鏡の向こう
「なるほど。相変わらず異界の魔女筆頭の悪戯はタチが悪いわね」
「だってー。それにそっちだってその方が都合がいいでしょ? 魔女未満の子どもに本当のこと話したらポプルス界に置いておくにも色々面倒が出てくるわけだし」
「まあね。でも、上手くやったわね。通信過程の教本が丸々頭に入ってるなんて優秀じゃないの。これなら一年後の試験も心配要らないわ。ポプルス界にいたら中二病だったかもしれないけど、よかったわね」
「あ、あはははは……」
「魔女の都アヴァロン」にやってきて三十分。
私は今、わけがわからないままママとジルケさんと三人でお昼ご飯のサンドイッチを食べている。
ママとジルケさんの話によると、ポプルス界と呼ばれる元の世界に派遣されている百人の魔女と魔法使い、通称「異界の魔女」のうちの二人がうちのパパとママで、特にママーーー夕暮の魔女レイラは、一番偉い「異界の魔女筆頭」を務める優秀な魔女なんだとか。
……ママが優雅にお茶を飲んでいるのに、パパはお昼も食べないで報告書を出しに行ったのは、その辺の階級の違いなのだろうか。
そして、何も知らずに魔女界の義務教育にあたる「魔術学校通信過程」の教本を読んで育った私は、これから一年間の修行の後「アヴァロン魔術学校高等科」の入学試験を受けることになるらしい。
通信過程はポプルス界で言うところの小学校と中学校にあたるわけだけど、十年間なのでポプルス界より一年多い。それを、修行の期間に充てようという計画なのだ。
「どうしたのマリア、もっとはしゃいで大変かと思ったのに、随分大人しいじゃない」
「うーん、いや、もちろん嬉しいんだけどね。まだ頭が追いつかないというか実感がわかないというか……。なんかママもパパも若返ってるし、ほんとにこれ現実なのかな?って感じ」
確かに、憧れの魔女の世界にやって来たというのに、自分でもびっくりするほど落ち着いている。いや、落ち着いているというより放心状態なのかな? あまりの急展開に私の頭は考えることをやめたらしい。
「ふふふ、若返った、ね。もう少し老けてる方がお似合いですってよ、レイラ?」
「もーやめてよジルケ! マリア、知ってると思うけど、私たち魔女の寿命からすると向こうでの姿になるのはあと五十年くらい先の話よ。こっちがママの本来の姿なの。魔女は青年期が長いし若く見えることが多いから、あなたもあと百年近くは今とあまり変わらないでしょうね。来たばかりだしまだ現実感がないでしょうけど、外に出ればすぐに慣れるわ」
年齢の話を振られたママは、黄昏の空を映したような見事な髪をくるくると弄びながら、憮然とした表情で「こっちがほんとなんだからね!」と念を押した。ちょっと拗ねた時に髪をくるくると弄るのはママの癖だけど、こうして見るとなんて言うか、うん、若い。
ちなみに、魔女の寿命は、長生きして三百歳くらい。ママは今百十一歳で二十代……服装と髪型を変えれば十代でもいけそうなくらいの見た目だ。私もそうなるのかもしれないけど、いきなりあと百年は若いままです、と言われても、ねぇ。やっぱりまだ実感がわかない。
「そうね、ここは地下だから窓もないし外の様子がわからないけど、地上へ出て空飛ぶ箒でも見れば少しは現実だってわかるんじゃないかしらね。……それとも、自分の姿を鏡で見た方が早いかしら?」
私の困惑顔を面白そうに見ていたジルケさんがママにウインクすると、隣に座っていたママは私の頭の先から足元の方までをチェックするように眺めて、満足そうに言った。
「うん。そうね!ちょうど馴染んだみたいだし。マリア、ちょっと立って後ろの鏡を見てみなさい」
え、なに、まさか私、幼児に逆戻りとかないよね? 悪戯っぽく微笑んだママの顔が怖い。
私の背後にある巨大な鏡、それに私はどう映るんだろう。ああ、ドキドキして体が動かな……ってママ待ってやめてーー!!
