朝
夢を見ていた。
幸せだった子供時代の夢。
いつも俺の頭を撫でて褒めてくれた両親。その様子に少し嫉妬しつつも、俺を慕ってくれた妹。そんな温かい家庭で育ち、皆でただ笑っているだけで幸せだったあの頃の夢。
いつからだっただろうか……そんな幸せが遠のいていったのは…
………
…
「兄さん、起きてる? 朝ご飯できたよ」
部屋のドアをノックする音とともに可愛らしい声が聞こえてきた。
俺は軽く欠伸をして重い瞼をこじ開ける。かすかに漂ってきる味噌汁の匂いで食欲が掻き立てられ、俺は意識を一気に浮上させた。そして、扉一枚隔てた所にいるであろう妹に向かって言葉を返してやった。
いつも通りの日常。
今日も何も変わらずに時間が過ぎてゆくだろう……そんなことを思わせる平和な朝。
春も半ばを迎え、そろそろ梅雨の季節がやって来る。しかし空は梅雨など知らん、とでも言うように澄んだ青を主張していた。
雲一つない、快晴を久しぶりに見たな……池澤春人は空のあまりの青さにため息をつく。
池澤春人ーーそれは俺の名前だ。名前の通り春生まれ。17才の高校二年生。ただ、「ごく普通の」が付くほど俺は普通でないし、普通だったこともない。
そもそも何をもって普通とするのか定義も曖昧だ。全て個人の主観で決めていいのではないか。その人がごく普通といったらごく普通なのだ。
だから、あえて言わせてもらう。
俺は少し異常な高校生だ。
それを証拠に……と言うのも変だが、いつも左手に手袋をしている。手袋を着け始めたのは中学二年生の時だ。思春期特有の中二病が発症したわけではないぞ?左手周りに見せるものじゃない……ただそれだけだ。
いかんいかん。
せっかく朝から妹の声を聞いたおかげで気分爽快なのに、いらぬ事を考えるべきではないな。
俺は制服に手を通しリビングに向かった。すると、俺の妹--池澤由依がもうご飯を食べ終わって後片付けをしているところだった。
相変わらずちっちゃくて細い体をしている。守ってあげたい女の子No.1というのも頷けるな。
「おはよう、由依」
「おはよう、兄さん」
俺と由依はいつもの様に朝の挨拶を交わす。
「兄さん今日はバイトだよね?帰りは何時になるの?」
「9時には帰るよ」
「わかった。それじゃあ夕食作って待ってるね」
10年前のある事件がきっかけで俺達は施設に預けられた。
今は親戚のつてを頼って一軒家を借り、俺がバイトをしながら由依と二人で暮している。
「今日も由依はけなげで可愛いな」
「…っ!」
そう言って由依の頭を撫でてやると由依は恥ずかしがってうつむいた。
「そう言えば、今日はやけに朝早いな。何かあるのか?」
「あ、あのね、兄さん!今日は図書委員で早く学校に行かないといけないの。その…だから今日は一緒に学校行けない……ごめんね」
由依は真っ赤になってたどたどしく答えた。
俺は、そうか……とだけ呟いて由依を開放してやる。
由依は一瞬少し残念そうにしたが、ハッとしたように時計を見る。
「時間がないんなら片付けは俺がやっとくよ」
「でも……悪いよ」
「いいんだよ。どうせ俺もこれから飯食ったら片付けしないといけないんだし。それに家族に遠慮は入りません」
俺はそう言い、由依の肩を押して行く準備をさせた。
俺が朝ご飯を食べ終わる頃、準備が出来たのか由依が鞄を持って玄関に向かう。
不意に由依が俺の方に振り返って二人で見つめ合う。
そして笑顔で……
「いってきます」
「いってらっしゃい」
これが池澤家の朝の光景である。
裏設定
主人公は色んな種類の手袋をもっています