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夏跡  作者: 南野李茶
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聞こえた

 教室のざわめきが、少しずつ消えていくのがわかる。奴はうすら笑ったまま、何でもないように気取った。それがまた癇に障って、舌を打つ。


「お前に言ったわけじゃないぜ。まあ、有川がそうじゃないっていうのは、ちょっとおかしな気もするけど」


 高田が珍しくうろたえているのを、目の端で捉えた。


「お前が面倒だって思った仕事、毎日一人でやってんの、誰だよ」

「何が言いたいの」


 静まり返った教室に、高田の声がうるさい。うるさい。やめなよ、先生くるよ。うるさいだからなんだ。


「てめーみたいな役立たずばっかだから颯太が頑張るんじゃねぇの。使えないのはどっちだよ」


 そう言った瞬間掴まれた胸ぐらを、黙ってそのままにしておくわけもない。手を痛いくらいに振りほどいて、俺は奴に向かって机を蹴飛ばす。静かに湧き上がるどうしようもない怒りのやり場が、そこしかなかったのだ。

 こどもだ。奴も、俺も。

 本当に、もう教師が来る。素行から考えて間違いなく怒号は俺に飛んできそうなので、その辺りは冷静になって、ただ逃げることを考えていた。鞄を担いで、荒れた教室から、ただ逃げた。


「待って! 有川」


 おとなになりたいわけじゃない。だから、もういい。別にそれでも。


「待って、待ってよ」

「うるさい」

「何そんなイライラしてんの、ばかみたい。あいつらの嫌味なんて、いつものことじゃん」


 屋上へ続く扉を思い切り突き飛ばした。鍵掛けとけよ、とか今はどうでもいいけどとりあえず天文部員は俺並みに目つけられてもいいんじゃないかと思う。

 と、次の瞬間左腕を捕まれた。背が反り返る。危ない。振り返って思い切り睨んだ。いつもの強気な表情だ。


「立ち入り禁止でしょ、屋上。今日から」

「知らねぇ」


 嘘が必死で、何かおかしい。


「……どうしたのさ」

「別に」


 ふん、と一つ笑うと、高田は俺よりも一歩前へ出て、そっと諦めたように扉を開けた。しょうがないな、と小さな声はどこか、まるでこうなることを予感していたかのような、はっきりしたものだった。


「千崎さん、いるでしょ、出てきなよ」


 唐突に出たその名前に驚き、短く声を溢せば高田は、薄く複雑な顔で笑った。


「対照的だよね、あんたたち」


 その意味はよくわからなくて、なんとなくわかる気もして。

 見えない椎乃の姿を探しながら思ったのは、颯太のこと。ここに颯太がいないことが、不思議だった。信じられない。

 もう少し、なのに。


「お前も忘れてたのか、シイ」


 見えない姿に問いかけた。一歩前に出て、聞こえるように。


「……忘れないよ」


 その声とその瞬間、視界が何かを掠めた。ふわりと浮き上がる白い布と茶色の筋、コツリとなったのは靴の音。

 上にいたのか。予想外だった。

 意外にもそれは泣きそうな顔ではなく、瞳は強く見つめてきた。


「ユウキは、忘れてた?」

「いいや」

「そっか」


 変わってない。この笑顔。酷く安堵する自分と、おかしな葛藤がぐちゃぐちゃになった。


「へへ、よかった」

「よくねぇよ」

「……どうして」

「颯太は……」


 颯太は覚えてない。


「俺だけ覚えてたって、何の意味もない。お前だってわかってんだろ!」

「ユウキ……?」

「覚えてねぇんだよ、颯太は! お前の事、誰よりも覚えてなきゃいけねー奴だ。だから!」


 もう、言葉が、出てこなくなった。


「ねえ、待って。どういうこと?」


 高田の言葉を最後に、誰も何も言わなかった。

 わかってる。今日は、昨日はいろいろ有り過ぎて、わからなくなったんだ。だからちょっと混乱してるだけ。

 暑い。汗がゆっくりと背を伝っていく。気持ち悪い。じめっとしたシャツが嫌で、少し扇いだ。


「……帰る」


 返事は聞かない。もうあとは、走った。

 逃げてるみたいだ。俺が馬鹿だったのは、今に始まったことじゃないのに、今ようやく気づいた。走れば電車に間に合うからと、言い訳した。

 迷えなかった。涙が出そうになった。電車の中は、ただ憂鬱で、苛ついた。颯太はシイを覚えていない。小学校最後の夏休みを、何もかも忘れてしまったのだろうか。考えても、そんなことわかるわけないのに。

 空は青く澄みわたる。俺は皮肉だと笑う。俺はこの日、俺が嫌いだと知った。





 公園で少し考えに耽った。これから颯太の部屋に行くことは決定事項として、寄り道のルートを考える。食糧を調達していこうと、気になっていた雑誌を買おうと、商店街をうろついて。

 二時間くらい歩いただろうか。いろいろ物色してたらそうなった。重い袋を担ぐようにして帰路をたどる。後ろめたい気持ちが無いわけではなかった。

 部屋へ続く階段の前で大きく深呼吸した。踏みしめる一歩一歩が重い。肩に力を入れ、強くドアを開けた。

 控えめに声をかけてみる。返事はない。軋むドアを、微かに震える手で引いた。

 その瞬間に冷や汗が吹き出す。暑さにで眩みそうだった不明瞭だった視界が、一瞬にしてやけにはっきりと見えた。


「颯太!」


 夏木立の揺れた音が、あざ笑いような不気味さを掻き立てる。初めての音が聞こえた。


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