6・消えた「鉄の重み」
信じられないものを見た。あるいは、この世ならざる化け物でも目撃したかのような顔で、いじめっ子のリーダーは俺とさやか先輩を交互に凝視していた。
数秒の沈黙の後、彼女の引きつった唇から、乾いた笑い声が漏れ出す。
「は……ははっ! あはははは! 何よそれ、傑作ね!」
彼女は腹を抱えるようにして笑い転げたが、その瞳の奥には隠しきれない焦燥と、『認められない』という拒絶の思考が渦巻いていた。
「どうせ、この子にお金でも掴ませたんでしょ? それとも、身体で誑かしたのかしら。ねえ、そんな不細工やめて、アタシに乗り換えない?」
リーダーの女子が至近距離まで顔を近づけてきて、甘い毒のような誘惑を耳元で囁いた。
「アタシの方が、もっと満足させてあげられるわよ? ねえ、一年生。あんたみたいなマシな子が、あんなのと一緒にいるなんて時間の無駄だと思わない?」
思考から流れ込んでくるのは、『この男さえ寝取れば、この女をまた絶望の底に叩き落とせる』という、吐き気を催すほど醜悪な欲望だ。
「……あなたたちのような、性格の歪んだいじめっ子と付き合うわけがありません」
軽蔑を隠さず、俺は教室内全体に聞こえるような声で言い放つ。
「そもそも、俺が好きなのはさやか先輩だけです。あなたたちに興味なんて微塵もない」
宣言した瞬間、教室内が再び騒然となった。
だが、それ以上に凄まじかったのは、俺の背後にいる殻果の「思考」だった。
『――っ!! しあわせええええええええ!! 好きって言った!!私のことが好きって言ったあああああああああ!!』
もはや言語の体をなしていない、純粋すぎる狂喜。
ジェット機のエンジン音を至近距離で聞いているかのような、脳を直接揺さぶる爆音の喜びが俺の全感覚を麻痺させそうになる。
さやか先輩はこの上なく嬉しそうな、恍惚とした表情で俺の背中に寄りかかっていた。その熱量は、恐怖を感じるほどに真っ直ぐで、重かった。
しかし、流れは止まらない。俺の言葉を呼び水にするように、今まで沈黙していたクラスメイトたちが、堰を切ったように声を上げ始めた。
「……アタシ、朝練の時にあの一年生が正門で告白してるの見た。本気だよ、あの子」
「……お前みたいにいじめて楽しんでるような奴、どんな男も愛さねえよ。見苦しいんだよ。いい加減にしろよ」
女子生徒の追撃に、男子生徒の冷ややかな罵倒。
昨日までクラスを支配していた「女王」の椅子が、砂上の楼閣のように崩れていく。
「……っ、な、何よあんたたち!ふざけないでよ!?」
顔を真っ赤にし、屈辱に震えるリーダーが、耐えきれずにその場から逃げ出そうともがく。だが、俺は彼女の手首を掴んだまま、決して離さなかった。
「……逃がしませんよ」
俺が力を込め、彼女をその場に繋ぎ止めた、その時だった。
ガラガラッ!!
乱暴に教室の戸が開け放たれ、一人の男が踏み込んできた。
ジャージ姿の、若い体育教師だ。
「……何だ、この空気? おい、予鈴がもう鳴るぞ。早く席に――」
教師の言葉が、途中で止まった。
この上なく嬉しそうな顔で俺の背中に寄りかかるさやか先輩。
その前で、一年生の俺に手首を掴まれ、顔を真っ青にして屈辱に震えるいじめっ子のリーダー。
そして、その様子を遠巻きに見守り、静かな怒りをたたえるクラスメイトたち。
教師の鋭い眼光が、俺たちの姿を捉えた。
「……おい!そこ!動くな!!」
ただならぬ状況を察知した教師の怒号が、静まり返った教室に響き渡った。
殺人計画は、たしかに止まった。
さやか先輩の心から、あの禍々しい「鉄の重み」はこの瞬間、完全に消え去った。




