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夏跡  作者: 南野李茶
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見つけること

 私はいつだって、何もかも下手くそで、いろんな人を傷つけた。

 巻きつけられた絆創膏がきつく指を締め付ける。じわじわとした痛みを感じながら、そんな昔の話を思い出していた。高田さんは呆れたようにため息を吐いて、無茶するなあと言った。


「探しもの?」


 今にも外れそうな古びた蛇口を、高田さんは意外にも丁寧な手つきで捻り、その後で鮮やかな緑色のジョウロを手に取った。そうして、顔の前で傾けたり、揺すったりしながら、軽くそっかと返事した。わたしが微かに引いた顎を見たようだった。

 ジョウロからしたたる雨水はどろどろと酷く濁っている。地面に真っ黒な染みをじわじわと拡げていく。それに覆い被さるように、澄んだ水飛沫が跳ね、どろどろは徐々に元の透明へと戻っていった。ジョウロに水が満ちるには、そう時間はかからなかった。


「そうだけど、ねぇ、だめだよ。勝手に使ったら。怒られちゃうよ」

「いいのいいの。小学校はもう夏休みだし、きっと見つからないよ」


 胸の奥が、つんと痛い。わたしはまた俯いているんだな、とぼんやり気づいた。いつかの夏の日もこんな風に、吐きたいため息を呑み込んだ。


「それに、あたしの母校でもあるからね。ちょっとくらいいいよ」

「母校……そうなんだ」

「途中からだけど」


 ほら、じゃ、行こうか。高田さんはそう言って、水を張ったジョウロを持ち上げた。私はそれを受け取って頷いて、嘘っぽく笑った。

 ジョウロの底は、透き通った水道水の中で砂利と雑草が躍っている。水面が揺れると、映った顔の影がゆらゆら歪んだ。私が歩むたび、きらきら光って跳ねて、制服のスカートを濡らしていく。


「千崎さんのことも、聞かせてよ」


 高田さんは、途中に落ちていたシャベルを手に取って、おもむろに手首を捻ってくるくると回してみせた。横目でそれをそっと見ると、ふいに目線がぶつかった。


「あたし、千崎さんて、もっと不真面目な人かと思ってたから、なんだか驚いちゃった」

「どうして」

「だって……ほら、授業たまに受けてないし。今日だって」

 

 高田さんは、言いづらそうに言葉を噛ませて、困ったように笑った。

 私は、うまく言葉が見つけられないまま、何も言えずにいた。ただ、重そうな水音だけが、私の歩調に合わせて響く。何か言おうとしたときにはもう、高田さんの次の言葉に掻き消されていた。


「有川と連んでるとこ、とかさ」


 六本目の桜の、少し手前で、高田さんは静かにそう言った。そうして足を止めた。私は返事を返さないまま、木の真下でそっと屈み込んだ。

 ジョウロを傾けると、カラカラに渇いた土は少しずつ水を吸い込んでいく。追いつかずに地面を滑る水は、つま先に触れて広がっていく。きらきら、きらきら、まるで、宝石の粒でも溢したみたいに、小さな水たまりには木漏れ日が反射した。

 いつの間にか隣にあったシャベルに、一時躊躇う。それからしっかりと握りしめた。土に突き立てると、すぐに金属同士がぶつかる鈍い音がした。確かお菓子か、何かの缶だったと思う。塗装が剥げてしまって、わからなくなってしまったけど、それだけは覚えてた。

 安堵感に、ふっと力が抜けるような感じがする。そこでやっと、見つからなかった彼女への返事を、単純に返した。


「ユウキは、真面目だよ」

「えぇ、なに、それ」

「すごくすごく、真面目」

「うそ」

「ほんと」


 泥の付いた缶を適当に拭って蓋を開けると、懐かしさが込み上げて涙が出そうになった。熱くなった目頭を隠すみたいに、暑いなと言っては手のひらでしきりに汗を拭った。缶の蓋は、すぐに閉めてしまった。

 高田さんは不思議そうに顔を歪め、何か言おうと口を開きかけた。横目でそれに気づいて、その言葉か何かを遮ろうとした瞬間、不意に鳴り出した軽快な電子音にそれを掻き消される。高田さんがポケットをまさぐって、すぐに音は止んだ。携帯電話を慣れた手つきで開き、カチカチと何度か操作して、また閉じた。


「真面目、ね」


 うそみたい、そう言って笑った。


「でも、そうかもしれない。あたしは、本当の有川を知らないだけなのかも。一ノ瀬のこともね、多分」

「そんなことないよ」

「ううん」


 笑ってから、爪先で小石を蹴飛ばす動作を、一度だけ。石は何度か跳ねて行って、また陽の光の元に落ちた。

 高田さんの言葉は信じられなくて、私は缶に目線を落としたまま、思うままにその言葉を否定していた。知らないなんて嘘だ。


「そういえばこないだ、海に行こうって、誘って、断られたっけ。夏期講習でもいくのかなあ……なんてね」


 明るい声。でも、それは少しだけしんどそうに聞こえた。


「……どうしてなのかな」

「あの、それは」

「千崎さんはさ、どうして今、二人の傍にいないの」


 私が返事を言い切る前に、高田さんはもっと早くそれを遮った。出かけた言葉は、そのまま消えた。


「きっと、千崎さんは誰よりも二人のことを知ってるよ。だから、早く……」


 迷うな。間を置いた後で付け足されたその言葉は、少し震えていた。

 私は知らない。私の役目は見つけること。


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