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11・映画館デート(後編)

 暗転したシアター内。


 俺の左隣からは、映画の音響さえもかき消さんばかりの、熱を帯びた思考の奔流が流れ込んできていた。


『あ! 今ポップコーン取ろうとしたら、手が触れちゃった! さ、悟君も気づいたかな!? 意識してくれているかな!? 』


(うるせえ! 今、主人公がネトゲの嫁とリアルの妹が同一人物だったって気づく、重要シーンなんだよ! 黙ってろ俺の隣の爆音!)


 俺は心の中で毒づきながら、必死にスクリーンに意識を繋ぎ止めていた。


 当初の予定では、この映画が始まって十分もすれば、隣のさやか先輩は退屈し、スマホをいじりだすか、あくびを噛み殺すはずだった。そこで俺が「え、これ理解できないの? センスないな」と冷たく言い放てば、彼女の好感度は垂直落下し、俺への幻滅が始まる。それが、俺の描いた脱獄計画の青写真だった。


 あるいは逆に、俺の方が早々に飽きて、上映終了まで豪快に昼寝を決め込んでいたかもしれない。デート中に爆睡する彼氏。それもまた、幻滅を誘うには悪くない手札だったはずだ。


 だが、現実は非情である。


 チケット代一、〇〇〇円(高校生割引込み)とジュース代とさやかと折半したポップコーン代。その「元を取らなければならない」という貧乏性の理性が、俺の意識をスクリーンに縫い付けていた。


 そして何より――この映画、『ネトゲの嫁が妹だった件』が、予想を遥かに上回って出来が良かったのだ。


 特に今、嫁と妹が同一人物と知って困惑する主人公の繊細な心理描写は、思わず喉を鳴らすほど先の展開が気になる出来であった。


 俺は隣から漂う「生足のプレッシャー」や「恋する乙女の放つ心の爆音」を気づけば忘れ、一人の観客として物語に没入していった。


 上映開始から二時間。


 エンドロールが流れ、館内に明かりが灯った時、俺の脳内からは「嫌われるための作戦」などという小賢しい思考は、一滴も残らず蒸発していた。


「「めちゃくちゃ面白かった……!!」」


 上映終了から十分後。デパートの一階にあるファーストフード店で、俺たちはトレイを挟んで同時に叫んでいた。


 手元のメロンソーダをストローで豪快に啜り、俺は興奮を抑えきれずに身を乗り出す。


「いや、マジで! 中盤の伏線回収も凄かったけど、ラストのボス戦のアクション、あれ凄かったですね! 作画枚数どうなってたんでしょう!?ああでもとにかく、 妹ちゃんが救われて本当に良かった……!」


