妹に婚約者を譲れと言われましたので、家督も一緒に譲って差し上げます
「お姉様の婚約者が好きなの」
妹がそう言った翌日、両親から婚約者を譲るよう命じられた。
いつものことだった。
欲しがる妹。
譲る姉。
そして姉には、家を継ぐ責任だけが残る。
だから今回は、全部まとめて譲ることにした。
「婚約者はリリアに譲ります。では、家督もリリアへ」
その瞬間。
なぜか、誰より慌てたのは両親だった。
「お姉様。私、ユリウス様が好きなの」
妹のリリアがそう告白したのは、春の夜会から帰宅した直後だった。
リリア・クローデル、二十歳。クローデル伯爵家の次女である彼女は、五歳年下の私とは正反対の娘だ。
明るく、人懐こく、美しいものが好きで、社交界でも可愛がられている。そして昔から、欲しいものを素直に欲しいと言える。私は手にしていた帳簿を閉じた。
「そう」
「怒らないの?」
「どうして?」
「だって、ユリウス様はお姉様の婚約者でしょう?」
その通りだ。ユリウス・ベルナー子爵令息、二十七歳。王都で複数の商会に出資するベルナー子爵家の長男で、私とは三年前から婚約している。恋愛ではない。クローデル伯爵家とベルナー子爵家の商業上の結びつきを強めるための婚約だ。もっとも。政略結婚だからといって、相手のことを何とも思っていないわけではない。穏やかで話しやすい人だと思っていた。少なくとも、昨日までは。
「ユリウス様は何と?」
「え?」
「あなたが好きだと伝えたのでしょう?」
リリアの頬が赤くなる。
「……ユリウス様も、私と話している時間は楽しいって」
それは答えになっていない。だが。先ほどの夜会で二人が長い間テラスにいたことを、私は知っている。
「お姉様は怒らないの?」
もう一度聞かれた。
「リリア」
「何?」
「あなたがユリウス様を好きになること自体は、私には止められないわ」
「じゃあ」
「でも、彼は私の婚約者よ。その先を望むなら、私ではなくユリウス様と、そして両家の当主を交えて話すべきでしょうね」
リリアは少し不満そうだった。昔からそうだ。彼女は結論を急ぐ。そして私は。その後始末をする。
翌朝。朝食後に父の執務室へ呼ばれた。予想はしていた。クローデル伯爵家当主である父ローレンスは、領地経営より王都での人脈作りを好む五十二歳の貴族だ。母セシリアもいる。侯爵家出身の母は社交界を重んじ、昔からリリアを「人に愛される才能がある子」と可愛がってきた。そしてリリア。なぜかユリウスまでいた。嫌な予感がする。
「アデライン」
父が重々しく口を開いた。
「リリアから話は聞いたな」
「ユリウス様の件でしたら」
「そうだ」
私はユリウスを見る。目が合った。彼は少し気まずそうに笑った。
「私からも話そうと思っていたんだ、アデライン」
「では、どうぞ」
ユリウスは一度息を吸った。
「私は、リリア嬢に惹かれている」
なるほど。昨日より話が進んでいた。
「そうですか」
「君との婚約が嫌だったわけではない」
便利な前置きだ。
「君は聡明で、しっかりしている。クローデル家の後継者として申し分ない女性だと思っている」
「ありがとうございます」
「ただ」
来た。
「結婚は、一生のことだろう?」
「ええ」
「だから私は、心から愛する女性と結婚したい」
私はユリウスを見る。三年間。月に二度ほど食事をした。商談にも同行した。領地の収支について話した。結婚後にどこへ住むかも相談した。それでも彼は、リリアと数回踊り、夜会で話すうちに「心から愛する女性」を見つけたらしい。人の心は自由だ。そこを責める気はない。
「分かりました」
父が安堵した顔になる。
「そうか」
「では、婚約を解消しましょう」
「アデライン」
母が優しく笑う。
「あなたなら分かってくれると思っていたわ」
その言葉を、私は何度聞いただろう。リリアはまだ小さいから。あなたはお姉様だから。あなたなら分かるでしょう。あなたはしっかりしているもの。思い返せば。私の人生は、ずっとそれだった。
