カボチャ頭のお客様
「トリックオアトリート!」
今日はハロウィン、あの世とこの世の境界が曖昧になり、人ならざる者達が街中を自由に出歩く日。この期間は、人間も仮装して分け隔てなく皆で楽しく過ごす。
お菓子をくれなきゃ、悪戯するぞ!
その台詞を合言葉に、うちに来たのは一人の少年だった。頭にカボチャを被り、黒いマントを身に纏う。カボチャをくり貫いて描かれた顔は、目は真ん丸で口は歯を出した笑い顔。
「ぇえ……?ちょっと待って、ちょっと待って!」
しかしここは日本。突然扉をノックされてもそんな用意などしていないのである。最近でこそ仮装する人は増えたけど、家を回るのはまだ普及していない文化のはず。
だからといって、追い返すのも可哀想だし、下手したら悪戯されるし……と少年を玄関で待たせて、家の中を漁ってみるがチョコレート一つ出てこなかった。砂糖なら有るんだけど……。
仕方なく一度玄関へ戻る。
「ちょっと今無さそうなんだけど……悪戯って何するの?」
「郵便受けに納豆卵ご飯入れる」
「それは本気で止めて下さい」
少年は肩にかけたバッグを見せながら、怖いことを言う。その中に納豆と卵が入っていると言うのか少年よ……。
「お菓子も悪戯も止めて欲しいって言うのは聞いてくれないよね」
「トリックオアトリート!」
大きな声を張り上げて、また合言葉を口にする。どちらかしか選択肢は無いということですか。
お菓子か、郵便受け攻撃。後々のことを考えればどちらを取るかなんて分かりきった問題だ。
砂糖なら有る。小麦粉もあったはず。
「時間ある?今から作るけど、それでも良い?」
「良いよ!」
「じゃあ外は寒いし、玄関で待っててもらえる?」
扉を開けて迎え入れれば、「おじゃまします」と礼儀正しくお辞儀をする。
そしてカボチャの首を傾げて、くんくんと家の匂いを嗅いだ。
「僕のじゃないカボチャの匂いがする」
「夜ご飯にカボチャを煮てたのよ」
ハロウィンくらい、ちょっとイベントに乗っかったものを食べようと思って夕方スーパーで買ったのだ。和風の味付けにして、先程まで食べていた。ホクホクしていて、我ながら美味しく出来たと自画自賛。
「カボチャ好き?」
「うん、自分で煮るくらいには好きだよ」
「お姉さん好き!」
「!?」
突然の告白と、腰に抱き付く動作に、固まる。
真上から見下ろせば、カボチャ頭のてっぺんには短いヘタが付いている。その堅い頭が、腰に擦り寄せられていた。
「あ、お、うん。君は本当にカボチャが好きなんだねぇ。……カボチャをお菓子と認めてくれるなら、作ったの食べる?」
「いや、それはちょっと無い」
「そうか」
甘い考えは通らず、心の中で舌打ちを打つ。おかずとお菓子は違うよね。
ぽんぽん、と撫でるように頭を叩けば、カボチャの顔をこちらに向けて、目を細めてニッコリと笑う。
……あれ?さっきこんな表情だったっけ?
最近の仮装は良く出来ている。
「じゃあ作ってくるから」
大きく頷いて私から離れると、少年は玄関の段差に座った。足をゆらゆらと揺らしていて、どこか機嫌良さげだ。
私は台所へ行き、急いでお菓子作りの準備に取りかかる。
小麦粉、卵、ベーキングパウダー、牛乳、バターを出して、ボールの中に順番に入れていく。ダマが出来ないように泡立て器で混ぜていけば、生地の完成。
熱したフライパンにトローリと流し込み、二つの丸を作り、弱火でじっくりと焼いていく。中までしっかり火を通すには少々時間がかかるのだ。
手持ちぶさたになったので、冷蔵庫を開けてリンゴジュースのパックを取り出し、コップに注いだ。
「甘い匂いがするよお姉さん!」
玄関からそんな声がして、コップを持ってそちらへ向かう。
「あとちょっとで出来るから、納豆卵の用意はしないでね」
「当然!お菓子があるなら、そんなことしないよ!」
差し出したリンゴジュースを両手で持つと、少年はカボチャをくりぬいた黒い空洞の口へと注ぎ込む。
んー、どうなっているんだろう?
