1・殺人計画を聞いてしまった
前作「ネトゲの嫁が妹だった件」から来た方も、そうでない方も、応援よろしくお願いします。完結まで毎日朝七時二十分に投稿します。ただし初日だけ合計九話投稿して、最終日の5月4日(祝日・月曜日)は五話一気に投稿します。
世界は、ひどく騒がしい。
だがそれは、映画に出てくるようなドラマチックな超能力の風景とは程遠いものだ。
俺、御心悟には、他人の考えていることが聞こえる。
自分の周りから、混信した古いラジオのように、有象無象の意識が勝手に流れ込んでくる。だが、この能力が劇的に人生を変えてくれたことなんて、これまでの人生で一度だってありはしなかった。
そもそも、人間というのは案外、普段からそんなに沢山「思考」なんてしていないのだ。
朝、廊下ですれ違う奴らが「おはよう」と言うとき、脳内で「よし、おはようと言おう」と決意してから口を動かしているわけじゃない。ただの反射だ。じゃんけんだって、出す直前まで何も考えていない奴がほとんどだ。小学生の頃、給食の余ったプリンを賭けた戦いで、俺はこの能力をフル活用しようとしたが、結局、俺がプリンを勝ち取れた回数はクラスの平均より少なかった。
思考とは、言葉になる前の澱のようなものだ。
「眠い」「だるい」「腹減った」「帰りたい」
そんな断片的な情報のゴミが、ミルフィーユのように重なって頭に響く。
もっとも、これだけ長く付き合っていればノイズには慣れっこだ。メリットが皆無なわけでもない。テストの時には隣の席のガリ勉の思考を拾ってカンニングだってできる。……まあ、そいつが「この問題の答えは選択肢四だな!」とか思った瞬間を聞き逃した場合、俺はもう一度そいつに「この問題、何だと考えた?三って考えた?」とかテスト中に聞けるわけがないので、そいつがその問題を見直して「やっぱり四で合っているな」とか思ってくれるまでどうしようもなくなるわけで、そこまで万能ではないのだが。
そんな風に、俺はこの厄介な体質と適当に折り合いをつけて、普通の高校生活を送っている。
五月。中間試験が終わったばかりの放課後。校内は一年で最も軽薄な空気に包まれていた。
「赤点じゃなかったからいいや」「カラオケ行こうぜ」「さっさと帰るか」
試験という重圧から解放された反動か、その思考の声はいつもより高く、どこまでも明るくて楽しげで騒がしかった。俺は人混みを避け、少しでも静かな場所を求めて校舎の端へと向かった。体育館裏へと続く、人通りの少ない裏通路。ここなら、少しはマシなはずだった。
――その時だった。
脳を直接、研ぎ澄まされた刃物で抉られるような衝撃が走った。
「……っ!?」
あまりの鋭さに、一瞬、平衡感覚が狂い、壁に手をついた。
今まで聞いてきた「だるい」とか「ムカつく」といった、反射レベルのノイズとは次元が違う。それは、地底の底で煮え滾るマグマのような、明確な意志を持った「殺意」だった。
「……明日の朝。包丁を持ってくる。学校の正門で、アイツらが来るのを待つ。……まず、リーダー格のあの女。喉元を深く刺して、二度と笑えないようにしてやる。……次に、髪を掴んでたアイツ。……逃がさない。めった刺しにして、その制服を自分の血で真っ赤に染めさせてやる……そして最後に今の私を写真で撮ったアイツを……」
思考の主は、明確に殺意を研いでいた。
そこには、実行に移すための冷徹なシミュレーションが、氷のような結晶となって詰まっていた。
俺は心臓の鼓動を早めながら、その「殺意」の源泉が聞こえてくる体育館裏へと歩みを速めた。
角を曲がろうとしたその時、向こう側から数人の足音と、明るい笑い声が聞こえてきた。俺は反射的に、壁の陰に身を隠す。
現れたのは、三人の女子生徒だった。
彼女たちの思考は、驚くほど晴れやかで、最高に「楽しい」という感情で満ちていた。
「マジでスッキリした! 最高じゃない?」
「ほんっとにそう!マジで面白かった!アイツ、一生鏡見て泣いてればいいよね!」
「傑作すぎ!明日も楽しみなんだけど!」
彼女たちの「口から」放たれた言葉は、驚くほど晴れやかで、放課後のイベントを心から楽しんでいるようだった。
思考を読まずとも分かる。彼女たちは自分たちが何をしたのかを理解した上で、それを「娯楽」として消費している。
三人は無邪気な残酷さを撒き散らしながら、笑い合って去っていった。
何があったのか、全容はまだ分からない。けれど、背中を通り抜けた冷たい悪寒が、俺に告げていた。
――今、この場所で、取り返しのつかない「何か」が起きている。
三人は華やかな思考の余韻を撒き散らしながら去っていった。
彼女たちの背中が見えなくなったのを確認してから、俺は震える足で体育館の裏を覗き込んだ。
そこにいたのは、一人の女子生徒だった。
泥にまみれた制服。破れたストッキング。
彼女は声一つ発さず、目からは大粒の涙を零していた。
そして、彼女は古ぼけたほうきを握り、必死に、地面に散らばった「何か」を掃き集めていた。
それは、暴力的に切り刻まれ、泥にまみれた彼女自身の黒い髪の毛だった。
彼女が動くたびに、俺の脳内にはあの「声」が、耳鳴りのように響き渡る。
『……殺す。殺す。絶対に殺す。アイツらが登校してきた瞬間、心臓に、包丁を突き立ててやる。……殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す!!』
叫び。それは言葉という形を成さない、魂の咆哮だった。
彼女は、自分がどれほど凄まじい「殺意」を垂れ流しているのかも気づかずに、ただ、自分自身の尊厳の残骸を掃き集め続けている。
――これは、冗談じゃない。
俺は、あまりの恐ろしさに全身の血が引くのを感じた。
今まで数えきれないほどの「本音」を拾ってきたが、これほど具体的で、これほど逃げ場のない「殺人計画」を耳にしたことは一度もなかった。
明日の朝、この学校で血の海ができる。彼女が、その包丁で誰かの命を奪い、彼女自身の人生も完全に終わる。
「……っ!」
俺は、こみ上げる吐き気を抑えながら、慌てふためいてその場を離れた。
頭の中にこびりついた、包丁を研ぐ冷たい感触。彼女の黒い殺意。
どうすればいい。誰に言えばいい。
俺は、逃げるように走りながら、激しく打ち鳴らされる自分の鼓動を、ただ必死に抑え込むことしかできなかった。




