ワールズ・ネイクの教育係に一任する』だそうです。頑張ってくださいね?」

「ちょっと待て! 色々とおかしいぞ!」

「では、クローブも忙しい身ですので、これにて失礼致します。うふう」

 タッタタッタと駆けるクローブの背中に手を伸ばし、ギュウと握りしめる。思い出すのはワールズとの最後の激突の前に、クローブが口に出さずにいた言葉。

 ワールズが「私にそっくり」と言ったのはお前ではないか。私は自分が嫌いなのに。

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