ゴクゴクとのどは動くので、ちゃんと口には入っているらしいけど、うまく入っているのだろうか。
「サービスが良いんだねお姉さん!」
「いえいえ、こちらこそお菓子を用意せずお待たせしてすいません」
台所に戻り、火にかけたフライパンの様子を見る。丸い生地は、ふつふつと泡が立っていて、フライ返しで裏を確認しつつひっくり返せば、こんがりときつね色に焼かれた面が表れた。
うん、良い感じ。
甘い匂いのせいで、さっき夜ご飯を食べたところなのになんだかお腹が空いてくる。
裏面もじっくり焼けば、簡単ホットケーキの完成だ。
「メイプルシロップしかないんだけど、いいー?」
「良いよー!」
「かけとくねー」
持って帰れるように、サンドイッチ用の四角い紙箱を用意して、その中にホットケーキを二段にして入れた。そこにトロンとした蜜色のシロップを掛ければ完成。
フルーツ缶や生クリームがあればもっとデコレーションのしようがあったけれど、何もないので断念した。シンプルな生地の美味しさを楽しんでもらうことにしよう。
「わあ!ありがとう!急だったのに、本当にありがとうございます!」
くり貫かれて闇しか見えない真ん丸な目は、それでもどこか輝やいているように見えて、こちらも嬉しくなる。
「こんなので良ければ」
「全然おっけー!来年も絶対来るね!」
「……絶対来るの?」
「絶対来る!」
「ほんとに?」
「絶対絶対来る!」
まさかの絶対来る宣言。
今度は何か用意しておかなければ……。
「カボチャタルトとか好き?」
カボチャが好きそうなので、そんな提案をしてみるものの。
「それはちょっと食べられない」
真顔でそう返されれば、なぜだか申し訳なくなって謝りたくなる気分になる。
「カボチャ好きじゃないの……?」
「カボチャが好きなお姉さんが好き」
戸惑いつつ聞けば、予想外のカウンターに私は再び固まった。
なんなんだこの子。
ストレート過ぎて反応しきれない。
「食べたいものを、作ってあげよう」
代替案は、君任せ。
元々料理作りもお菓子作りも好きなので、難しいリクエストが来ても作ることは出来るだろう。こんなに喜んでくれるのなら、作りがいもあるというものだ。
うーんうーん、とカボチャ頭を捻りに捻って悩んだ結果、リンゴジュースの入っていたコップが目についたようで。
「アップルパイ!」
「おっけー分かった。シナモン大丈夫?」
「よゆー!」
アップルパイ、と記憶するように私は頭の中で繰り返した。
少年はホットケーキをしっかりと手に持って、ピョンと飛ぶように段を降りる。私もスリッパを履いて玄関へ出て、扉を開けた。
「ありがとう。お姉さんで満足したから今年はもう家に帰るよ。また来年ね!」
「うん、またね」
バサリとマントを翻し、少年は黒に包まれる。シュルと布の擦れる音がすれば、そのまま跡形もなく消え去ってしまった。
「さ、最近の仮装は本当にスゴいわね……」
キョロキョロと辺りを窺うが少年らしき人影はどこにもなくて、夜の闇が広がるばかり。消えた?そんな、まさか。
……本物だったかもしれない?
得体の知れない、カボチャ頭の少年。背筋に寒気が走り、腕に鳥肌が立った。言葉の端々にも気になるところはあったし、人間では無いものだったのかもしれない。あの頭ももしかして仮装じゃなかったのかもしれない。また 来年も来ると言っていたけれど、どうすれば……?
しかしすぐに考えを改める。
「それでも悪い子では無さそうだった」
思い返しても、礼儀正しいし、しっかりしてるし、むしろそこら辺の子どもよりも可愛いげがある。悪戯は陰湿だけど子どもの域を出ないし、言ったことは守ってくれるようだ 。
何より自分を好きと言ってくれる子を、嫌いになれるわけが無い。
まぁいっか、一年に一回くらい不思議なことが起きても。
家に戻って、ふと目に入った空のコップ。
どんなアップルパイにしようかな、なんて。私は早くも来年のことに思いを馳せた。