私、魔女になります!
「わたしね、まじょになりたい!」
小さい頃、将来の夢を訊かれたら必ずこう答えていた。
黒い三角帽子にひらめくローブ、空飛ぶ箒に可愛い使い魔、魔法の杖。女の子なら誰でも一度は憧れるよね。
だから先生や周りの大人達も魔女になりたいと言う私を微笑ましく見ていたけれど、違うんです、私は「本当に」魔女になりたかった……いや、口に出しては言わないだけで、実は今でもなりたい。
「マリアー、マリア! あら、またそれ読んでたの。あと三十分で出るわよ、支度出来てるの?」
「もーママ、勝手に開けないでっていつも言ってるでしょ!支度ならできてるから、あとちょっとだけ」
つい先日中学校を卒業した私、暁マリアが未だに魔女になりたいなどと言っている主な原因は、今まさに私が夢中になってめくっているこの本にある。
その名も『アヴァロン魔術学校通信過程教本〜魔女になるために〜』。全十三巻の分厚いシリーズ本だ。七歳の誕生日プレゼントとしてもらったこの本は、とても子供向けとは思えない内容に美麗な挿絵や図解、これぞ魔女の本!って感じの重厚な装丁、とこれが本当に魔術学校の教科書だとしても信じてしまう出来なのだ。
そしてもう一つ、日本語で書かれていないこともポイントが高い。なんでもこの本をくれた母方のおばあちゃんがヨーロッパの山奥に住む少数民族(?)だとかでその言語で書かれているのだ。自分のルーツに関することを少しでも知って欲しいってことだったんだろうなー、と今ならわかるけど、「魔女の使う言葉で書かれているのよ」とママに言われた幼い私がすっかり信じてしまったのも、10歳の時にタネ明かしをされて大泣きしたのも仕方がないと思う。本当のことが分かった後、実はこれをくれたおばあちゃんは魔女の末裔なのでは? とか妄想して気を取り直したのは秘密です。
そんなわけで、ママから読み方を教わって、私は学校の教科書を読むよりずっと熱心にこの本を読んで育った。定番の呪文や魔法陣はもちろんのこと、魔女の伝説や歴史を記した巻は読み物としても面白くて、個性豊かな魔女たちの活躍は何度読み返しても胸が躍る。
ちなみに私の一番のお気に入りは、千年前の大戦で小国アヴァロンを滅亡の危機から救った四人の英雄、いわゆる「大戦の魔女」の中心人物でありながら断頭台の露と消えた悲劇の魔女、「暁の魔女フレデリカ」。
自分の苗字が「暁」なのもあるけど、「聖剣の魔女」「進撃の魔女」「殲滅の魔女」と様々な二つ名で呼ばれた最強の魔女が、なぜああもあっさりと断頭台で処刑されてしまったのか、というミステリーに心惹かれるんだよね〜! フレデリカは「運命の魔女」とも呼ばれていたらしいから、その能力を使って処刑される誰かの運命を肩代わりしたのでは、なんて説もあるみたいだけど……っていうのは置いといて。
とにかく、勉強だと思うと全然覚えられる気がしないのに趣味のことならいくらでも頭に入る、なんていうのはよくある話で。おかげで、今ではシリーズ十三巻丸々、端から端まで頭に入っている自信がある。まあ、残念ながら現実にはなんの役にも立たないのが悲しいところだけれど。
「マーリーアー! そろそろ降りて来なさーい!」
「はーい、今行くー!」
まずい、夢中になりすぎて時間見てなかった。
慌ててこの前の誕生日にもらった銀の懐中時計で時間を確認すると、午前十一時五十五分。出発まであと五分だ。
暇つぶしに読もうとダンボールに入れないでおいたシリーズ最終巻「呪文・魔方陣編」を鞄にしまい、最後に空っぽになった自分の部屋を振り返って気合いを入れる。
「よし。行こう」
私はこれからパパとママと一緒に例のヨーロッパの山奥(フランスとドイツの境にあるらしい)に住む少数民族の町に向かい、実は物心ついてから初めて会うおばあちゃんちに居候させてもらって、そのまま九月から近くの高校に進学する予定なのだ。
不安がないと言ったら嘘になるけど、ママのおかげで言葉は一応わかるはずだし、何よりあの本が書かれた場所で暮らすことは「魔女になりたい」という現実には叶えられない夢を少しだけ見させてくれるような気がする。