「ええ。理解しました」
私は頷いた。
「ユリウス様はリリアに譲ります」
リリアの顔が明るくなる。ユリウスも息を吐いた。父と母も満足そうだ。だから私は続けた。
「では、家督もリリアへ」
沈黙した。
「……何?」
父が聞いた。
「クローデル伯爵家の家督です。リリアに譲ります」
「何を言っているの、アデライン」
母の笑顔が消えた。
「私はユリウス様との結婚を前提として、次期当主として教育されてきました」
「それがどうした」
「ベルナー家との婚姻も、次期当主である私の配偶者としてユリウス様を迎える話だったはずです」
父が眉を寄せる。
「だからといって、なぜ家督までリリアへ譲る」
「リリアがユリウス様と結婚するのでしょう?」
「そうだ」
「でしたら、ちょうどいいではありませんか」
私は微笑んだ。
「婚約者も、次期当主の座も、まとめてお譲りします」
「待ちなさい!」
母が立ち上がった。
「リリアに家督なんて無理よ!」
リリアが母を見る。私は聞き返した。
「なぜです?」
「なぜって……この子はそんな教育を受けていないもの」
「では、今から受ければよろしいでしょう」
「アデライン」
父の声が低くなる。
「くだらない意地を張るな」
意地。そう来たか。
「意地ではありません」
「では何だ」
「確認です」
私は父を見る。
「私はこれまで、クローデル家を継ぐために多くのものを諦めてきました」
十五歳から領地会計を学んだ。十七歳から父に同行して商談へ出た。十八歳から主要取引先の半分を担当した。二十歳から領地の予算案を作った。二十二歳からは、実質的にクローデル家の商業部門を運営している。夜会へ行くより帳簿。旅行より視察。趣味より勉強。それでも構わなかった。いつかこの家を継ぐのだから。
「家を継ぐ責任があるから、私はそうしてきました」
父も母も黙っている。
「でも、婚約者についてはリリアが欲しいから譲れと?」
「それとこれとは別だ」
「なぜ?」
「お前は姉だろう」
出た。私は笑いそうになった。
「姉なら婚約者を譲るべきで、姉だから家督は引き受けるべきなのですね」
「そういう言い方をするな」
「では、どういう言い方なら正しいのです?」
答えはなかった。私はリリアを見る。さっきまで嬉しそうだった妹は、青ざめていた。
「お姉様」
「何?」
「私……家督なんていらないわ」
「でも、ユリウス様は欲しいのでしょう?」
「それは」
「ユリウス様は、次期クローデル伯爵の配偶者として選ばれた方よ」
今度はユリウスを見る。
「リリアと結婚されるのであれば、二人でクローデル家を継いでください」
「いや」
ユリウスが慌てた。
「話が違う」
その言葉に。私は初めて、少しだけ興味を持った。
「何が違うのです?」
「私は、君がクローデル家を継ぐ前提で」
「私は婚約者ではなくなります」
「それは分かっている。だが君は姉なのだから、家は君が継ぐだろう」
「その家を継ぐ私の婚約者を、あなたは辞めたいのでしょう?」
ユリウスが黙った。
「なら、私と一緒についてきた立場も手放すのが自然では?」
「だが、リリアは」
「次女です」
「そうではなく」
「では何です?」
答えない。なるほど。少しだけ分かってきた。
その日の午後。私は自室で仕事をしていた。クローデル家は伯爵家だが、収入の半分以上は領地内で生産される羊毛と染料、それを扱う商会から得ている。貴族でありながら商家に近い。だから後継者には、社交より数字が求められる。帳簿を三冊確認したところで、扉が叩かれた。
「お姉様」
リリアだった。
「入って」
彼女は入ってきたが、座らない。
「本気なの?」
「何が?」
「家督を私に譲るって」
「ええ」
「嫌よ」
「そう」
「そう、じゃないわ!」
珍しく大きな声を出した。
「私、領地経営なんてできないもの!」
「覚えればいいわ」
「できない!」
