第二章、3
私はこれを亡命と呼んだが、おそらく、正確な意味で亡命と定義される行為とはまた違うだろう。
自らの権利を高らかに宣言しながら国外に助けを求めたのではない。
こそこそと渡航することを亡命とは言わない。せいぜい、逃亡と言うところだ。
私は、やはり何度か躊躇しながらも、三日目には決断し、持ちうる限りの身の回り品を旅行かばんに詰め込み、家を出た。
いつものようにターミナル駅まで行き、そこから、第一市行きの超長距離列車に乗る。旅程は惑星三分の一周、八時間に及ぶ。
第一市のターミナル駅に備え付けられた簡易ホテルに一泊し、翌朝一番の宇宙港行きの列車に乗る。宇宙港へは一時間と少しだ。
列車が広大な着陸場に差し掛かると、故郷を捨てることへの自己憐憫的な感情が再び湧き起こってくるが、あらゆるものを捨てることこそ、私の望むところなのだ。
見渡す限りの着陸場には何十機というシャトルがひしめき、発射場へ向かうレールには長い行列が出来ている。そんなシャトルがいくつか横付けてしている宇宙港ターミナルに列車は滑り込んだ。
列車を降り、長い自走階段を上ったところが出発ロビーだった。
ロビーの掲示板には、あらゆる方向へ向けた出発便の情報が表示されていて、チケットを持っていない私は、その中から空席のある便を一つ選ぶのである。
外惑星の事情に疎い私にとって、おそらくどの惑星を選んでも同じだろう。だから、もっとも簡易な方法をとった。掲示板の一番上、つまり、もっとも早い便に空席マークがあることを認め、行き先をそこと決めた。
カウンターで、再度表示板を確認し、係の者に、惑星リュシディケ行きを一枚用意するようオーダーした。すぐにそれは聞き届けられ、私のIDにはチケット情報が追加されると同時に、九千八百クレジット減った余力情報が上書きされた。
搭乗開始まで十五分の猶予があったので、私は情報端末を開いて惑星リュシディケの情報を検索した。
タウ・シータイと呼ばれる主星を周回する惑星。重力は地球の1.5倍、大気圧は同1.3倍。高温乾燥。最も古い移民惑星の一つ。人口三千五百万強の単一国家惑星。国家名称はリュシディケ共和国。系外惑星共和国連合に所属。
私の人生とは一点の交点も無かった惑星と国だ。だからこそ、私の行く先としてふさわしいだろう。
ここからの距離は分からないが、エコノミークラスで九千八百クレジットという高額なチケット代金は、相当な距離があることを物語っている。
より詳しい情報を調べようとしたところで、搭乗の呼び出しアナウンスが聞こえた。情報はここまででかえって良かっただろう。半端な事前情報を持って乗り込むよりは、まったく知らないところに投げ出されるほうが望ましい。
生まれて初めて宇宙港のゲートをくぐり、生まれて初めて軌道シャトルに乗った。
締め切り時刻を過ぎて搭乗ゲートが閉じると、シャトルはハンガーを離れて発射場へのレールに乗った。
発射を待つ行列の最後方に位置取り、列が進むにあわせて、一歩ずつシャトルは進んでいく。
おおよそ三十分ほど待ったところで、ようやく先頭に立ち、そして次に目の前の大空洞が口を開けたときにシャトルはその中に滑り込んだ。
最下層に着き、数分の作業の後にカウントダウンが始まり、それから全身を座席に押し付けられるような加速。そして数瞬後、船内は無重力になった。
はるか高軌道上の星間移送基地に到着するまで、そこから六時間ほどを要した。シャトルが基地に到着すると、乗客はすぐに追い出され、星間船への乗換えを指示された。
星間船では、シャトル発射を数倍のスケールにした発射シーケンスが繰り返され、隣の星系に到着していた。しかし、これは最終的に二十二回繰り返されるジャンプのほんの一回目に過ぎなかった。次のジャンプのために星間移送基地に向かうのに、おおよそ五時間がかかった。それから、二回目のジャンプ。
ちょうど十回目のジャンプが終わり、到着した基地で、星間船を乗り換えとなった。アルカスを出発して一週間が経っていた。
最終ジャンプまでにさらにもう一回の乗り換えを強いられ、出発から十六日目に、目的の星系にたどり着いた。
船外モニターに、緑と茶色のまだら模様に見える惑星リュシディケが見えてきた。
***
着陸場から最初にたどり着いた所は、惑星リュシディケでも大きな町のようだが、アルカスの第七市と比べてもまったく及ばないような小さな町だった。
