【とある昼下がりの少年・執事】
『Grand Road SS』
『とある昼下がりの少年・執事』
「坊っちゃん、生まれ変わってもワタクシは、坊っちゃんの執事になりたいですよ!」
長身銀髪赤目の執事は、執務室で向かい合う、全身を青い鋲付きジーンズとバンダナに包まれた背の低い主人に向かって詰め寄っていた。両手を顔の前で握り、いつもの緑がかった黒目が赤く光っている。彼は本気だ。
太陽が真上に近づき、午前の陽射しも終わりに向かい移り始める。もうすぐ時間だ。間に合うように屋敷をでなければならない。例によって定例の、今月のシェスカの街の合同会議が始まろうとしている、そんな、いつもの通りの晴れたひととき。
「あ?……いきなり何だ。というか暑い、いいからもう少し離れてろ! おれのすぐ横に立つんじゃねェ!」
いきなり真剣に詰め寄る執事に面食らいながらも、あまりの背の高さの違いに、主人である少年の容赦ない蹴りが机越しに見舞われた。 乗り出していた執事の鼻に綺麗に決まる。
「ぐぇ」
「……悪ィ」
無意識だった。この執事に対して条件反射で足が出るようになってしまった件について、カルロスはいつかじっくり話し合わねばなるまいと誓っていた。いまの謝罪の口調も無意識だ。こちらから正式に謝る気は毛頭ない。
あれから一年と少しが過ぎた。カルロスの当主代行としての仕事ぶりも、それなりに板についてきていた。しかし、それでも、彼に対してやっかみや反発が無くなることは、無かった。たぶん、これからも無いのだろう。
それでも、少年は笑顔でたまに怒りながら、頑張っていた。執事以外に怒鳴ることも稀になり、少しずつ貫禄のようなものも出始めてきていた、そんな時期だった。
倒れてから半年後目覚めたミシェルも、幸い後遺症のようなものは見られずに、エティにちょっかいを出してはカルロスとやりあっている。それでも、まだ、一年だ。
未だにあれからどうしても、カルロスは前当主である父親の墓に、参りにいくことができていない。誤解が解けたといっても、生まれてからずっとあったシコリというやつは、そう簡単に解けたりはしないのだろう。人の心はそんなに単純にはできていない。
時折、少年の顔に戻ってたそがれる少年に、執事はいつも何とかして励ませないものかと思案していた。
そんな折。午後に大事な議案がある会議の朝になって、またも少年が当主代行をしている事に組合員が不満を漏らす出来事があった。それ自体はすぐに収まった。しかし、少年の顔色は晴れていない。
最初の台詞は、カルロスが落ち込んでいると考えたリーブスが、それとなく主人を元気付けるために発した一言だった。
それとなくがアレなところが、リーブスのリーブスたる所以であるといえよう。
少年は、ずっと自分が当主代行に相応しいかどうか一人悩んでいた。それを見かねた執事が、なんとか元気付けようと捻り出した答えがその言葉だったが、なにか色々残念に間違っていたようだ。
それが主人を元気付けることになるのだと欠片も疑っていないどころか、あれで【それとなく】元気付けたつもりだと本気で思っているところが、この有能なくせに極端な、カルロス一辺倒の執事らしいといえばらしいのかもしれない。
「何が言いてぇのかよく分からねーが、おれはゴメンだね」
「坊っちゃん……」
拗ねたように横を向き立ち上がる少年主人に、長身の執事が途方に暮れて眉根を寄せる。
「情けない顔すんなボケ! つーか、それ信じてねーしおれ。生まれ変わり? そんなもん信じたら、人生のどっか一番大事な部分で手ぇ抜いちまいそうだし、なんか重要な部分が無価値になっちまいそうだろ? 勿体無ぇよ」
後ろの窓辺から外を眺めながら、静かな口調でそう言いきった。
黒服の執事は目を瞠り、さすが坊っちゃんだと今度は瞳を潤ませる。
執事馬鹿だ。
「……そうかも、しれませんね」
ハンカチで目を拭きながら、リーブスは頷いて応えていた。
それを見て、ったく、と頭を掻き口をへの字にしながらも、少年が振り返りフォローする。
「そうに決まってる。だいたいなあ、これは、おれたちの人生だぜ?リーブス。忘れんなよ?ソコんとこ」
名を呼ばれて、リーブスは微笑んだ。優雅に華麗にハンカチを仕舞い、腕を胸に当て正式なお辞儀をする。
少年の口のへの字の角度が深まった。
完璧な仕草だった。たまに【やればできる】ところを見せるから、この執事は逆にやっかいなのだ。
「まったく、かないませんねぇ坊っちゃんには。……ねえ、では坊っちゃん。ちょっとした質問なんですが、人生の一番大事な目的と一番大事な人とでは、坊っちゃんなら、どちらを選ばれますか?」
「なんだ、突然?」
その唐突な質問は。
窓辺に向けて立ち上がり外を眺めていたカルロスが、椅子に座り直し、怪訝な顔で振り返る。
「なんとなくです」
呆れたカルロスが、それでも椅子ごと向き直り、机に肘をついて、ため息と共に割と真剣に考えて出した答えが、
「全部」
だった。
「いえ、あの。どちらか一つなのですが」
呆気にとられるリーブスを、痛快に見据えて少年が指を突きつける。
「そういう質問すンのなら、答えは全部だ。それ以外は有り得ねェ。ちまちま少しずつなんて性に合わねェよ。本気でやるからには全部狙うぜ、おれは」
「あのでも、そうやって全部を目指して全部無くしたとしたら、どうなされるおつもりですか?」
心配性を発揮して尋ねる。しかし執事は、次の少年の言葉にまたも瞠目させられた。
「どうもしねーよ。賭けるのが命なら、死ぬだけのことだろ。生き残ったのなら、またゼロから始めりゃァいいさ。命賭けるからには全部かゼロか、二つに一つだぜ、リーブス。お前、おれについてくると言ったな。怖くなったか? 残念だったな。おれはこういう奴だぜ。けどなあ、それでもついてくるっつーなら、生きてる間はお前を手放すつもりはねーよ。だから勝手にくたばるんじゃねーぞコラ。ついてくるなら、腹ァくくれ。おれは浮き沈みが激しいぜ、一生な」
胸を反らせて力を込めて、まっすぐ見つめる瞳が迫る。
リーブスの目の細まりがいっそう強く深まった。
「……まったく、相変わらずワガママですねえ。しかたありませんね。お供致します。ワタクシも、このポジションを他の誰かに手渡すつもりは、毛頭ありませんしね」
「死ぬなよ」
「当然です。坊っちゃんも、お気をつけて」
どちらともなく不敵に笑い、そして、
がたん
年若い主人はわざと音を立て立ち上がった。
椅子が倒れそうになり元に戻る。
「今日の会議の後は、たしか空いてたよな」
「はい、お茶でも、飲まれますか?」
代行がお疲れになるようなダブルブッキングは、致してはおりません。
ソツなく返す相棒に、少年が立ち止まり、答える。
「……ちょっとな、顔を見せにいこうと思う。ついでに、サンドイッチも作ってくれ。糞オヤジが好きだった、味でいい」
雷に打たれたような数瞬ののち。
「かしこまりました」
仰せのままに。
直立不動の姿勢をとった銀髪の執事服が、先ほどに倍する完璧な仕草で、完璧なお辞儀を見せた。
麗らかな陽射しが窓の外から注いでいた。世界はいまだ優しげに誰の目にも映っていた。
互いに楽しそうな笑みを浮かべ、そして主従はドアを開けた。
了.