第15話 ビスケット
窓を開ければ、生温い風が吹き込んだ。何となく薄暗く、雨でも降り出しそうな曇天だ。朝に洗った洗濯物を外へ干しているが、乾きは悪そうだ。そろそろ取り込んで、乾燥させておかないとな。窓を閉めて振り返ると、背後にリースが浮いていた。
「ねーティモ、暇だよー。お出かけしないのー?」
「だーかーらー、しばらく街へは行けないんだよ。お前、本当に危なかったんだぞ?」
「えー。でもつまんないよー」
リースは両腕と両足を垂らした姿勢でふよふよと宙に浮かび、リビングへ向かう俺の後をついて来る。
腰の羽根は緩やかに羽ばたいているが、どうやらこれだけで飛んでいる訳ではないらしい。というか、飛び方なんていつ覚えたんだ。
「お前、そんなに軽かったっけ?」
「えー?あ、浮いてるから聞いたんだね。すごいでしょう?」
リースはゆるりと空中で体を反転させてみせた。髪が、羽根が、服の裾がふわっと宙を舞う。顔にかかった髪を払い、リースは得意げに微笑む。
「僕、羽根があるから飛べないかなって思って、ティモがお仕事に行ってる間練習したの。そしたらできるようになったんだ」
「すごいな。独学か」
「ふふ。ティモのくれた力、まだたくさんあるもんね」
しばらくゆるゆると宙をたゆたっていたリースは突然ぴたりと動きを止めた。
「うーん、飽きちゃった。ティモ、何かやることないの?」
「あー、そうだなぁ。買い出しに行けないなら、あるもので何か菓子でも作るか」
リースと話しながらリビングを通り、キッチンへ向かう。蛇口の前に立って腕まくりをしていると、リースは驚いた顔でこちらを見上げていた。この角度、ちょっと新鮮だな。
「えっ、お菓子ってお家で作れるの?」
「簡単なものならな。保存食にもなるし、ビスケットはどうだ?」
「あの、カリカリしてるやつ!僕、それ好き!」
「はは、お前は菓子なら何でも喜んで食うじゃんか」
「だって全部美味しいんだもの。で、どうやって作るの?」
「待て待て、まずは材料を揃えてだな…」
屈んで小麦粉の袋を手に取ったその時、突然玄関の呼び鈴が鳴った。
「ひゃっ!」
短い悲鳴を上げたリースは、慌てて寝室へ逃げていった。足を下ろして走らずに、ふらつきながらもわざわざ飛ぶのは、やっぱり多少余裕があるだろう。それを見送って、玄関の扉を開ける。そこにいたのは、独特の形をした帽子を頭に乗せ、前掛けカバンを下げた配達員だった。額には汗がにじんでいる。
「ティモテ・アラベールさんですねー?速達ですー」
「はい、どーも」
速達とは思えない間延びした声で、男は白手袋をはめた手で1つの封筒を手渡してきた。俺が受け取ったのを見ると帽子を軽く上げ、踵を返す。それなりに忙しいのかもしれない。玄関の鍵をかけ中身を取り出す。上質で、カードのような丈夫な紙だった。裏返せば、そこには黒いインクで簡素な文章が書かれていた。
『本日の15時大聖堂へ。渡すものがある』
見るからに硬く厳格そうな文字が書かれたそれは、間違いなく司教の筆跡だった。
思わず時計を見た。今から着替えて、早足でやっと間に合うくらいの時間だ。本当に、無茶を言いやがる。
「リース悪い、教会から呼び出しだ。行ってくるから、もし誰かが来ても開けるなよ。呼び鈴が鳴ったら、どこかに隠れてろ」
「わかった。ティモ、いってらっしゃい」
上着を脱ぎながら声をかければ、リースは寂しそうに羽根を下げつつ、小さく手を振った。黒いカソックを着込み、ボタンを留める。大人しく椅子に座るリースを見つつ、玄関の扉から足を踏み出す。しっかり鍵をかけたのを確認し、体を門の方へ反転させる。じわり、額に浮いた冷や汗を手で払う。顔に吹き付ける風は、さっきと変わらず生温いものだった。一体何の用だとか、今考えても仕方がない。自分の頬を、片手で軽く叩き、歩き出す。
飛び石の道の真ん中で一度立ち止まって嫌な予感を吐き出すように1つ深呼吸をし、俺は家を後にした。