市内を歩き回り、適当な不動産屋に入って、すぐに借りられる安い部屋を探してもらった。幸い、地下鉄で小一時間ほどの距離にあるさらに小さな町に空き家があり、賃料も月に七十八クレジットと格安だったので、即決した。
家主とオンラインで契約書を交わし、どのような田舎町なのかも分からないので大量の食料品と必需品と一台のカートを購入し、その町に向かう列車に乗った。
着いた町は、呼び慣れた序数名ではなく、『ラッセン』という人名だかなんだかよく分からない名前がついていた。
駅は地上にあり、着いたときには柔らかい日差しがホームを照らしていた。
駅を出ると、商店の立ち並ぶ通りが横切っていて、数百メートルも歩くと商店の並びも途切れた。すぐにわき道がいくつか現れ、そのうちの一つを不動産への案内図を頼りに曲がる。道はまっすぐな都会的な道から徐々に地形に合わせて左右にうねる道に変わり、最初はひしめき合うように建っていた民家もその間隔が開いていった。
目的地は二十分歩いた小さな丘のふもとにあった。
スコップや芝刈り機がうち捨てられてさび付き、足首まで積もった枯れ草の間から腰よりも高い位置まで長い草がぼうぼうに伸びた、広い庭と、あちこち塗装が剥げ落ちた壁の、木造の二階建ての家が、私の新しい家だった。
枯れ草と瓦礫をかき分けて家に入った私の最初の仕事は、まず一部屋をきれいにすることだった。水道局を呼びすぐに水道を開通させ、買っておいたいくつかの掃除用具で一部屋を処理した。壁にかかっていた真っ黒になってしまった絵画は捨て、ばねが飛び出していたソファの残骸は庭に放り出した。三脚の椅子と丸テーブルは、磨いてみれば使えそうなのでそのままにした。壁をはたき床を磨き、なんとかその一室だけは寝泊りできる環境になった。
ここまでで午後いっぱいを使ってしまったかと思ったが、まだ日は出ている。惑星時間は標準時より少し長いらしい。
そこで、近所の商店をめぐり、マットレスと毛布を一セット購入して、今晩の寝床とした。
常温レトルトの食品を惑星リュシディケでの最初の晩餐とし、後のことを翌日以降に回した。
***
丸三日間を家の掃除に費やし、何度も生活用品店に通ううちに、商店の店主とも顔見知りになった。
ようやく家の掃除がひと段落し、次に庭の整理に手をつけることにした。
庭を掃除していると、通りを行く人に何度か声をかけられた。
私が、最近越してきたと言うと、彼らは愛想よく歓迎の言葉を口にした。
そのうちの一人は、地元の自治会にも顔を出してみると良い、と言って、二週間後の日付を私に伝えていった。
庭の掃除は困難を極めたが、私を自治会に誘った男、ケビン・マクラーレンが時折来て、手伝ってくれるようになった。
庭掃除を始めて七日目、その日も午後遅くに自分の仕事を終えたケビンが訪ねてきた。
彼は当然のように自宅から持ってきた大きなフォークを使い、荒れ放題の庭の整理を手伝い始めた。
「それで、聞いていいのかね、どんなわけでこんな田舎町に」
あまり雑談も無く黙々と作業しているだけの彼が、ようやく私に質問をした。
「アルカスという遠くの星にいたんです。いろいろと面倒になりましてね、思い切って引っ越したんですよ」
私が答えると、ケビンは、ほう、と大きな反応を見せた。
「他の星から! そいつは驚きだ。家族もいないのかね」
「ええ。両親は早くに事故で。おかげでたっぷりの保険金でこんな引退生活を楽しめていますがね」
「だが、若いのにもったいないな。まだ、いろいろとやれることがあるだろう?」
私があの星で出来ることは、あのポリティクスに私のもつ二億二千万票ぶんの情報を提供することだけなのだ。その見返りは、二億二千万分の一の価値しかない、政策への一票。
「ここで見つけますよ」
私は多分疲れたような笑いを浮かべていただろう。
ケビンは手を止めて、そんな私をじっと見ている。
「あんたがこの星のこの町を選んだことが正解だったかどうか、俺にはなんとも言えんがね、俺は、この小さな町が賑やかになってうれしいのだよ。ぜひ、あんたのすることがここで見つかってほしいね」
彼にかけられた暖かい言葉に、私は少し感情を揺さぶられる気分だった。私にこんな言葉を投げてくれる人が過去にいただろうか。
私は、この星で一生を終えても良いかもしれない。
「ありがとう、当分お世話になります」
私の気持ちを映す言葉は、たったこれだけだったが、ケビンは大きくうなずき、それから、また庭掃除の作業に戻った。
ここですべきことを見つけよう。
あの、無常な機械の支配する世界とは、永遠にお別れだ。