嫌だ
寄り道しよう、と高田の提案で電車を途中で降りた。オススメだと言って押し入れられたその店は学生でごった返していて、それが本当に嫌だった。空気が悪すぎで息苦しい。し、なにより人混みが嫌い。埃っぽさに少し咳いた。
買ったばかりのシャーベットが溶けて崩れた。胡散臭い青がさらに怪しい。まあ、とスプーンを手に取った。
「今年はきっと暑い夏になる」
隣で、オレンジのシャーベットをパクリと口に入れてから、特に興味もなさそうに高田が言った。相槌を打った有川もそうだった。まあそういえば有川はいつもテキトウだったっけ。
「今年の夏はおばあちゃん家に行く予定なんだ」
スプーンですくう一口が煩わしいのか、高田は次にはぺろりとアイスクリームを転がした。さっきは邪魔した風が、今度はその甘い香りで鼻をくすぐって、僕の青と混ぜる。
おかしくて、たのしい。それがどういう名前の感情なのかは知らない。とりあえず、今は。
「遊んでよね。あんたらの家の近所なんだから」
「初耳……」
嗄れた声に咳払いして呟いて、思い出した。回覧板に高田ってあった。珍しくない名字だし気にしてなかったけど、と思考の末そういうことかと締め括った。世界って狭い。
「なに、ずっといんの?」
有川が面倒そうに言うのに、あっけらかんとして笑った高田は、さすがに凄い。小さく笑って、頬杖をついた。
「そのつもり。父さんと母さんは旅行するって。で、あたし一人になるから行こうかなって。どうせ予定ないし、ひとりってつまんない」
あんたらどうすんのよ。続けざまにそう聞かれて、考え込んでしまった。毎年僕らは何をしていただろう。有川に目を向ける。有川も、同じことを考えているみたいだった。
「……なーに、すんのかなぁ」
「ははっ、おかし。なんにも考えてないやつ、あんたらぐらいだよ。せっかくの夏休みなのに」
「うっせーな。んなこと考えてるほど暇じゃねぇんだよ、俺らは」
ふぅん、そう。暇じゃない、ね。
なんとも体に悪そうな青を口に含み、喉を通り抜けるたび生きた心地がする。いくらこんなんでも、僕には十分。
雑に残る氷粒がきらきら、雲と雲の間からまばゆい光が半壊してあたる。今日は雲が多い。何か思ったのは、今。
「……今年は、」
言いかけて、やめた。言ってしまったら、どうしてもやらなければいけない気がして。
「あれ、なに? 一ノ瀬は考えてんだ」
「や、なにも」
――例えば海に行ったとして。取り敢えずは泳いで、それからビーチバレーして、海の家で焼きそば食べて、日が暮れる頃海から出たら、かき氷食べて、暗くなったら花火して、とか。
言葉通り反芻して、ああと妙に納得する。
「こういうのが、“ふつう”の夏休みなの! あんたたちは異例すぎ。だから今年はさ、行かない? 電車乗って、海!」
「無理だ」
瞬間、有川の放った声に酷く困惑を覚えることになる。高田の揺れた肩が見えなかったわけじゃない。が、特にフォローもしない。ふたりのやり取りを目で追った。
「生理的に、無理。言っとくけど行くなって言ってんじゃねぇよ。ただ行くなら俺らは誘うな」
「なによ、それ」
「別に俺らと行く理由なんかねぇだろ」
それだけ言えば、帰るぞと一言。僕は高田の方を一度振り向いて、すぐ有川の隣を歩いた。
あの時後ろをつかなかった、高田はまだあの席にいるだろうか。
学校帰りの出来事を思い出して、倒れ込んだベッドの上で長く息を吐いた。有川のあの態度の理由、わからないわけじゃない。呑気そうに見えて、ちゃんと考えてるやつだから。
「なあ有川……」
「んー」
「別にさ、僕に合わせる理由なんかないよ」
「……なんだよ」
少し笑って、ベッドから背を離したらしい。軋む音が耳についた。
「夏休みって、有意義に過ごすべきだと思う」
「だな。でもいつも通りがいいよ、俺は」
「違うだろ」
息が、苦しい。
有川が何考えてるか、すぐわかる。表情に緊張し、声も強ばった。
「有川は……」
突然、冷酷な場に不相応に鳴り響く。ケータイの着信音は、いとも簡単にこの空気を揉み消した。
メールだ、意味もなく呟いたのは、沈黙するのが怖いから。甘んじろと内心罵倒して、静かにボックスを開いた。
『降りてこい』
父さん、だ。なんでわざわざ。
待っててとだけ言い残し、二つ飛ばして階段を降りる。後でわかったのは、メールの他に電話の着信があったこと。考えれば考えるほど頭が痛い。
こんな短距離、自宅の敷地で、どうして。直接呼びに来ればいいじゃないか。
「父さん」
「来たか、出るぞ」
「……急患なんだ、誰?」
返ってこない返事はもう気にしてない。器具をまとめる父さんを手伝いながら、浮かぶ疑問を呑み込んだ。
「車を出してくる。それ持って待ってろ」
ずんと押し付けられた鞄を、持ち直しまた離れの階段を上る。長くなりそうだから、言っておいた方がいい。
ドアを開けたら、もう全部わかってるような顔をしてた。たまに有ることだし、きっとわかってるだろうとも思ってた。笑し行ってくると去る。つもりだった。
「待てよ」
そんなの知ったかぶりだった。待ってたのは舌打ちと怒号。閉めかけたドアを強い力で引っ張られる。抵抗も出来ない僕は次に鳴った爆音に耳をふさいだ。
「何で行くんだよ。行かなくていい、お前は」
「見とくべき、だと思って。こういうの」
「将来のため、か?」
まぁね、軽い返事だった。
「っざけんな! お前それどうゆう事かわかってんのか!!」
「だったら、なんだよ」
下で父さんの呼ぶ声がする。早く、と急き立てた僕の内、でも体が従えなくてじっと有川を見つめた。
「……俺ここで、待ってる。少し、話がしたい」
次は笑って、また、急いで階段を降りた。長期戦になるかもしれないのは、有川自身わかって言ってるだろうから、あまり突っ込まない。
話がしたい、なんて。あまり気の乗るようなものじゃない。ぽつり、呟いた。
嫌だ。