第一章、1
■第一章
このような仕事をしていると、見当違いの珍客が舞い込むのは日常茶飯事だ。
特許事務所というものは、発明品の鑑定を行うところではない。
にもかかわらず、今日もまた、発明品らしき妙な箱を持ち込んだ客が面会を求めている。
そして運悪く、この私が応対に出ざるを得ない状況なのであった。
応接室の戸を押し開けると、来客は長椅子に座っている。彼の前には、灰色の縦横高さ二十センチメートルほどの箱が置いてある。何本か線が出ていて、箱の周囲にぐるぐると巻いてある。
私の顔を見ると、来客は起立もせず軽く頭を下げただけだった。なんとも無作法な客だが、個人で発明家なんぞと名乗る輩は大体似たようなものだ。
だから逆に、私はことさら腰を低く丁寧に、
「こんにちは、ノーラ特許事務所、出願事務担当、ランス・アルバレスです」
と自己紹介した。
「ああ、私はダニール・ジェンマ。ちょっと見てほしい」
私が差し出した手をまったく無視して彼はいきなり応接テーブルの上の灰色の箱に手を伸ばした。
「その前に、本日のご用件は?」
恭しく尋ねると、
「発明に決まっているだろう、ここは特許事務所じゃないのかね?」
と憤然たる面持ちで私をどやしつける。
本来特許事務所とは、発明の発明たる理由を発明者が確信した後、面倒な書類作成を請け負うものだ。もちろん、この事務所ではオプション料金で前例調査、類似技術調査も請け負うが、ともかくこのダニールという男にはそういう常識というものはなさそうだ。
だから私は、ともかくも彼の発明とやらを体験してみることにした。書類の処理にも飽きていたから、ちょうどいい気分転換になるだろう。
「では拝見いたしましょう。それは一体何ですか」
私が聞くと彼はとたんに笑みを浮かべた。
「この世界にあるどんなコンピュータとも会話できる装置だ。どんなものでもな」
そういいながら彼はコードを解き、一本を示して電源を貸せと言い、私の返答も聞かぬうちに床にあったコンセントにプラグを差し込んでまた長椅子に戻ってきた。
「さあ、何でも言いたまえ。君の会話したいコンピュータを。どんなコンピュータでも一瞬で会話が可能になる」
彼は自分の携帯情報端末を最後にケーブルでつなぎながらそう言ったが、生憎と、私には知り合いのコンピュータなどない。事務所のいくつかのコンピュータは経費削減で会話インターフェースの無いタイプだから、たとえつながっても楽しい会話にはならないだろう。
さて、そうして世に数多あるコンピュータから何か一つを選べと言われても困ったものだ。
しかし、そこで一つ思い出した。『ポリティクス』だ。
アルカス共和国の政治一切を司る、政策システム。一般のコンピュータとは異なる概念で作られていて、この国の二億二千万の国民を含むありとあらゆる事象を計算に取り込み、在るべき法と取るべき政策を指し示す巨人。
なおかつ、そのインターフェースのすべてをすべての国民に開いたコンピュータなのであるから、この際、実験対象として選ぶのには最適だろう。
「では、ポリティクスを」
私が言うと、
「お安い御用」
ダニールは応えて、箱につないだ情報端末をなにやらいじくった。
すると間もなく、応答がある。
「こんにちは、私は、アルカス共和国政策システム、ポリティクスです。ご用件をどうぞ」
男性とも女性ともつかぬ声が、ダニールの情報端末から響いてくる。
「失礼ですが、そちらの端末から声が聞こえてくるようですが」
「ふむ、その通り。この装置にはまだ入出力インターフェースを取り付けていないのでな。だが、ポリティクスと会話をしているのは間違いなくこの発明品なのだ」
彼はそういいながら、ぽんぽんと灰色の箱を叩いた。
「おい、ポリティクス、君の現在のこの接続ルートを説明したまえ」
「かしこまりました。私自身の筐体からは、複数の結節を通って共和国政策システムネットワークに接続されています。そこから汎惑星統合ネットワークを経て、AOCL株式会社の無線通信基盤ネットワークを通り、無線基地局1013351号の6番セグメントを通して、INID、A156F60E36C01000001の端末に、私のデータパケットが送信されております」
「どうだい」
何が『どうだい』なのか私にはさっぱり分からない。
私がよほど呆けた顔をしていたのだろう、ダニールはまたも顔を怒らせ、
「あれを聞いて分からんのかね、君は。INIDの先頭がAだっただろう、あれは、実験局用記号だよ、商業用は先頭文字が0から9なのだ。つまり、この私のユニバーサルプロトコルエクイップメントの実験局記号だ。ポリティクスは私のこの装置と直接会話をしておるのだ」
初めて聞くルールではあるが、彼がそう主張するのなら、おそらくその通りなのだろう。
「それで、この装置でどのような特許をお考えで?」
「馬鹿者、そのものが新発明だろうが、え? 特許になるだろう」
彼はどうにも特許というものを何か違うものと勘違いしているのかもしれない。そこで私は自分の情報端末を取り出す。
「いいですか、ジェンマさん。ただこういう動きができると言うものであっても、世に同じものがあれば特許にはならないのです。たとえば」
私は言いながら端末を操作し、ポリティクスへの接続を指示した。
「こんにちは、私は、アルカス共和国政策システム、ポリティクスです。ご用件をどうぞ」
再び、同じポリティクスの声が、今度は私の端末から響いてくる。
「私は簡単な操作であなたが行ったことと同じことを実現しました。あなたが行ったことの新規性を、ぜひ書類にて説明いただけないと、私はその箱が特許となりうる技術を含んでいるのか判断ができないのです」
できるだけ優しく説明したつもりだったが、ダニールは見る見るうちに顔を真っ赤にして立ち上がった。
「この発明の意味が分からんとは貴様はとんでもないトンマ……貴様のような愚鈍なクズが特許事務所なんぞをやっておるから、この私の偉大な発明が世に出ることもないのだ! ふざけおって!」
言ってから、やおら灰色の箱を掴み上げると、床にたたきつけた。プシュンという小さな音がして一掴みほどの煙が上がり、空中に消える。火が出ると困るな、などと考えながらそれをぼんやりと眺める。
「どこに行ってもそうだ! この意味が分かる人間がおらん! 貴様のような低俗な人間が技術の革新を……! もうよい!」
勝手にわめき散らしたかと思うと、床のごみクズを拾って、ダニールは床を踏み鳴らしながら応接室を出て行った。
おそらく彼が努力すべきは、その癇癪の治療なのだろうな、と思ったが、最後までそれを指摘する機会は得られなかった。あの態度では、仮に本当にすばらしい発明だとして、どこの企業に売り込んでも門前払いだろう。