「っと!うわぁ……! ママ、これって」
ママに肩を掴まれ半ば強制的に振り向かされると、なんだかファンタジーな髪色した少女がおっかなびっくりという顔で鏡に映っていました。
ええっと、これって私だよね?
「そう、これが本来のあなたの姿。逢魔時を経て魔女の時間へと変わってゆく宵闇があなたの色よ、宵闇の魔女マリア」
「宵闇の、魔女……」
宵闇。確かに私の髪は、毛先十五センチくらいが夕焼け色で、まさに日が落ちてから夜へと向かう空のように、微妙に色を変えながら根元に行くにしたがって紺から黒へと変わるグラデーションになっている。
そういえばママは「夕暮の魔女レイラ」って名乗ってたよね。私はママよりもう少し時間が進んでるのか、なるほど。もはや何がなるほどなのかよくわからないけど、一応納得しておくことにしよう。
「ええ。あなたは今日から、暁マリアではなく、宵闇の魔女マリアとして生きてゆくの」
宵闇の魔女、かぁ。こう、名前がつくと、今までびっくりしすぎて押し込まれてた嬉しさが、じわじわと溢れ出てくるね!これまで幾度となく妄想してきた憧れの魔女名がついに私にも! あー、テンション上がってきたぁぁぁー!!元の世界じゃこんなの恥ずかしくて無理だけど、ここは魔女の世界!「宵闇の魔女マリア」、これからどんどん名乗らせてもらいます!ちょっと寂しいけれど、暁は卒業です!
「あれ、そういえば暁って苗字は……?」
「あら、言ってなかったかしら。私たち一族の祖は、貴女が大好きな
、暁の魔女フレデリカよ」
「え、ええええぇぇーーー!!!」
ここでまさかの、大物登場。
「やあ。……マリア、その顔は色々と衝撃の事実を知ったって顔だね? おめでとう、宵闇の魔女マリア。父親として、一人の魔法使いとして、改めて歓迎するよ。ちなみに、もう聞いているかもしれないけど、僕は鍵盤の魔法使いアロイスだよ」
あ、パパおかえり。娘は見ての通り驚きの連続で頭が真っ白です。ハイになり過ぎて脳みそ灰なりそう。あとごめん、パパの話は全然出てきてません。
「あ、そうそう!パパは、フレデリカと同じ四人の大戦の魔女の一人、旋律のヒルデの一族よ」
「うぇえええーー!!」
ママ、娘のMPはもうゼロです!何でもない顔で爆弾投下するのやめて!裏返って変な声出ちゃったじゃない!
「ちょっと〜、みんな、私のこと忘れてない?」
私の灰になった脳みそが吹き飛びかけたところで、パパの後ろから声がした。見ると、エメラルドグリーンの髪を三つ編みにした小柄な魔女が、むっとした表情を作って仁王立ちしている。えーっと、この方は、もしかして「境界の魔女ジルケ」さんと組んでお仕事してるっていう……。
「忘れてないわよ、ロザリンド。ただ居るのに気がつかなかっただけ」
「それはそれで酷いんですけど。ていうかジルケ、あんたは気づいてたでしょ!」
「えーなんのこと? というか、そこに居たのね。気づかなかったわ」
「ってそこからかい!!もういいよ!」
おお、ジルケさんとのこの漫才コンビっぷり。さっき話に聞いた通りだね。
「あらあら、相変わらず二人は仲がいいのね。うふふふふ。紹介するわ、こちらは十三審議会委員第七、鏡の魔女ロザリンドよ」
ジルケさんとロザリンドさん、ママが言うところの「鏡コンビ」は、境界を司るジルケさんが鏡を介したワープ担当、ロザリンドさんが鏡を利用した監視カメラやテレビ電話(?)担当だそうで、異界、つまり私がさっきまでいたポプルス界と、ここ魔女界との行き来や連絡をサポートするのが主な仕事の一つらしい。だから、十三審議会委員の中でも、パパとママとは関わる機会が特に多くて、仲良しなんだとか。