「私は覚えたわよ」
リリアが詰まる。
「あなたにもできるかもしれない」
「お姉様だからできるのよ」
「私も最初からできたわけではないわ」
「でも私は」
「なら、試してみる?」
「え?」
「一か月」
私は帳簿を閉じた。
「次期当主の仕事を、一か月だけ体験してみなさい」
「嫌よ」
「ユリウス様と結婚したいのでしょう?」
「……したい」
「では、その結婚に付随していたものが何だったのか、知っておいた方がいいわ」
リリアは不満そうだった。だが。翌日から。私は本当に彼女へ仕事を教え始めた。
一日目。
領地会計。リリアは二時間で机に突っ伏した。
「数字が多すぎるわ」
「まだ一冊目よ」
「何冊あるの?」
「今月は十二冊」
「十二!?」
三日目。
染料商との価格交渉。
「去年より一割上げたいそうよ」
「じゃあ上げれば?」
「その一割は誰が払うの?」
「商会?」
「最終的には商品の価格に乗るわ。競合領の商品との差は?」
「……分からない」
「調べましょう」
五日目。使用人の雇用契約更新。
七日目。農地の水害対策予算。
九日目。王都の取引先から支払い延期の依頼。
十一日目。領民同士の境界争い。
十三日目。商会の新人採用。
十五日目。税務官との打ち合わせ。
十七日目。秋の収穫量予測。
十九日目。倉庫の修繕。
二十一日目。輸送馬車の契約更新。
「待って」
リリアが言った。
「何?」
「お姉様、これ全部やっていたの?」
「全部ではないわ」
彼女が少し安心する。
「領地の仕事だけなら、これくらい」
安心した顔が消えた。
「ほかにもあるの?」
「王都での取引先対応と、社交関係の管理があるわ」
「……社交?」
「クローデル家と取引のある家の誕生日、婚姻、出産、葬儀。贈答品の手配。夜会への出席。商談相手の家族構成も覚える」
「お母様がやっているんじゃないの?」
「一部はね」
リリアが黙った。
「それから、来月は領地視察」
「何日?」
「十二日間」
「舞踏会は?」
「日程が重なるなら欠席」
「私、来月の王宮舞踏会に新しいドレスを」
「当主になったら、仕事を優先しなければならないときもあるわ」
リリアの顔が固まった。
一か月も必要なかった。二十四日目。リリアが私の部屋へ来た。目の下に薄く隈がある。
「お姉様」
「何?」
「話があります」
「どうぞ」
彼女は座った。しばらく黙っていた。そして。
「ごめんなさい」
予想していなかった。
「何が?」
「全部」
「全部では分からないわ」
「ユリウス様のこと」
私は黙って聞く。
「私、お姉様なら譲ってくれると思ってた」
「そうね」
「昔からそうだったから」
それも、そうだ。新しい人形。母からもらった髪飾り。庭の花。窓際の部屋。欲しいと言えば。私は譲った。正確には。譲るように言われた。
「でも」
リリアは両手を握った。
「私、ユリウス様が欲しかっただけなの」
「ええ」
「お姉様の人生が欲しかったわけじゃない」
その言葉は。思っていたより、胸に刺さった。
「お姉様が毎日こんなことしてるなんて、知らなかった」
「話したことがなかったもの」
「どうして?」
「あなたには関係ないと思っていたから」
リリアが俯く。
「私、お姉様のこと、何でもできる人だと思ってた」
「できないことも多いわ」
「でも、お父様もお母様も、いつも言ってたでしょう。お姉様はしっかりしているから大丈夫って」
「そうね」
「だから私も、大丈夫なんだと思ってた」
ああ。そういうことか。父と母が私に言っていた言葉を。リリアも聞いていた。姉は大丈夫。姉は我慢できる。姉は何でもできる。なら。少しくらいもらっても平気。そう思っていたのかもしれない。
「リリア」
「うん」
「あなた、ユリウス様と結婚したい?」
妹はしばらく考えた。
「……分からなくなった」
「どうして?」
「この前、ユリウス様に言われたの」
嫌な予感がした。
「何て?」
「家督の話は断った方がいいって」
