夏の桜
俺はいつもの様に病室のカーテンの外から声をかける。
「さくらー、入っていいかー?」
「入りたまえ」
カーテンを開けるとベッドから起き上がる幼なじみで親友のさくらがいる。
「生きてるか?」
「死んでたら返事はできないよ」
この変な喋り方も通常運転。女のくせに『僕』とか言うし。前にその事を指摘したら差別的だの多様性がどうのと散々言われたから今は何も言わない。
「調子は?」
「まずまずだね」
「そうか」
さくらは別段病弱だった訳じゃない。けれど、中学の二年に上がってすぐに体調を崩してからずっと入院している。季節は春から夏になってしまった。
「これ、今日のプリント」
「ありがとう」
プリントを手渡すと、さくらは顔を曇らせる。
「……大葉(たいよう)、君、まだ部活に復帰していないのかい?」
「……」
さくらの見舞いに来る為に俺は部活を休んでいる。最初は少しくらいと思っていたが、一ヶ月、二ヶ月、三ヶ月が過ぎてしまった。
「僕の事はいいから、存分にやってきたまえ」
「ばーか」
俺はさくらにデコピンする。
「あいた!」
「俺が来なかったら誰が変人の見舞いに来るんだよ」
「病人に向かってこの仕打ち……」
さくらは額を両手で押さえて俺を睨む。俺は笑った。……空元気だ。
さくらは今日は元気だが、体調が悪い日だってある。俺はさくらがこのまま死んでしまうのではないかと思ってしまう。そんな事……起こってほしくないのにどうしても……。
だから、さくらと会いたくて、少しでも会いたくてこうして毎日見舞いに来る。それは、さくらが死ぬと言っている様なものだ。でも、俺にはそれくらいしかできない。自分の無力さを呪う。
俺はいつも通りなんでもない様にさくらと駄弁った。
今日もカーテンの外からさくらに声をかける。
「さくらー」
……。返事が無い。
「さくら……?」
俺は最悪の事態が頭をよぎる。
「さくら!? 開けるぞ!?」
カーテンを開けると顔色の悪いさくらがベッドに寝ていた。
「さくら!? おい! さくら!!」
ナースコールに手をかけようとしたその時、さくらがゆっくりと目を開けた。
「さくら!!」
「静かに……したまえ……。他の患者さんに……迷惑だろう……」
こんな時でもさくらはいつものさくらで。
「今日は朝から調子が悪くてね……。そんな日もある……」
さくらは俺の顔を見て力無く笑った。
「なんて顔をしているんだい……」
俺は……どんな顔をしているのだろう……。
「さくらが……死ぬんじゃないかって……」
俺はつい言ってしまった。弱音を吐いてしまった。さくらは笑う。
「病人より君が弱気でどうする……」
「なあ……俺、さくらの願いならなんでも叶えるからさ……死なないでくれよ……」
「なんだか論理が破綻しているね……」
さくらはそう言いながら、ふっとカーテンの先へ顔を向ける。
「桜が……見たい」
「桜?」
今は夏で、桜はすっかり葉桜だ。
「来年見るまで生きるって意味か?」
さくらは、ふふっと笑う。
「そんな殊勝な考え持っていないよ……。僕は『夏の桜』が見たいんだ……」
「夏の……?」
俺が戸惑っていると、さくらは弱々しく、しかし頑とした意思を感じさせる物言いで話す。
「僕は夏の桜が好きなんだ……。花が散り、青々しい新緑を芽吹かせる力強いあの生命力が……。誰にも見向きされずとも、確かに立っているあの……」
俺はさくらの手を掴んだ。
「わかった」
「ちゃんと許可は取ってくださいね」
声のした方を振り向くと、白衣の医者が立っていた。
「千彰(ちあき)先生……」
さくらが呟く。馴染みの医者なのだろう。
「盗み聞きしてすみません。さくらさんの様子を見に来て」
俺は先生に向かい合う。
