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15・ショッピングモールデート

 更に翌日。日曜日の朝。俺は自室のベッドの上で、スマートフォンの画面を凝視したまま凍りついていた。


 通知欄に表示されたのは、さやか先輩からのメッセージ。


『悟君、おはよう! 今日はいいお天気だね。お弁当を作るから、公園でピクニックしない? 悟君の好きな卵焼きは、甘いのと出汁巻き、どっちかな?』


 ピクニック。それは逃げ場のない青空の下、数時間にわたって彼女の至近距離に拘束されるという、地獄の拷問に等しいイベントだ。


 俺の心臓が嫌な跳ね方をした。昨日の水族館で、手を繋いだままフリーズした「敗北」の記憶が蘇る。あの時の、指先から伝わってきた熱。柔らかい感触。


 これ以上、毒(愛)を摂取するのは危険だ。俺は震える指で即座に返信を打ち込んだ。


『すいません、この前の映画と昨日の水族館でデート用の金が尽きました。今日は無理です。給料日前……というか小遣い前なので、家で大人しくしています』


 完璧だ。これ以上ないほど「金のない無能な男」を演出した。これで夢見る女子高生の熱も冷めるだろう。


 だが、すぐに明るい返信が返ってきた。


『そっか。でも大丈夫だよ!公園ならお金かからないし、お弁当は私が悟君の分も全部用意するから!一緒に食べよう!』


(……詰んだ。聖母かお前は!)


 彼女の献身性が、俺の浅知恵を無残に粉砕する。このままでは「手作り弁当」という物理的な愛を胃袋に詰め込まれてしまう。


 俺は「急な用事が入りました!今日は無理です!ごめんなさい!」とだけ送りつけ、スマホをポケットに突っ込んで家を飛び出した。行き先なんて決まっていない。とにかく、彼女の「ピクニック圏内」から脱出するのが先決だった。


 たどり着いたのは、駅から少し離れた場所にある、休日で賑わう大型ショッピングモールだった。


 ここなら人は多いし、適当に服を見て回れば時間は潰せる。何より、さやか先輩の追撃を振り切ったという解放感があった。


 だが、モール内に足を踏み入れた瞬間、俺は後悔した。


「……うるさいな。やっぱり……」


 休日のモールは、物理的な喧騒以上に「思考のゴミ溜め」だった。


『あのアイス、美味しそう』『こっちの方が安いかな』といった無害なものから、『あのベビーカー邪魔だな』『旦那の給料、もっと上がらないかな』といったドブ川のような愚痴まで。不特定多数の汚いノイズが、濁流となって俺の脳に流れ込んでくる。


 他人の心が聞こえるという能力は、こういう時に最悪の牙を剥く。


 俺は耳を塞ぎたくなる衝動を抑えながら、エスカレーターを上った。


(……これなら、いっそ)


 ふと、一瞬だけ、正気とは思えない考えが脳裏をよぎる。


(……これならいっそ、あの『悟君大好き!』っていう爆音一つだけを聴いている方が、まだマシなんじゃないか?)


 俺は愕然として立ち止まった。


 何を馬鹿なことを考えているんだ。あの爆音は精神汚染だ。あの「好き」に慣れるなんて、それはもう、俺が彼女に好意を持ち始めているみたいじゃないか。


 俺は激しく首を振って、その恐ろしい仮説を否定した。俺は平穏を愛する普通の男子高校生だ。あんな、一緒にいて騒がしい女に惹かれるはずがない。


 その時、ポケットのスマホが震えた。


『今、ショッピングモールで服を選んでいるのだけど、どっちがいいかな?』


 添えられた写真は、試着室の前で二枚のブラウスを持って悩んでいる自撮り画像。背景のロゴに見覚えがある。……このモールの一階にあるショップだ。


 嘘だろ。逃げ出した先で、ターゲットと遭遇するなんて。


 本来ならここで既読スルー、あるいは「知らない」と突き放すべきだった。


 だが、今の俺は周囲の汚いノイズに当てられ、精神を消耗しきっていた。画面越しに届く彼女の思考――『これ、悟君が喜んでくれるかな。どっちが似合うかな』という、眩しいほどに純粋で一直線な響きが、砂漠の中のオアシスのように見えてしまったのだ。


(……いや、違う。これは作戦だ。文字でやり取りするより、直接会ってボロクソにけなした方が、嫌われる効率が良いに決まっている)


