私の兄は吸血鬼です
天気がいい日の朝は寒い。
雲ひとつない空に向かって白い息を吐くと、スゥッと空気に溶けるように消えて行った。 制服だと足が寒いなぁなんて思いながら、アパートの階段をのぼる。
近所にある二階建てのアパートは、築10年という話だったけれどまだまだ綺麗で新しく見える。10部屋ある内、人が住んでいる部屋は3部屋程らしい。何度かこのアパートに足を運んでいるものの、まだ他の部屋の住人に遭遇したことがない。
本当に他の人も住んでるのかな。
階段を上がって奥の部屋のインターホンを押すと、ドアの向こうで音が鳴ってから少し間があってドアが開いた。
「あ、ルウちゃん、おはよう」
顔を出したのはマコトさんだった。
「おはようございます。お兄ちゃん起きてますか?」
「あぁ、ちょっと待っててね。中に入ってていいよ、寒いでしょ?」
お言葉に甘えて中に入れてもらい、マコトさんを待つことにした。奥の部屋に入って行ったマコトさんは向こうで何か話していたけど、すぐに戻って来た。
「お兄ちゃん、やっぱり寝てますか?」
マコトさんが申し訳なさそうに笑って手を合わせた。
「うん、ごめんね。遅刻するから早く学校に行った方がいいぞって」
「そうですか」
「それじゃ、行こうか。僕も学校だから。ルウちゃんも早く行かないと遅刻するよ」
マコトさんに背中を押されるまま二人で部屋を出て、アパートの前で別れた。マコトさんの通う大学と私の通う高校はここから反対方向にある。歩いて行ったマコトさんの背中を見送って、私も学校へ歩き始めた。
―――――――――
「あ、おはよう。あんた今日もお兄さんのところ寄って来たの?」
私が登校して席に着くと、前の席のタツキがそう声をかけてきた。
タツキは近所に住んでいるクラスメイトで、小さい時からいつも一緒にいる幼馴染だ。
「うん、もう日課になってる感じだしね」
「律儀だね、でもどうせ寝てたんでしょ?」
「まぁ、それは仕方ないよ」
笑って言うと、彼女はため息交じりに呟いた。
「夜に仕事にいくからしょうがないのはわかるけど。太陽とは無縁の生活だね、不健康極まりないわ」
その言葉に私は窓の外の青い空を見上げてため息をついた。
兄が部屋の窓を完全に遮光して布団にもぐっている姿が容易に想像できる。
私の兄は、日中は部屋に籠り、夜にアルバイトへでかけるという生活を送っている。定時制高校を卒業してからはアルバイトでなんとか生活しているらしい。
兄がどうして太陽を避けるように生活しているのかは、ちゃんと理由がある。
私の兄は吸血鬼だからだ。
そんなこと唐突に言われても困るだろうけど、事実なのだから仕方ない。
兄とは血の繋がった兄妹だけど、私には吸血鬼の体質は遺伝しなかったようで、私は極々普通の人間である。ちなみに、父が人間で母が吸血鬼。
吸血鬼と言えば、漫画とかでよく見るけど、いろんな能力や弱点のあるキャラクターだ。
にんにくが苦手、十字架が嫌い、太陽を浴びると死ぬ、銀が苦手、蝙蝠になれる、霧になれる、血を吸って仲間を増やすなどなど。
私の兄は太陽光が苦手だけど、代わりに体力があり力も強い。蝙蝠だとか霧になれるような人間離れした能力は持っていないし、私はそんな吸血鬼に会ったことがない。
兄が吸血鬼だと言えるような特徴は、太陽が苦手なことと、血を飲まないと栄養失調みたいな状態になってしまうことと、少し力持ちなことぐらい。
以前の兄はまるで引きこもりのような生活をしていたけど、今ではしっかり働いている。といってもフリーターなので夜間のアルバイトを掛け持ちしている状態だ。
夜にしか屋外で活動できない兄にとっては、選択肢が限られてしまうので仕方ないことだけど、父はそんな兄を心配して過保護気味。父の過保護っぷりに嫌気がさし、数年前に家を飛び出した兄は友人のマコトさんとルームシェアを始め、現在に至る。
家から遠くないので、私はよく遊びに行ったりするのだが、基本活動時間が違うので行き違いが多い。
「ところで、さ」
タツキが少し間を開けて切り出した。
「マコトさんのことなんだけど」
マコトさんは兄の友人で、兄とのルームシェアの提案を快諾してくれたらしいとても親切な人だ。今は大学生。
そして、マコトさんも兄と同じ吸血鬼だ。
マコトさんは日光に弱い体質ではないらしく、日中でも活動できるとのこと。それでも、天気がいい日に外出する時はサングラスをかけている。
「マコトさんは好き嫌いとかある人?」
「別になかったと思うけど」
「そっか……それでその、バレンタインのことだけど」
「もう明後日かー、買い物は今日の放課後でいいよね。タツキは誰にあげるの?」
明日は土曜日で学校が休みなので、バレンタインに作るお菓子の材料を買いに行こうとタツキに話していたのだった。
明後日はバレンタインデー。
毎年タツキの家で一緒にお菓子を作って、家族や友達にあげている。所謂友チョコ義理チョコ。残念ながら、恋人に上げる予定はまだない。
「べ、別にいつもと変わらないよ……友チョコとか、ぐらいだし……うん」
なにやら歯切れの悪いタツキに首を傾げる。
「どうしたの?」
「え、えっと……その、マコトさんにもあげようかなって」
「マコトさんに?」
「何度か、バイト帰りにばったり会って、もう夜遅いからって家まで送ってくれてさ」
「へぇ、そうなんだ」
本当にマコトさんは親切な人だ。兄も少しは見習ってもらいたい。
「お礼に……渡せたらなって思ってるだけで。あ、別に深い意味はないのよ、本当に」
そう言っている内にタツキの顔はみるみる赤くなっていく。わかりやすいなあと思わず笑ってしまった。
「な、何?」
タツキがさらに顔を赤くしてこちらを見る。
「なんでもない」
私は笑って手を振った。
実は、最近のタツキを見ていてなんとなくわかっていたことだ。あきらかにマコトさんに対するタツキの反応が変わってきていたから。
「そういうことなら応援するよ。明日一緒に頑張ろう」
「そ、そういうことって何!? 深い意味はないんだってば、本当に!」
慌てているタツキを見て、私はかわいいなぁなんて呑気に考えていた。
「あ、あんたは誰にあげるの? 家族以外で」
まだ顔を赤くしているタツキは話をそらそうしているのか話題を変えた。
「家族以外? えっと、まずタツキでしょ、あとマコトさんにクラスの子に」
「……好きな人とかは?」
呆れたように言うタツキに、私はあっけらかんと返す。
「え? いないけど?」
「……ルウらしいというか、なんというか」
「どういう意味よー」
苦笑したタツキに向かって口を尖らせる。私らしいってどういうことだろう。
「まぁ、いいや。ところで、どんなの作る?」
「あ、本持ってきた。この中から決めようよ」
先生が来るまでまだ時間がある。これ幸いと机の上に雑誌を広げて、二人であれじゃないこれじゃないと言いながらページをめくり始めた。