「魔女にならない?」といたずらっぽく提案してきたママの言葉に後先考えずイエスと即答してしまったのは、私の中の魔女の血が騒いだから、ということにしておこう。
階段を降りると、おーそーいー!と待ちくたびれた様子でママが大きな革のトランクに寄りかかっていた。夕陽に照らされたような長い金髪、シミや皺のない白い肌、我が母ながらとても四十一歳には見えない。最近よく聞く美魔女じゃないけど、魔女とはママのことじゃないだろうかと時々思う。
「マリア、忘れ物はない?」
「うん、大丈夫」
「アロイスー!そっちは準備できてるー?」
ママがパパの書斎のある廊下の奥に向かって声をかけると、すぐにいいよー、と返事が返ってきた。
「よし、じゃあ行きましょうか」
よーし、お気に入りの靴を履いて新たな一歩を……と思っていたらママは玄関に向かわず、トランクを持って返事のわりに出てくる気配のないパパの書斎へと歩いていく。
「えっパパ呼びに行くの?荷物置いてったら?」
「うふふ、まあいいからマリアも荷物持っていらっしゃい」
まだ何か入れるものでもあるんだろうか。トランクも鞄ももうパンパンなんだけどな。
そんなことを考えながらわけもわからずついて行くと、書斎の中には見覚えのない大きな鏡が置かれていた。この書斎に入ったこと自体数年ぶりだけど……こんな鏡なかったよね?
「レイラ、あと三分だそうだ。荷物は先に送ってあるし、丁度いいだろ?」
「ええ」
あと三分? タクシーでも呼んだのかな。駅まではすぐだけど、まあトランクもあるしね。でも、それなら玄関で待ってればいいのに……。
困惑する私をよそに、パパとママはトランクを開けて荷物を入れるでもなく鏡の前で何かコソコソと話している。
なんだろう。なんだかわからないけど胸がどきどきする。
そして振り返ったママは、とてもいい笑顔で思いもよらない言葉を口にした。
「さて。マリア、覚悟はいい?」
「覚悟?」
「そう。魔女になる覚悟よ」
突然の問いに、頷いたかどうかは憶えていない。
ただ、謎の大きな鏡が放った白い光の強さに、私は思わず目を覆った。
「ん……ん?」
ようやく目を開け、まず見えたのは白い石造りの床、壁、それに若返ったパパとママって……えええ!?
「パパ!! ママ!? ど、どういうこと!!??」
元々年齢不詳っぽかったママも、ママほどではないにしろかなり若く見えていたパパも、さらに若返って今はどう見ても二十代後半だ。
おまけに、パパの柔らかい茶色の髪はそのままだけど、ママの髪の色は、生え際から毛先にかけて夕暮時の空の色を思わせる見事なグラデーションとなっている。
「うふふふふ、ドッキリ成功! ね、アロイス!」
「うん、まあ、ドッキリってレベルじゃないと思うけどね、レイラ……」
ドッキリ??? ママが悪戯好きなのはよーく知ってるけど、これから旅立つっていうこの時に?
いやでも、パパとママの若さは本物に見えるし、ドッキリってどういうこと??
「なに、二人とも説明してなかったの? 可哀想じゃないのよまったく」
呆然とする中後ろからした声に驚いて振り向くと、壁一面の巨大な鏡の前に、大人の色気を漂わせたグラマラスなおねえさん(だと思う)が立っていた。
可哀想といいつつも、肩に乗ったカラスの頭を撫でながら面白いものを見る目でこちらを見ている。
腰まで伸びた紫苑色の髪と同じ色の瞳、黒い三角帽子にローブにブーツ。見た目から言わせてもらえば……どう見ても魔女だ。そう、それはまるでーーー
「うふふふふ。マリア、察しがついたみたいね。彼女が誰だか、わかるでしょ?」
鏡と魔女。その組み合わせには覚えがあった。『アヴァロン魔術学校通信過程教本〜魔女になるために〜』第二巻、「十三審議会」の項に記されたその名前は。
「……十三審議会委員第六。境界の魔女」
あり得ないと思いつつも自然と口から漏れた私の言葉の聞くと、紫苑色の彼女は満足そうに微笑んで言った。
「境界の魔女ジルケよ。ようこそ、魔女の都アヴァロンへ」
暁マリア十五歳。今日から私、魔女になるみたいです。