「そう」
「お姉様が継げばいいんだからって」
なるほど。
「それで?」
「私が、お姉様が継がなかったらどうするのって聞いたら」
リリアの顔が歪んだ。
「そんなことはあり得ないって」
私は何も言わなかった。
「私と結婚したいのに」
リリアの声が小さくなる。
「私が伯爵になるのは嫌なんだって」
正確には。次期当主の配偶者という立場は欲しい。だが。当主として苦労するリリアを支えるのは嫌なのだろう。
「お姉様」
「何?」
「私、ユリウス様との結婚、やめる」
驚いた。
「私に返すという意味なら」
「違う」
リリアは首を振った。
「お姉様にも返さない」
思わず笑った。
「物みたいに言わないで」
「だって」
妹も少し笑った。
「いらないでしょう?」
「……そうね」
初めて。姉妹で同じ意見になった気がした。
問題は。両親だった。その週末。家族会議を開いた。父。母。私。リリア。そしてユリウス。なぜ彼まで呼んだのかと思ったが、父が呼んだらしい。
「結論から言います」
私が口を開く。
「私はクローデル伯爵家の家督を継ぎません」
父が机を叩いた。
「まだそんなことを言っているのか!」
「はい」
「リリアとの婚約話なら、もういい!」
ユリウスが私を見る。
「アデライン。私は君との婚約を継続してもいい」
してもいい。すごい言葉だ。
「お断りします」
「なぜだ!」
「あなたはリリアを愛しているのでしょう?」
ユリウスが詰まる。
「それは」
「三週間前、そう仰いました」
「だが、事情が変わった」
「私の気持ちは変わりました」
彼は黙った。
「私は、私ではなく『クローデル家の後継者』と結婚したい方とは結婚しません」
「そんなつもりでは」
「では、私が家督を放棄しても結婚しますか?」
沈黙。十分だった。
「リリア」
母が妹を見る。
「あなたはどうなの。ユリウス様が好きなのでしょう?」
「好きだったわ」
「なら」
「でも結婚しない」
母の顔が強張る。
「なぜ!」
リリアが私を見る。そして。
「お姉様のものだから欲しかったのかもしれない」
私は目を見開いた。本人がそれを言うのか。
「リリア!」
母が叱る。だが妹は続けた。
「だって、お母様もいつも言ってたでしょう?」
「何を」
「お姉様はしっかりしているから、少しくらい譲ってもらってもいいって」
母の顔が止まった。
「ドレスも、宝石も、部屋も」
「それは姉妹なのだから」
「婚約者も?」
母は答えられない。
「私、お姉様が持っているものは、欲しいって言えばもらえると思ってた」
リリアは静かに言った。
「でも、お姉様がその代わりに何を背負ってるか、何も知らなかった」
父が苛立ったように立ち上がる。
「くだらん! 家督を何だと思っている!」
「だからこそです」
私は父を見る。
「欲しい人に押しつけるものでも、欲しくない人に押しつけるものでもありません」
「お前は長女だ!」
「はい」
「なら責任がある!」
「二十五年間、果たしてきました」
「まだ終わっていない!」
「いつ終わります?」
父が黙る。
「私が結婚しても?」
答えない。
「子どもを産んでも?」
答えない。
「あなたが亡くなって、私が当主になって、その次の後継者を育てるまで?」
たぶん。終わらない。
「私は家のために生きること自体が嫌なのではありませんでした」
それは本当だ。
「自分が継ぐと決めていたから、頑張れた。でも今回分かったんです」
父を見る。母を見る。
「私の人生は、家族にとって、私に確認しなくても使っていいものになっていた」
誰も何も言わない。
「だから、一度返します」
「返す?」
「クローデル家の後継者という立場を」
父の顔が青くなる。
「では誰が継ぐ!」
「探してください」
「無責任だ!」
「候補ならいます」
私は書類を一枚出した。
「父方の従弟、アルノー叔父様の次男、テオドール」
