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夏跡  作者: 南野李茶
23/28

走れ

「知らないの、わたしは」


 二人がどこへ行ったのか。そう言った。

 驚くほどはっきりとした自分の声に、わたしは怖くなった。こんな自分の声を聞いたのは初めてだ。


「本当だよ。だから、だからね、わたしはここで、できることをするの。それで」

「傍にいたいと、思わない? ねえ」


 上手く笑えないまま饒舌に、必死に発した声を遮ったのは変わらない落ち着いた声だった。


「その缶、大事なものなんでしょ。一ノ瀬も、有川も、そうなんでしょ。あたしは事情は知らないけど、それくらいはわかるよ」


 ぐっと息を呑みこんだ。妙に確信づいた彼女の言葉が、噛みつくように耳から離れない。高田さんの大きな瞳は一度だって揺れないまま、わたしを睨んだ。


「そんな大事そうに抱えてさ。本当は、今すぐにでも二人の傍に行きたいって、思ってるでしょ」


 ずっと、ずっと目を、逸らしてきた。だから今更って、思ったんだ。


「わたし、は」


 声が出なくなるほど、彼らを思ったよ。ずっと、ずっと。


「傍に、いたいよ」


 小さく呟いたその一言を、高田さんはきちんと捉えて、睨んだ目を大きく揺らした。わたしも目を逸らさなかった。


「でもね」


 高田さんがどうして、わたしの背中を押してくれるのか、前へ踏み出せと突き放すのか、理由はなんとなくわかっていた。今、こうしてぐすぐずと迷っていて良い訳もないことを、わかってた。でも。


「二人が抱えてるもの、全部気づかない振りして、逃げたよ。いっぱい、嘘をついたよ。いっぱい、酷いこと、言ったよ」


 踏み出す役目がわたしでなくても良い。言い訳なのだ、これは。わたしの、決定的に彼らの元へ行けない理由はただのどうにもくだらない、自分勝手なわがままだ。


「そうやって、また嘘をついて、また逃げるの」


 夏の風が汗を弾いた。それと同時に、わたしは唇を噛んだ。


「あたしはさ、ずるいって思うんだ。過去ばっかり気にして、前に進まない千崎さんが」

「違う」

「違うくないよ!」


 唇が血を滲ませて、痛みを更に強くする。俯きそうな顔を必死に堪える。


「あたしだって、二人の傍にいたいんだよ。でもだめなの。わかんない。わかんないんだよ。二人の場所も、二人が抱えてる問題も、知ろうとしたってあいつらは、何も話してくれなかった。どれほど力になりたいと思ったって、から回ってばっかりだった。なんでかわかるでしょ。その場所にいていいのは、あたしじゃないの」


 高田さんは、震えた声で一息にそう言って

さっき開いた携帯を差し出した。そして低い声で、開けて、とだけ言った。

 恐る恐る中を見ると、それは受信メール画面になっていて、一番上には『有川祐樹』の名前が標示されていた。顔を上げると、高田さんはもうこっちを見てはくれなかった。件名のないそのメールを、開けとでも言うように無言のまま目を逸らした。



待ってるって伝えて



 その一文は、本当にユウキらしい、シンプルな言葉だった。ユウキが今、どこで何をしてるのか、目に見えるように頭の中を駆け巡る。

 待ってる。待っていてくれてる、のかな。行っても、いいのかな。

 謝っても、いいかな。

 涙が少し、零れた。悲しいんじゃない。


「わたし、もう、逃げたくないよ……でも……怖い、怖いの。二人が傷ついてるの、見たくない」

「ばか」


 わかってる、わかってる。言われなくても、本当は。だから、少しだけ微笑んで、高田さんと目を合わせた。


「あなたは、助けるために戻ってきたんでしょ。有川だって、あなたが来ると思ってる。だってこのメール、場所なんて、有川がどこにいるかなんて書いてない」


 確信は、ない。これは本当。だけど、見つけられる自信だけなら、最初からあったんだ。


「ね、高田さん」

「ん?」

「夏休みはみんなで海に行けるかな。かき氷食べて、花火、みんなでやりたい。あとカブトムシ、探しにいきたい。やりたいこと、全部、できるかな」

「あはは、なに、最後の」


 やり直すだけの時間は、わたしの勇気に比例する。

 息を飲み込むと、少しだけ鉄の味がした。唇がまた少しだけ切れた。痛い。痛いところばっかりだ、みんな。


「うん。全部、準備して待ってる。四人分だからね」


 最後にしよう。目を覚ましたら痛くない日を、笑いあえる夏を、迎えられるように。


「できるよ、だから……お願いね」

「うん」

「絶対」

「絶対」


 行こう。あの夏の日を取り戻しに、行こう。

 走る。走れ走れ、走れ。

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