第3話 朝風呂
淫魔を拾ってから始めての休息日の朝。怠惰なまどろみを楽しんでいれば、肩を叩く振動で起こされた。眉間にしわを寄せて目を開ければ、何とも楽しそうな顔をした淫魔がいた。
「神父さま!お風呂行こ!」
「はぁ?…あー、1人で入れ。気分じゃない」
「そんなこと言わないで!行こうよ!」
布団をかぶり直そうとすれば、淫魔はそれをぐいぐいと引っ張り始めた。この野郎。つかの間の安眠を妨げやがって。そもそも湯をわかすのは誰だと思っているんだ。まぁ今の時代、魔道具の紋様をなぞればすぐに湯も張れるし捨てられるんだけどな。掃除だってすぐに終わる。便利な時代に生まれた事に感謝しないと。別方向に考えを巡らせていれば、再度淫魔が騒ぎ始めた。
「ねぇ、お風呂!お風呂ー!」
「あーもー、うるせぇなぁ…」
あんまりにもうるさいので、隷属紋を締めるために指先へ術式を絡め始める。いや、よく考えたら、淫魔だけだと風呂もわかせないか。ふと思い当たり、発動しかけた術式を軽く手を振って解除する。諦めて体を起こせば、淫魔は嬉しそうに飛びついてきた。腰に抱きついて、見るからに不機嫌そうなはずの俺を澄んだ目で見上げてくる。命握られてるってのに、よくこんなに無邪気でいられるな。本当に魔のものか、こいつ。首の後ろをさすりながら、反射的に淫魔の頭を軽く叩く。淫魔はにこーっと笑って手のひらに頭をすり寄せ、ぱっと立ち上がった。
「起きた。僕、先に行ってるね!」
「はいはい…」
返事も聞かずに寝室を飛び出して行った淫魔の後を追えば、当然のごとくバスルームだった。その手前にある洗面所の鏡に、上半身裸の男が映っている。
肩の上で切り揃えた白に近い金色の髪に、茶色の瞳。ほどほどに引き締まり、筋肉の付いた体。自他ともに認める『そこそこ整った顔立ち』の男がそこにいた。ぶっちゃけ、カソックを脱いでしまえば神父には見えない。まぁ、誰にでも言えることだけどな。意味もなく鏡を見つめていれば、ふと淫魔が現れ、手を引いてきた。
「早く入ろうよ!」
「わかったから急かすなよ」
手を引かれるままにバスルームに入る。白いタイル敷きの床に明かり取りの窓、大きな石作りの浴槽と、それに繋がれたシャワーヘッドが壁にかかっている。足裏の冷たさを感じながら足を進め、湯を張るための紋様に指を当てれば、浴槽の底が振動しながら湯を生み出し始めた。朝の光が次々生まれる波紋を照り返し、バスルームの白い壁をちらちらと瞬かせる。淫魔は浴槽に手をかけて中をのぞき、その水面を飽きることなくじっと見つめていた。
淫魔は既に服を脱いでいた。相変わらず細いが、少し肉が付き、肌の張りが良くなったようだ。しみもほくろの一つもない、陶器のようなきめ細やかな白い肌。艶のある亜麻色の髪に、白目が青く見えるほど透き通った、無垢な瞳。
腰から生える蝙蝠のような羽と、どの生物にも当てはまらない細い尻尾がなければ、神聖な存在だと勘違いしてしまいそうだ。横顔を眺めていれば、淫魔はふとこちらへ振り向いた。思わず心臓が跳ねる。なんだ今の。
「ねぇ、もう入っていい?」
「もうちょっと待て。湯がたまり切ってからだ」
「うーん、待てない!」
淫魔は首を振ると桶を使って体に湯をかけ、まだ半分しかない湯に勢いよく入った。しぶきが俺の方にも飛んでくる。顔にかかった湯を指で拭うと、淫魔は浴槽の中で膝立ちになっていた。腰の上まで湯に浸かった淫魔は、徐々に体を寝かせ、全身を湯に浸してゆったりと手足と羽を伸ばした。ほう、と細く息を吐く。
「あー、いいきもち…」
「お前、本当に風呂が好きだな」
「うん。とってもあったかいよ」
お前にとっては飯と同じ、嗜好品だろうな。喉元まで出かけた言葉を飲み込む。淫魔の体液には汚れを浄化する作用があり、任意で浄化魔法も使えると聞いたことがある。こいつが自覚して使っているかはわからないけど。上から顔をのぞき込めば、ざばりと音を立てて腕を差し上げた。ほんのりと色付き始めた肌は玉のように水を弾き、次々に水面へと滑り落としていく。
「あー、しあわせ…」
恍惚に細められた目に、静かに湯へ沈む肢体。陽の光を映した網のようなゆらめきが全身を滑り、途切れることなく浴槽の底へ続いていく。へその辺りを指先でくすぐれば、淫魔はしぶきを上げて体をくねらせ、けらけらと笑い出した。
こんなに好き勝手させておいていいのかね。自問するが、すぐに首を振った。
残り少ないはずの命だ。今だけはせいぜい楽しませてやるか。
と思っていた時期もあった。結果は、お察しだ。