 ガバガバな理論を自分に言い聞かせ、俺は指を動かした。


『一階にいるのですか。俺も近くにいます。画像じゃわからないので直接見せてください』


 一分後。俺はショップの前で、ぶんぶんと千切れんばかりに手を振るさやか先輩と合流してしまった。


「悟君!悟君の用事の行先もこのショッピングモールだったんだね!偶然だね!私たち、やっぱり運命かも……っ!」


 爆音の「運命」が鼓膜を殴る。


 彼女は俺を捕まえるなり、試着室へと連行した。そこから、俺にとって未知の拷問――「ファッションショー」が始まった。


「ねえ、これは? ちょっと大人っぽすぎるかな?」


 カーテンがシャッと開き、着替えたさやか先輩が姿を現す。


 俺はあらかじめ用意していたセリフを吐き出した。


「センス悪いですよ。地味すぎて、そこらのモブと変わりません。不採用です」


「そっか……。じゃあ、こっちは? ちょっと派手かな?」


「似合ってない。色が浮いてます。顔に合いません」


 冷酷に、無慈悲に、俺は彼女のチョイスを切り捨てていく。これで彼女のプライドを傷つけ、「もう悟君に服なんて選んでもらわない!」と泣いて帰ってくれるはずだ。


 だが、さやか先輩はショックを受けるどころか、むしろ瞳をキラキラと輝かせた。


『すごい……! 悟君、私のことをこんなに真剣に見て、率直な意見をくれるんだ! 適当に「可愛い」って言わないのが、本当に私を大切にしてくれてる証拠だよね……!』


(……違う! 俺は今、お前をボロクソに言っているんだぞ!)


 超解釈の壁は、鉄壁だった。


 さらに、俺の精神を削る別の要因が存在した。


 彼女が次の着替えのために、カーテンの向こうへ引っ込んだ時のことだ。


 他人の心の声がいくらでも聞こえる俺にとって、カーテン一枚隔てた空間なんて、本来なら筒抜けのはずだった。


 だが、さやか先輩が試着室の中で服を脱ぎ着する際に出る、物理的な音――「衣擦れの音」や「ごそごそという微かな気配」。


 その、一つ年上の清楚なお姉さんが着替える音が、雑多な他人の思考ノイズを突き抜けて、一際鮮明に、かつ重みを持って、多感な男子高校生である俺の鼓膜を刺激する。


(……くそ、なんだ。この、こそばゆい感じは……)


 他人の「隠された本音」は平気で聞けるのに、彼女が今、どんな表情で服を脱いでいるのか、どんな風に鏡を見ているのか。それだけが「物理的な音」として伝わってくるのが、たまらなく意識をくすぐる。


 ただの衣擦れだ。それなのに、俺は自分の顔が熱くなっていくのを止められなかった。


 一時間が経過した。さやか先輩は、俺にけなされるたびに「そっか、悟君はもっと私に冒険してほしいんだね!」と解釈し、さらに試着のループを加速させていく。


(……このままだと、何時までも終わらない……!そして、色々な意味で精神が持たない……!)


 このまま二人きりの時間が伸びれば、さらなる「イベント」が起きかねない。


 俺は危機感を抱き、ついに戦術を切り替えた。


「……貸してください。俺が選びます」


 俺は棚から、彼女の白い肌によく映える淡いブルーのワンピースを手に取り、無造作に差し出した。


「これ。これが一番マシです。シルエットも綺麗だし、さやか先輩の……その、脚のラインも、ほどほどに隠れるので……」


 最後の方は、少しだけ声が小さくなった。


 さやか先輩は、ワンピースを受け取ると、今日一番の笑顔で頷いた。


「わかった!悟君が選んでくれた、これにする!」


 それからさらに、今度は「悟君の服も選ばせて!」という逆襲に遭い、俺は結局、彼女が選んだ「少しだけ洒落たシャツ」を買わされる羽目になった。


「あー、楽しかった!時間はかかっちゃったけど、悟君、ちゃんと付き合ってくれたし、最後は素敵な服を選んでくれたもんね!」


 ショッピングモールの出口。夕暮れに染まる街を歩きながら、さやか先輩は上機嫌でそう言った。


 俺の脳内には、『悟君が選んでくれた服、宝物にするんだ……!』という、幸せなメロディに変わった思考ノイズが響いている。


 余計な出費に財布は更に軽くなり、精神はボロボロだ。


 ピクニックからは逃げ出せたが、結局、俺は数時間にわたって彼女と「デート」を完遂してしまった。


 だが、駅に向かう足取りの中で、俺は自分の中に芽生えた正体不明の違和感に気づく。


 あんなに不快だった他人の思考ノイズが、今は不思議と気にならない。


 隣で楽しそうに歩く彼女から漏れる、この騒がしい「爆音」が、周囲の汚い声をすべて塗りつぶしてくれているからだ。


(……嫌なはずなんだ。早く別れて、平穏に戻らなきゃいけないのに……)


 繋いではいない。けれど、昨日の感触が残る右手が、少しだけ熱を帯びている気がした。


 今日のデートは、今までのような「敗北感」や「義務感」が、どこか薄い。


 むしろ、この嵐のような喧騒の中にいることが、少しだけ居心地が良いと感じてしまっている自分に、俺は言いようのない戦慄を覚えた。


「ねえ、悟君。今度こそ、ピクニックに行こうね?」


「……考えます」


 俺は、精一杯の拒絶を口にした。


 だが、その声は自分でも驚くほど、トゲが抜けていた。


 沈んでいく夕日の中、俺は隣の爆音に当てられながら、出口の見えない迷宮へとさらに一歩、深く足を踏み入れていくのだった。

14話の後書きで書いた「(三話で完結)クソみたいな展示で文化祭の出し物一位の座を手に入れるまで」は見ましたか?見ていなかったら、どうぞ見てください。もう完結していますし、たったの三話ですので。

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