「わかる! 本当にわかるよ悟君! 最後に他の二人のギルメンとオフ会して、胸を張って『夫婦』って言うシーン……私、もう最高に感動しちゃった!」


 さやか先輩が身を乗り出し、机を叩いて同意する。彼女の瞳は潤んでおり、頬は高揚で赤らんでいる。

 およそ二時間前、自分が何を考えていたのか。


「そんなに可愛くないですね」なんて暴言を吐き、彼女を幻滅させようとしていた愚かな自分を、今の俺は思い出すことすらできない。


 目の前にいるのは「重すぎる愛の爆弾」ではなく、同じ作品を見て、同じ熱量で語り合える「最高に話の通じる同志」だった。


「あのお兄ちゃん、最高に格好良かったですよね! 男でもアレは惚れますよ!」


「うん……! 本当に素敵だった。私もね、悟君にああ言ってもらえた気がして、すごく……すごく勇気をもらえたよ」


 さやか先輩が、どこか熱っぽい視線を俺に向けてくる。


 本来ならここで「いや、俺はそんなこと言ってないし」と突き放すべきなのだろうが、今の俺は作品のファン特有の「推し語りモード」に入っていた。


「ですよね!? というかそもそもストーリーが神。兄妹と分かっても愛を捨てられない感じとか――」


「そう! 好きな人の事は、理屈では間違っていても中々諦め切れない気持ちは……もう本当、見て良かった!最高!」


「……あ、あのお客さま。……他のお客様のご迷惑になりますので、もう少しお静かにお願いできますでしょうか」


 通りかかった店員に、申し訳なさそうな顔で注意された。


 俺とさやか先輩は、反射的に「あ、すみません……」と声を揃えて頭を下げ、顔を見合わせて苦笑いした。


 恥ずかしい。だが、それ以上に楽しかった。


 自分の好きなものを、誰かに全肯定される。しかも、それがこんなにも「波長」が合う。


 俺の脳内を埋め尽くしていたはずの「嫌われるための計算式」は、作品への愛という圧倒的な暴力によって、無残に上書きされていた。


「じゃあ、また明日。学校で」


「うん。……今日は、本当にありがとう。最高のデートだったよ、悟君」


 最寄り駅の改札前。さやか先輩は、別れを惜しむように何度も振り返り、そして最後に満面の笑みで手を振って去っていった。


 その髪には、俺がプレゼントしたあのカタツムリのヘアピンが、駅の蛍光灯を反射して誇らしく輝いていた。


 家路につく足取りは軽かった。


 頭の中では、まだ映画の劇中歌がリピートされている。


 さやか先輩と家の最寄り駅で別れるまで、適当に話を合わせるつもりが、気づけば「あのシーンがさあ!」と映画談義を続けてしまっていた。


 自室に戻り、バッグを放り投げてベッドにダイブする。


 心地よい疲労感。俺はスマホを取り出し、いつも使っている映画評価サイトを開いた。


 余韻が冷めないうちに、この熱い思いを記録しておきたかった。


『ネトゲの嫁が妹だった件』

 評価:★★★★★(星五つ)

 コメント:文句なし。キャラ、ストーリー、演出、音楽。すべてが神レベル。特に兄妹の心理描写が素晴らしく、後半の怒涛の展開には魂を揺さぶられた。今年最高の一本。


 迷うことなく「投稿」ボタンをタップする。


 画面には「投稿が完了しました」というメッセージが表示された。


 ……。

 …………。


 投稿完了の無機質な画面を見つめていた俺の脳内に、一滴の冷水が垂らされた。


 その一滴は、波紋のように広がり、瞬く間に俺の意識を現実へと引き戻す。


 ……待て。


 俺は、ベッドの上で跳ねるように起き上がった。


 窓の外は、もうすっかり夜の帳が下りている。


「…………俺、嫌われることを完全に忘れてた……!」


 愕然とした声が、静かな部屋に響いた。


 思い出した。


 今日のデートの目的は、彼女に俺の趣味の悪さや性格のねじ曲がりっぷりを露呈させ、幻滅させることだったはずだ。


 それなのに、結果はどうだ。


 共通の話題で盛り上がり、店員に注意されるほど意気投合し、最後には「最高のデートだった」と笑顔で言わせてしまった。


 今頃、さやか先輩は俺のことを「自分のコンプレックスをフォローしてくれ、さらに趣味まで合う、完璧な彼氏」だと確信しているはずだ。


「……むしろ、好感度を盤石にしてるじゃねえか!!」


 自分の失策に、戦慄が走り、頭を掻きむしりたい衝動に駆られた。


 スマホを握りしめたまま、俺は再びベッドに倒れ込んだ。


 嫌われるどころか、俺と彼女の「運命」という名の鎖は、今日一日でさらに太く、強固に補強されてしまったのだ。


 スクリーンの中で救われた兄妹は幸せそうだった。


 けれど、スクリーンを出た俺を待ち受けているのは、救った相手からの「重過ぎる愛」という、出口のない迷宮だった。


「……明日から、どうすんだよ、これ……」


 夜の静寂の中、俺の乾いた呟きだけが虚しく響いた。

「ネトゲの嫁が妹だった件」は私が書いた前作です。良ければ見に行ってください。(二回目の宣伝)

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