「先生! 外出の許可をください!」
そう言って頭を下げた。先生は柔らかい口調で言う。
「頭を上げてください」
見上げた先には先生の優しい顔があった。
「体調が落ち着いたら良いですよ。ただし、病院の敷地内でね。ここからは見えないですけど、桜の大木が一本ありますから」
俺はもう一度頭を下げる。
「ありがとうございます!」
「皆さんに後悔の無い選択をしてもらうのが医者の務めですから」
先生の優しい声色が耳に届いた。
数日後、夏の日射しが照りつける室外で俺はさくらの乗っている車椅子を押していた。
「大葉、ありがとう」
麦わら帽子を被せたさくらが言う。
「言っただろ。お前に生きてもらう為ならなんだってするって」
「そうだね」
さくらは、ふふっと笑った。
「そういや夏の桜って毛虫だらけじゃね?」
ふと疑問に思った事を言う。
「最近はだいたい殺虫剤を散布しているから大丈夫だよ」
「……なんか科学的な生命力だな」
「何を言う。科学の力までもを取り入れた最強の生命力さ」
さくらは自信満々に述べる。
そうこうしている間に桜の下へとついた。木陰から桜を見上げる。
「ああ……これだ……これだよ」
大きな幹をどっしりと構え、緑が輝くたくさんの葉に俺は圧倒され、しばらく言葉を失った。夏の桜って……こんなに立派なものなのか……。さくらに言われなきゃ、こうしてまじまじと見る事はなかっただろう。
俺達は、ただ無言で桜を見ていた。不意にさくらが口を開く。
「大葉」
「なんだ?」
「夏の桜は君みたいだ」
「は?」
何を言い出すかと思えば……。
「だから、好きなのかもしれない」
「……」
えーっと、それはつまり……。
「俺の事が好きだと?」
「そう言っているじゃないか」
……。顔に熱が上るのを感じる。熱中症ではない。確実に。
「ねえ」
「な、なんだよ……」
「君は?」
「……き」
「なんて?」
さくらは耳元に手を当てる。
「好きだって言ってんだよ!! ずーっと前からお前の事が!!」
俺は大声を張り上げる。一世一代の告白だ。……向こうからされたけど。
「ねえ」
「なんだよ」
本日二回目のやり取り。
「キス、してくれないか?」
「!?!?!?」
さくらは人差し指で口元をとんとん、と叩く。
「なんでもしてくれるんだろう?」
いたずらっ子の様な笑みを浮かべるさくらに、こいつ……! と思いながらも。
「じゃあ、絶対生きろよ!!」
「もちろん。君と夏の桜に誓って」
俺はさくらの前に回って屈み……人生で初めてのキスを、人生で初めて恋した奴と交わした。
「まさか君が医者になるなんてね」
「まだ初期研修医だ」
あれから十年、さくらは無事回復して今は一緒に暮らしている。
「立派になったもんだ」
さくらの言葉遣いは変わらない。
「もう無力さなんて感じたくねーからな」
「偉いね」
さくらは微笑む。
「お前だって医者だろ?」
「樹木医、だね」
「無理はすんなよ」
「心配性だねー君も。あれから何年経ったと思ってるんだい」
あれからとか言われると、ファーストキスの事を思い出す……。
「あーやらしい事を考えている顔だ」
「う、うるせえ!!」
「今晩もどうだい?」
「お前が誘うならするけど……」
さくらはケラケラと笑う。
「僕が誘わなくてもがっつくじゃないか!」
「うるせえ……」
そろそろ家を出る時間だ。準備をしながらさくらに告げる。
「なあ、今度桜、見に行かねぇ?」
さくらは嬉しそうに言った。
「良いね」
「決まり。じゃ、行ってくるわ」
「いってらっしゃい」
玄関を開けると夏の日射しに目が眩む。
桜を見に行った時にさくらにプロポーズをしよう。あの時さくらが生きると誓った様に、俺はさくらを一生守ると誓う。
夏の桜の下で。




