表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ポリティクス  作者: 月立淳水
第一章
3/12

第一章、3

 翌日、私は用もないのに事務所を休んだ。

 あれから私はもう一度ポリティクスと会話した。

 私は、私を観測対象から外すよう要望した。


 回答は明確で、拒否だった。

 それは、有権者の量子状態の重ね合わせを観測できる対象が私しか見つからないからだという。

 この重ね合わせが観測可能な条件がそろうことはきわめて貴重な機会で、少なくとも、私以外の誰かにそれが起こるまでは私が対象から外れることはないだろうと言うし、もしその前に私が対象から外れれば、政治は何か月も停滞し、共和国は混乱に見舞われるだろうとポリティクスは言った。


 私は二つの鬱屈した感情を抱くことになった。

 一つは、いつどこにいても、ポリティクスに観察されているという被害意識。

 私の生活のすべてはポリティクスの興味の対象なのだ。


 私の生活のすべてが、この国の行く末を決める試金石にすぎないのだ。

 そしてもう一つは、自身のアイデンティティへの疑義だった。

 この私は、二億二千万の国民の重ねあわせでできている。


 そんなものが、自由で独立した個人と言えるだろうか。

 私のこの意思と感情は、しょせん二億二千万の人間の集合から生じた幻影にすぎないのだ。

 いまさら量子論を勉強してみようとも思わなかった。もしかすると、量子的な重ねあわせの存在とは、量子的な確率の重ね合わせで偶然に生じた幻そのものかもしれない。もし専門書にそう書いてあったら。私は耐えられない。


 しかしもしそうだというのなら、私自身がそれに幕を引いてもよかろう。

 単に自らの命を絶つと言うなら難しい話ではない。

 だが、私の生存本能はそれを許さなかった。


 次に、私自身が、その貴重で不安定な状況を崩すことができるのではないか、と言う考えに取りつかれた。

 そして今日、用もないのに事務所を休むという、普段の私からは考えられない行動をとることにしたのである。

 明日も明後日も休むつもりだし、その先の週末が明けても休み続けているかもしれない。騒然とする事務所が目に浮かぶが、構うものか。


 昼前に、ぶらぶらと出かけた。

 宝飾店に向かった。

 貴金属や鉱物で体を飾るなどということは、光るものに食いつく川魚と同程度の馬鹿者のすることだ。


 普段からそう言ってはばからない私が、その店で、流行のデザインのブレスレットと指輪を買った。入念にサイズも測った。同じブランドの帽子とベルトも勧められたので、二つ返事で購入した。クレジット余力は無意味に三百ほど減った。

 それから、それらを身に着けて古い知人に連絡を取った。

 特に用はないが会えないかと聞くと、夕食なら付き合おうと彼は言った。


 彼との夕食には、雑誌でおすすめとされていた中心街のレストランを選んだ。

 料理はほどほどに美味かった。少なくとも、良くできた冷凍食品と同程度には。

 実につまらない一日だった。


 翌日、日も昇らぬうちに起きだし、地下鉄に乗って、ターミナル駅に向かった。

 そこで、即日の観光ツアーを申し込んだ。

 第六市を越え第二十七ルーラルにある、二百年前のテラフォーミングの時に大量の雨水で出来た渓谷と、ただ惑星に酸素を供給する役割だけしか果たさない広大な森林の中を何が面白いのかただ自分の足で歩き抜けるだけのアクティビティ。


 午前中に歩き始め、途中で川の水のしぶきを浴び、木から滴る露に濡れ、午後遅くに終わってみると全身がぐっしょりとなっただけだった。

 ツアーバスに備え付けの瞬間乾燥機で服ごと全身を乾かし、疲れにうたた寝をしながら最寄りのターミナルに着いたのは、もうすっかり日が落ちてからだった。こんなに無駄な一日を過ごしたのは初めてだったかもしれない。


 そして、さらに二日を、無駄に過ごした。


***


「どうだね、私の量子状態に問題はあるかね」


「いいえ、あなたの量子状態は良好です」


 ポリティクスは乾いた声で応えた。


「私自身の行動はその量子状態とやらのおかげだろう?君からその事実を聞き、それがために私は普段絶対にとらない行動をとった。少し専門の用語でいえば、系の外からの干渉だ。なぜそれが私の量子状態に悪影響を与えないと言えるのかね」


 私はポリティクスを問い詰める。


「お答えします。あなたの量子状態そのものは、あなたの意思決定の前提条件にすぎません。あなたがどのような意思決定を行ったとしても、前提条件である量子状態が揺らぐことはありません」


 彼の答える声は、先ほどよりもさらに乾いて聞こえた。

 私の意志そのものが量子状態に操られている、と言いたいのだろうか。つまり、私の自由意思など存在しないのか。


「……質問を変えよう。私に自由意思はあるのか?」


「お答えします。あなたに自由意思はあります」


「しかし、私の自由意思の前提条件には、全有権者の量子状態の重ね合わせがある」


「はい、その通りです。あなたの量子状態は常に他の量子状態の干渉を受け、それはいかなる個人も同様です。これは、量子状態を決定するための波動関数が境界超平面を越えて拡がっていることに起因し、あなたの存在と意思決定は常にフィリップ型干渉の影響下にあるということができます。一方、全有権者のすべての境界条件の積集合的条件のもと波動関数が偶発的に収束するエンダー氏条件の要件を十分に満たしていることがあなたの特異性です」


 途端にちんぷんかんぷんの答えだ。これでどうしろと言うのか。もっと簡単な質問に変えるべきだろう。


「たとえば、簡単に言うと、その干渉条件のもとにあると、どのような意思決定を行うものなのか?」


 どんな行動をとるのかが分かれば、その反対を行えばよいだろう。


「お答えします。通常のフィリップ型干渉の影響下にある場合はあらゆる意思決定を行い得ます。しかし、エンダー氏条件を満たした特異点におけるフィリップ型干渉の影響下にある人物に関しては、過去の統計によれば、比較的保守的で、受容性が高く、また権威、制度、社会に従順な決定行動をとる傾向があるようです」


 次の私の行動はほぼ決まった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