父が書類を見る。テオドールは二十二歳。地方の商業学校を卒業し、現在はクローデル家傘下の商会で働いている。血筋に問題はない。数字にも強い。本人にもすでに打診した。
「養子に迎えればいいのか」
「本人は、正式に後継者教育を受けられるなら検討すると」
「勝手なことを!」
「三年前から、万一私が病気になった場合の後継候補として調べていました」
父が黙った。こういう準備をするのが。次期当主の仕事だった。
「お父様」
今度はリリアが言った。
「私も継がないわ」
「お前まで!」
「だって私、やりたいことがあるもの」
「何だ」
「絵を学びたい」
母が驚く。
「絵?」
「王都の美術学校に行きたい」
私も初めて聞いた。
「いつから?」
聞くと。リリアは少し恥ずかしそうに笑った。
「ずっと」
知らなかった。妹が何を欲しがるかは知っていた。でも。何をしたいのかは。知らなかった。
二か月後。私はクローデル家を出た。爵位を捨てたわけではない。伯爵令嬢であることは変わらない。ただ。後継者ではなくなった。向かったのは王国南部最大の商業都市、レイノル。長年取引してきた商人から共同経営の誘いを受けていた。
貴族家や小規模商会の会計整理。事業計画。輸送網の改善。私が二十五年間で身につけたものは、クローデル家でしか使えない技術ではなかった。最初の三か月で六件の依頼が来た。半年後には助手を二人雇った。一年後。私は自分の事務所を持った。忙しい。でも。自分で引き受けた仕事だから、不思議と嫌ではない。
クローデル家は、テオドールを養子として迎えた。最初は大混乱だったらしい。当然だ。私が突然抜けたのだから。父から何度か手紙が来た。
最初は。
『戻りなさい』
次は。
『一度話し合いたい』
半年後には。
『今まで任せすぎていたのかもしれない』
返事はした。戻るとは書かなかった。テオドールからは月に一度、相談の手紙が来る。私は仕事として答えている。きちんと報酬ももらっている。家族割引は少しだけした。
そしてリリアは。本当に王都の美術学校へ入った。両親は最後まで反対したが。私が学費を貸した。あげたのではない。貸した。五年返済。無利子。契約書つき。妹は「お姉様らしい」と笑った。
ある日の午後。仕事を終えて帰宅すると、リリアから小包が届いていた。中には小さな絵。夕暮れの街角。花屋の前に立つ少女。裏側に手紙がある。
『お姉様へ。
今日、初めて私の絵が一枚売れました!
小さな絵だけど、知らない人がお金を出して買ってくれたの。
嬉しくて、帰り道で泣きました。
借りた学費を返すには、まだまだかかりそうです。
でもちゃんと返すから待っていてね。
リリア』
私は笑った。机に便箋を置く。
『リリアへ。
初めての販売、おめでとう。
返済は契約通りで構いません。
焦らなくていいから、今度は自分で選んだものを大事にしなさい。
アデライン』
翌週。返事が来た。文章は短かった。
『分かりました。
お姉様もね。』
私はしばらく、その一文を見ていた。それから。机の横に飾った妹の絵を見る。婚約者を譲れと言われたあの日。私は、家督まで譲ると言った。半分は意地だったのかもしれない。けれど。あの一言がなければ。私は今も家の帳簿を開き。リリアは誰かが持っているものを欲しがり。私たちは互いのことを、何も知らない姉妹のままだっただろう。ユリウスがその後どうしたかは、詳しく知らない。別の家の令嬢と婚約したという噂だけ聞いた。
それでいい。父も。母も。少しずつ、自分たちで家を運営することを覚えている。それでいい。そして私も。誰かに必要とされるからではなく。長女だからでもなく。家のためでもなく。自分で選んだ仕事をしている。私は妹から届いた手紙を、絵の隣へ置いた。
欲しいものを選ぶこと。いらないものを断ること。好きなものを大切にすること。そんな簡単なことを覚えるまで。姉妹そろって、ずいぶん遠回りをした。でも。これから選ぶものは。もう、誰かから譲ってもらう必要はない。




