伏せた
俺が嫌なのは、颯太が一人で無理してること。颯太が抱えるものの大きさを知らないから言えることなのかもしれない。だけど、それでも、巻き込んで欲しいと思うのは、なぜか。
ふと、思った。颯太にとっての俺とは、何か。
「起きろよ、ばか」
俺は本当のことを知りたいと思ったのだ、きっと。
その辺に転がっている本にふと、目を留めて少しだけ首を傾げた時だった。外から聞こえた木々の大きな唸りが、確かに何か囁いた。目を瞠った。……いや、でも、まだ早い。まだ、駄目だ。
なにが。
なにが?
掠れた声は、それでもなお通っていた。じゃなくて。
颯太が、くすりと笑った。
「何が、駄目なの」
目が合ったとき、また、今度は別の感情で目を瞠ったのがわかった。風の唸りは消えていた。
「颯太!」
窓の外は、もうセミの鳴き声でたくさんだった。風なんて吹かない。汗が額を撫でた。
「お前いつから……」
「気を失ってたわけじゃない。うん、ところどころ記憶はある」
「え、いや……つか、大丈夫なの」
静かな空間に、小さな笑い声が木霊した。颯太は元気だ。俺は安堵のため息を呑み込んで、次出す言葉をまさぐった。上手く、言葉が出なかった。
「足が縺れただけ」
颯太は、片手をついてゆっくり身体を起こした。そうして、いつも、何でもないよとへらへら笑う。額にべっとり張り付いた前髪を退けて、気持ち悪そうにシャツをはためかし、なお、笑うのだ。
つらい。つらい、のは、俺じゃない。
「大丈夫だよ」
「お前はいつだってそう言うんだ」
どもったのは、本当に慌てているから。柄にもない、情けないと自身を揶揄したのは戒めたつもりだった。飽くまで普通に、いつもどおりでいたいと、本当に思ったのだ。
緩慢な動きで颯太が手のひらで目元を覆った。慌てて支えようとした腕に、上手く頭が収まった。
大丈夫なんかじゃないのは、いつだって。知っているのに、どうして隠そうと頑張るのか、俺はただ知りたい。颯太がずっと一人で堪えていかなければいけないなんて、決まったことじゃないのに。
ずっと、ずっと、俺はきっと、何も知らない。
「おい!」
受け止めた腕が熱い。とたんに目頭が熱くなる。思ったほど、思ったよりだったのが皮肉られているのか、俺が脆いのか。
神様はいない。わかってる。
「無理すんな。寝てろ」
「違う。今のは」
「言い訳だろ」
半ば強制的にベッドに倒して、額をはたいた。颯太が小さく謝った。
まだ早い。早い?
「なんでもないよ」
「なんでもなくない。ほんと馬鹿だよ、お前」
颯太が口を開くたび、俺はすかさず言葉を放した。引いたら駄目だと思った。引いたら、きっと俺も駄目になる。
冷凍庫にあった冷却枕を颯太の頭の下に敷いてやると、もう一瞬も抵抗しなかった。深い息を何度か吐いて、静かに目を伏せた。氷のせいで失われた手のひらの体温が、またじわじわと戻ってくるのをひしひし感じながら、頬まで流れた汗を拭った。冷たい。
「今くらい、大人しくしてろ」
「大人しくしていられない性分なんでね、どうにも」
「わかんねぇの。心配してんの、俺」
「わからないよ」
颯太が、掠れた声を荒げた。その反動か、咳上げたのを、俺は黙って見下ろした。口答えに腹が立ったわけじゃない。身体が硬直して、何も出来なかった。
「僕だって、わからない。何も、わからない。心配されたって、困るんだ」
困る、だって。わかってるわかってる。今、いちばん苦しいのは颯太だから。
「僕はどうしたらいい?」
なのに。なのにふいに泣きそうになって、ごまかしたくて頭を掻いた。
「夏休み、始まるから……今年はゆっくり過ごそう。な」
「……うん」
あと三日。あと三日頑張ればいい。でもそれで、ほんとにいいのだろうか。
なぁと声をかけても返事が返ってこなくて、颯太が寝てしまっていたことにやっと気づいた。また浮かんだ汗を拭きながら、俺もちょっとだけ顔を伏せた。