「は、はじめまして。今日から魔女になりました、宵闇の魔女マリアです。よろしくお願いします」
「ご丁寧にどうも。私がかの有名な鏡の魔女ロザリンド。握手してあげてもいいんだよ!」
ロザリンドさんは、背も私より少し低いし見た目も可愛いらしいというか、ちょっと幼い雰囲気だ。ふふん、と誇らしげに握手を求めてきてくださったので有難く応じ……ようとしたんだけど。
「あ、サンドイッチがあるじゃない! さっそくいただこう!」
サンドイッチを発見したロザリンドさんにスルーされました。自由な人だなぁ……。
さて、そんなこんなで再びティータイムとなり、諸々のショックから立ち直った私はこの際だからと教本で読んで気になっていたことなんかを色々質問したりして、とても楽しく有意義に過ごした。
こうやって普通にお話させてもらってるけど、十三審議会と言えば魔女の世界の立法・行政・司法を一手に担う最高機関。そこの委員さん二人とこんな風に話す機会なんて、この先そうはないと思う。このチャンスを逃してなるものか!ってことですね。ママとパパには「ようやくマリアの魔女魂に火がついた」なんて笑われたけど。
「ごちそうさまでした。さて、そろそろお暇しようかしら」
何度目かのジルケさんとロザリンドさんの漫才(?)がひと段落したところで、私とお揃いの懐中時計を取り出してママが言った。
「あら、もう行くの?」
「そうだよ、もうちょっとゆっくりしていけばいいじゃない!」
ジルケさんとロザリンドさんはこう言って引き留めようとしてくれた。でも、こっちに来てから、たぶん三時間くらい。名残惜しいけど、いつまでもお邪魔するわけにもいかないしね。
と、思っていたら、ママにはどうやら他にも理由があるらしい。
「ありがとう。でもそろそろ行かないとうちの愚弟に嗅ぎつけられるわ」
愚弟……? ってことは私の叔父さんか。ママに弟がいるのは知ってたけど、そういえば会ったことないな。ずっと海外にいるって聞いてたし。
「あー、なるほど、愚弟ね。マリアを会わせなくていいの?」
「ええ。それはマリアがもう少しこちらに慣れてからにするわ。あの馬鹿、暴走しそうだし」
「あはは、そうだね!それは一理あるね!」
叔父さん、うちのママに「暴走」と言わせるなんて只者じゃないよ!いつか会う日が来るのが、楽しみなような、ちょっと怖いような。
「というわけでアロイス、マリアの帽子とマントは?」
「あるよ。さ、マリア、これを」
「じゃ、送る場所は南の橋でいいかな? ジルケ、用意はいい?」
「もちろん、いつでもいいわよ」
いかにも魔女らしい三角帽子とマントをパパに着せてもらうと、すでにあの大きな鏡は怪しげな光を放ち始めていた。
叔父さんの話が出てから、妙にサクサクと事態が進行していくなぁ。
「それじゃあジルケ、ロザリンド、どうもありがとう。他の皆様にもよろしく。うちの愚弟に釘を刺しておいてもらえると助かるわ」
「僕からも、よろしくお伝え願うよ」
「ええ、わかったわ。レイラとアロイスは、また一週間後ね。宵闇の魔女マリア、貴女が善き魔女として大きく成長することを願います」
「マリア、がんばるんだよ! 元気でね!」
ジルケさんとロザリンドさんが、握手をしてくれる。短い時間だったけど、パパとママ以外で最初に会った魔女がこのお二人で本当によかった。いつかまた、会えるといいな。
「ありがとうございます。境界の魔女ジルケ、鏡の魔女ロザリンド、お二人もどうかお元気で」
最後の挨拶をすると、ジルケさんが手に持った杖を大きく振り上げた。
「じゃあいくわよ。三人とも、行ってらっしゃい」