10・映画館デート(前編)
翌日。俺は駅直結のデパート、その最上階にある映画館のロビーで、重い溜息を吐き出しながらデジタルサイネージを眺めていた。
今日は本来、学校があるはずの日だ。だが、例の「いじめ問題」に関する緊急の保護者説明会が開かれることになり、生徒たちは全員自宅学習という名目の臨時休校となった。
絶好の睡眠日和。昨日までの修羅場を忘れ、泥のように眠りたかった。
だが、現実は残酷である。昨日の帰り際、さやか先輩からの「明日も、デートしてくれる?」という、呪文めいたお願いに、俺はつい頷いてしまっていたのだ。
(……冷静に考えると、約束をすっぽ抜かした方が手っ取り早く嫌われるか?)
一瞬、そんな考えが脳裏をよぎる。デートの待ち合わせに現れない不誠実な彼氏。幻滅させるには最高のカードだ。だが、俺は即座にその思考をゴミ箱に捨てた。
もし俺が連絡もなしに姿を消せば、彼女は十中八九パニックを起こす。
「悟君!!何があったの!?大丈夫!?今すぐお見舞いに行くよ!」
そんな病み散らかしたメッセージが無限に連投され、住所を特定して我が家のドアを叩かれる未来が容易に想像できた。そこでもし、ピンピンしている俺の仮病がバレたら……。その後、彼女が絶望のあまり何をしでかすか、本当に分かったもんじゃない。
俺は穏便に別れたいのであって、別れた後の未来を破滅させるつもりはないのだ。
「……あ、悟君!いた!お待たせ!」
自動ドアを抜けて、見違えるほどオシャレをしたさやかが現れた。
昨日のカタツムリのヘアピンを大切そうに、けれど誇らしげに髪に飾り、清楚な白いカーディガンにチェックのミニスカート、そして黒のタイツ。
一歩間違えれば、どこぞのお嬢様かと思うような、隙のない装い。
(……一つ年上の、しかも清楚系のお姉さんと休日デート、か)
男子高校生としての本能が、一瞬だけ不覚にも興奮を覚えた。だが、俺はすぐにその火種を理性の氷水で消し止める。俺の目的は、彼女をエスコートすることではない。彼女に「嫌われる」ことだ。
「……ふーん。まあ、そんなに可愛くないですね」
俺はわざとらしく鼻を鳴らし、目を合わせずに言い放った。
さあ、怒れ。せっかくオシャレしてきたのに、その第一声はないだろと憤慨してくれ。
だが、彼女は傷つくどころか、むしろ「神の啓示」でも受けたかのように目を輝かせた。
「そっか……。ごめんね、悟君。次はもっと頑張るよ!ねえ、悟君はどういう風な服が好き?何でも教えて?」
純粋すぎる好意と、探求心。
俺の言葉を否定としてではなく、「自分を向上させるためのアドバイス」として都合よく解釈しているのが、漏れ出す思考から筒抜けだった。
(……この執着心、本当に底がねえな。なら、これはどうだ)
俺は彼女を困らせてやるつもりで、あえてハードルの高そうな好みを口にした。
「……タイツとか、履いてない方がいいです。生足の方が、俺は好きなので」
「わかった。……じゃあ、ちょっと待ってて。映画館のトイレで脱いでくるね」
「は?」
俺の制止を待たず、さやか先輩は「悟君の好みを聞けて嬉しい!」という歓喜の心の声を爆音で撒き散らしながら、ロビーの隅にあるトイレへと消えていった。
(……失敗した。あの人、全部自分に都合よく解釈して実行に移しやがる。否定が通用しねえ)
だが、俺にはまだプランBがある。俺が選んだ今日の映画は「ネトゲの嫁が妹だった件」。
タイトルからしてオタク臭漂う、露骨に男向けのラノベ原作アニメだ。普通の女子高生なら、開始十分で退屈し「もう帰りたい」と言い出すはず。そこで俺が「え、面白いじゃん。センスないな」と追い打ちをかければ、完璧な破局ルートが開通するはずだ。
「お待たせ、悟君。……これで、いいかな?」
トイレから戻ってきたさやか先輩。
彼女は、先ほど言った通りにタイツを脱ぎ捨て、眩いばかりの生足を晒していた。
清楚なカーディガンとミニスカートに、スラリと伸びた白い足。その破壊力に、俺は思わず視線を彷徨わせる。
(見るな……見るな俺。これは俺の自業自得だ。直視したら負けだ……!)
俺は無理やり視線をポップコーンの販売機に固定し、不自然な足取りでチケットホルダーを手に取った。
上映開始直前。暗くなったシアターのシートに並んで座る。
さあ、この退屈な映画で、たっぷり俺に幻滅してくれよ――。
そう願った俺の隣から、映画の予告編の音をかき消すほどの、熱っぽい思考ノイズが流れ込んできた。
『悟君がさっき、ちらちらと足を見てた……! 言われた通りにして良かったぁ。今度から、足をもっと綺麗にしておこう……! もっと、もっと悟君に見てもらえるように……!』
(…………やめてくれ。俺のそういう視線に気づいていた事を聞かされる俺の気持ちも考えてくれ……!)
下心を完璧に見抜かれ、あまつさえそれを「自分磨きのモチベーション」に変えられている。
暗闇の中で、俺は顔が熱くなるのを感じながら、深く頭を抱えそうになった。
スクリーンにタイトルロゴが浮かび上がる中、俺はこの最悪の「ご褒美という名の拷問」から抜け出すべく、このデートを絶対に失敗に導くと再度強く決意した。
「ネトゲの嫁が妹だった件」は私が書いた前作です。良ければ見に行ってください。




