第三章、2
選挙は、私がこの町に来て五ヶ月目の中頃に行われた。
直前までは、お祭り騒ぎだった。
自治会では、最後までもめた結果、ローランド氏を応援することに決めた。最後は単純な多数決となった。本人たちの知らぬ間に、僅差でローランド氏がヤマモト氏を下した。
選挙の投票前日は、町中が飾り付けをしたように賑やかになった。
その実、公式の選挙ポスターと、さまざまな団体がそれぞれの支持候補を訴える独自ポスターを町中に張り付けたものだった。
自治会とは別に、商店会や労働組合、あるいは教会までもが、選挙、選挙だった。
ありとあらゆる人が、自らの政治信条をむき出しにして争っていた。
きっとそうでない人もたくさんいるのだろうが、見える人々は、その頭上に常に候補の一人の名前やカラーを掲げているようだった。
ぼうっと歩いていると、何度も声をかけられた。投票先は決まっているか、とお決まりの質問と、ええ、とか、まあ、というぼかした返事が、投票前日に職場まで行き来しただけで十二回繰り返された。
私にとってはすべて初めての経験だった。ただ、最後の投票に参加できないということを除いて。
そして、投票日は、突然の静寂が町を襲った。
投票所に向かう人がぽつりぽつりと見えるだけ。
誰も何もしゃべらない。
時折顔見知り同士で交わされる会話も、投票に? ええ、今、そんな会話で、なぜか、誰に投票したか、といった話題に触れられない。前日までのお祭り騒ぎを思うと、実に不思議なものだった。
投票所でどんなことが行われているのか、結局私は分からなかった。
電子投票なら自宅でも良いだろうに、と思ったが、昔アーカイブで見た、紙に穴を開けたりペンで記名するという古臭い方式を取っているのかもしれなかった。
投票が締め切られ、それでも町は静かだった。
私は誘われて自治会の集会所にいた。頻繁に顔を出すのはたぶんこれが最後だろうと思う。
集会所の壁にかかったディスプレイには、選挙情報のリアルタイム放送が映り、集まった人々は神妙な面持ちでそれを取り囲んでいた。
***
開票率の数字が0%から1%に変わったとき、早くも候補者の名前と、『当選』の文字が表示された。
おかしいではないか、と隣にいたケビンに話しかけると、そういうものだという。
事前の調査結果と、開票の最初の動向からコンピュータが各候補の当選確率を計算し、一定以上の当選確率になった者は速報番組で当選として発表されるのだという。
結局ここでも決めるのはコンピュータなのか。ポリティクスが支配する投票システムと、根本のところでは同じようなものではないか。
もしそのコンピュータが作為的に操作されて投票結果が偽られたとしても、誰もそれを見抜くことは出来ない。ポリティクスが、誰にも観測できない量子状態を元に全有権者の投票行動を勝手に決めているのと同じに。
間もなく、自治会が最後に応援候補から外したヤマモト氏の当選が伝えられた。会場はざわめくが、あと数席の議席が残っている。
しかし無情にも議席は埋まっていき、最後の一席をまったく気にかけていなかったエドワード氏が取り、ローランド氏の落選が決まったときに、会場はおかしな雰囲気になっていた。
「残念だったな」
と、パトリックが言ったのが最初だった。
「残念だ? おい、なんだその他人事の物言いは。そういえばお前はヤマモト応援だったな、まさかヤマモトに」
ロベルトがくってかかった。
「馬鹿を言うな、俺だって自治会の決まりごとは守る」
「どうだか。最後まで譲らなかったじゃないか」
「まあ待てよ、結果は結果だ。誰が誰に投票したなんてもういいじゃないか」
ケビンが二人の間に割って入り、掴み合いにもなろうかという二人の距離を引き離す。
しかしロベルトは、そのケビンに矛先を変えた。
「おい、あんたもヤマモト支持だったな、そうやって負け犬の俺を笑おうってんだな?」
「落ち着けよ、そんなつもりはないさ」
「だがローランドは負けた! 誰かが裏切ってヤマモトに投票したんだ!」
気がつくと他のところでも、あちらこちらで同じようないさかいと口論が始まっている。
誰かが、祝勝会のために準備された料理に備え付けの胡椒の瓶を投げた。
割れはしなかったが、壁に当たって大きな音を立てる。
それに刺激された誰かが、何をするんだ! と大声で怒鳴り、投げた主に掴みかかろうとする。
それを押しとどめようとした誰かが、さらに誰かに組み付かれ、それを中心として何十本もの手足が入り乱れる乱闘になった。
私はそれを外から眺めていたわけではない。後ろから組み伏せられ、それをなんとか払いのけようと体をひねり、背を下にして仰向けになったところに、誰かのひざが落ちてきた。腹部を強打して息が詰まり、悶絶する。
その間も乱闘騒ぎは拡大の一途をたどり、集会所に集まったすべての人が誰かを攻撃しているか誰かに攻撃されているかのどちらかに二分された。
何度も手痛い殴打を受けながら、私は這い回って、集会所の出口から外に逃れた。
同じように逃げ出した何人かが、集会所に続く階段から転がるように降りてきて、舗装された道路に横たわる。
全身が痛む。
すぐに逃げ帰ろうと思ったが、周りに倣って、私も通りに大の字に寝転がり、痛みの和らぐのを待つことにした。
空気が澄んでいる。
さわやかな風が駆け抜けていく。
すぐ脇の醜い争いの騒音は静かな町と空に吸い込まれていく。
空には何万という星が見える。
あのうちのどこかに、惑星アルカスがある。
こんなつまらぬ喧嘩の起こらぬ平和な共和国。
私の故郷、くつろげる居場所は、やはり――。