走れ
「知らないの、わたしは」
二人がどこへ行ったのか。そう言った。
驚くほどはっきりとした自分の声に、わたしは怖くなった。こんな自分の声を聞いたのは初めてだ。
「本当だよ。だから、だからね、わたしはここで、できることをするの。それで」
「傍にいたいと、思わない? ねえ」
上手く笑えないまま饒舌に、必死に発した声を遮ったのは変わらない落ち着いた声だった。
「その缶、大事なものなんでしょ。一ノ瀬も、有川も、そうなんでしょ。あたしは事情は知らないけど、それくらいはわかるよ」
ぐっと息を呑みこんだ。妙に確信づいた彼女の言葉が、噛みつくように耳から離れない。高田さんの大きな瞳は一度だって揺れないまま、わたしを睨んだ。
「そんな大事そうに抱えてさ。本当は、今すぐにでも二人の傍に行きたいって、思ってるでしょ」
ずっと、ずっと目を、逸らしてきた。だから今更って、思ったんだ。
「わたし、は」
声が出なくなるほど、彼らを思ったよ。ずっと、ずっと。
「傍に、いたいよ」
小さく呟いたその一言を、高田さんはきちんと捉えて、睨んだ目を大きく揺らした。わたしも目を逸らさなかった。
「でもね」
高田さんがどうして、わたしの背中を押してくれるのか、前へ踏み出せと突き放すのか、理由はなんとなくわかっていた。今、こうしてぐすぐずと迷っていて良い訳もないことを、わかってた。でも。
「二人が抱えてるもの、全部気づかない振りして、逃げたよ。いっぱい、嘘をついたよ。いっぱい、酷いこと、言ったよ」
踏み出す役目がわたしでなくても良い。言い訳なのだ、これは。わたしの、決定的に彼らの元へ行けない理由はただのどうにもくだらない、自分勝手なわがままだ。
「そうやって、また嘘をついて、また逃げるの」
夏の風が汗を弾いた。それと同時に、わたしは唇を噛んだ。
「あたしはさ、ずるいって思うんだ。過去ばっかり気にして、前に進まない千崎さんが」
「違う」
「違うくないよ!」
唇が血を滲ませて、痛みを更に強くする。俯きそうな顔を必死に堪える。
「あたしだって、二人の傍にいたいんだよ。でもだめなの。わかんない。わかんないんだよ。二人の場所も、二人が抱えてる問題も、知ろうとしたってあいつらは、何も話してくれなかった。どれほど力になりたいと思ったって、から回ってばっかりだった。なんでかわかるでしょ。その場所にいていいのは、あたしじゃないの」
高田さんは、震えた声で一息にそう言って
さっき開いた携帯を差し出した。そして低い声で、開けて、とだけ言った。
恐る恐る中を見ると、それは受信メール画面になっていて、一番上には『有川祐樹』の名前が標示されていた。顔を上げると、高田さんはもうこっちを見てはくれなかった。件名のないそのメールを、開けとでも言うように無言のまま目を逸らした。
待ってるって伝えて
その一文は、本当にユウキらしい、シンプルな言葉だった。ユウキが今、どこで何をしてるのか、目に見えるように頭の中を駆け巡る。
待ってる。待っていてくれてる、のかな。行っても、いいのかな。
謝っても、いいかな。
涙が少し、零れた。悲しいんじゃない。
「わたし、もう、逃げたくないよ……でも……怖い、怖いの。二人が傷ついてるの、見たくない」
「ばか」
わかってる、わかってる。言われなくても、本当は。だから、少しだけ微笑んで、高田さんと目を合わせた。
「あなたは、助けるために戻ってきたんでしょ。有川だって、あなたが来ると思ってる。だってこのメール、場所なんて、有川がどこにいるかなんて書いてない」
確信は、ない。これは本当。だけど、見つけられる自信だけなら、最初からあったんだ。
「ね、高田さん」
「ん?」
「夏休みはみんなで海に行けるかな。かき氷食べて、花火、みんなでやりたい。あとカブトムシ、探しにいきたい。やりたいこと、全部、できるかな」
「あはは、なに、最後の」
やり直すだけの時間は、わたしの勇気に比例する。
息を飲み込むと、少しだけ鉄の味がした。唇がまた少しだけ切れた。痛い。痛いところばっかりだ、みんな。
「うん。全部、準備して待ってる。四人分だからね」
最後にしよう。目を覚ましたら痛くない日を、笑いあえる夏を、迎えられるように。
「できるよ、だから……お願いね」
「うん」
「絶対」
「絶対」
行こう。あの夏の日を取り戻しに、行こう。
走る。走れ走れ、走れ。




